たとえば、有名な神社の写真は、あらゆる季節・時間・角度の写真がいくらでもある。 そんな中、自分が撮った写真に価値はあるのかな。 もちろん、ある。 僕が、いま、ここで写真を発信できるのは、いま、ここにいる、僕だけだから。 そこに色んな価値が生まれる。 これはあまねく創作にも通じる。
演出できる枠の内側だけを完璧に描写しよう、という先入観に凝り凝り。 ちがうちがう。先日自分で言ったはず。 その枠の外にも大海原と大空が広がっているかのような余裕を、物語を、描きたい。 百数文字に百数文字以上の世界を。ヘミングウェイの6語の物語みたいにさぁ。
▶それって、「いつもここにいる」って安心感を出したいなって思ってる僕にとって、理想とは真逆の状態なんだよね。 だからさ、プレッシャーに感じるほどにはなりたくないけど、僕の理想のために、もうちょっと貪欲に、同じぐらいの時刻での更新を目指したいなと思った今日このごろでした。
「急に寒い」って、今日みたいな日には、SNSでいくらでも言われているだろう。 それでも僕は、同じことを言う。 ここには、僕だけの、絆があるから。 その絆の中で、僕は「SNSの誰か」なんて曖昧な存在じゃない。 だから心が通う。共感が生まれる。 だから言うんだ。 今日、急に寒いね。
「創作のハードルは下げるだけ下げたほうがいい」という話を聞いた。 まさにそうだと思った。 創作の環境や条件を限りなく快適でゆるくする。要は気楽に楽をする。 これは質や量の話の外側のこと。 これってかなり重要な気がして。 やりたいことをやる、その過程って、けっこう色々あるからさ。
つぶやきの 長く後ろが …となり 末まで読まれず 本末転倒 ~シャル、かなしみの一首~
読者の視点で考えるとさ。 たとえ「遅れるかも」って前もって言っていても、なんだかんだ同じ時刻に毎日更新している人が、なかなか更新しない日があったらさ、やっぱり心配になるよね。 そして、0時が近づくと、毎日投稿が途切れないかって我がことのように不安になったりもする。▶
▶バズることだけを目的にするのは、僕にはどこまでも虚しく思えて仕方がないのだけど、それでも一種の憧れはある。 より多くの人に知ってもらうきっかけになるんじゃないかって。 でもまあ、こういうのって、狙ったり望んだりするほど滑稽にから回ってしまいそうだよね。
noteを読んだとき、書き手の心が、どこか遠く、高いところを見ているように感じて、さみしくなることがある。 ただ、僕だってそういう文章を書くことがある。 そんな、遠く、高く、星を見上げるような文章もいいけれど、読み手にそっと寄り添えるような文章も書けるようになりたい。
今まで、僕の文章は「わかりやすい」を重視してきた。 イマジナリーフレンドみたいな主観中心の話ばかりだから、読まれるためにせめてわかりやすく書こうって思って。 でも、「考察のしがいがある」というのも面白そうって最近思った。 ただ、「考察できる」と「わからない」の区別って難しい…。
「自我の抑制」から解放されるためにnoteを書いてるのに、僕もロミィも、どこかまだ演じてる感がある。 〈そう?〉 だってロミィ、noteではすごく「余裕あるお姉さん」っぽく見えるもん! 〈それはシャルが情けなく見えるよう振る舞ってるからでしょ〉 ……そうなんだよなぁ!
このたび、かなり久々にコメントをいただきました。 すっごく嬉しくて。 スキ&コメントって一括りにされがちだけど、その影響力ってやっぱり段違い。 言葉にして伝えるって、大切だなって、改めて思う次第で。 ……コメントをする勇気、久しく枯れてたけど、また、灯されてきたかもしれない。
創作意欲の低下って、定期的な波だと思ってた。 でもそれって、創りたい中身がないだけかもと思った。 意欲が先か、中身が先か。 卵が先か鶏が先かみたいな話だけど。 でも、中身があれば意欲は湧くし、中身のない意欲は長続きしない。 だから、中身に集中したい。 意欲低下に悩みすぎたくない。
つぶやきのハッシュタグに悩んじゃう。 けど、これがすんなり決められるようなつぶやきが、内容の方向性がはっきりした良いつぶやきってことなのでは? 〈方向性がはっきりしてるのが良いつぶやきなの?〉 それは……議論の余地があるかもしれないけど…。 でも、少なくとも分かりやすいとは思う。
ラブコメとかは、あまり妬ましくなかったりする(皆無とは言えないけど…)。 つまり、妬ましくなりにくい、ただの惚気じゃない、可愛い恋のお話が世の中にはあるってこと。 恋のお話を書くのなら、そういう、読み物としても楽しめるものを書きたい。
ここ数日、すけべなことか音楽のことしか考えてない。 で、すけべなことはどこまで書いていいのかまだ模索中で、音楽のことは曲名といった具体的な名前を出さずに語るのが難しい。 素直にありのままをnoteで書くと言いつつも、遠慮や制限がまだまだ残ってる。 ゆっくり解決していきたいね。
特にそこまで熱心なファンだったわけではないけど、フォローしていたとある配信者さんが配信から離れると聞いて、寂しくなった。 ただそこに変わらずいるってだけで、安心感があったんだなって思った。 そういう存在になりたい。 そういう存在を応援したい。
また「読者さんの反応が気になりすぎる期」になった。 ほんと、旧作の頃はよくスキ数ゼロでも書き続けられたよね…。 あの頃の強かさは失われたのかな…。 〈ふたつ勘違いしてるわ〉 そう? 〈ひとつ、シャルは弱くなったんじゃない。心を取り戻したの。ふたつ、今も書き続けてる。心配ないわよ〉
「自分で書いた小説・随筆を自分で楽しむ」 その境地に達したい。 自分の絵で興奮する大人な絵師さんみたいに。 〈でたすけべ〉 そーだよすけべだよ。 〈官能小説でも書いたら?〉 ……そういえば書いたことない。 〈へぇ、意外ね〉 読んだことがないからかな。 でも、ちょっと面白そう。
スキやコメントやフォローをしてくれる。 やっぱり、そんな読者さんが印象に残りやすい。 でも、スキもコメントもフォローもしないけど、いつも読んでますという隠れファンもいらっしゃるはず。 僕だって一読者として覚えがある。 このことを忘れないようにしたい。 いつもありがとうございます。
先日読んだ本に「書きながら休む」という考え方があって。 書く活動において、書かないことで休むのではなく、書くことで休める境地がある、というお話。 おそらく、息抜きに絵を描く絵師さんに近い心境かなって。 すぐ実践とはいかないけど、そんな考え方もあると知ったのは、大きなことだと思う。
相手の状況によって展開の選択肢が左右されるようだと安定感に欠けるよね。 〈何の話?〉 カードゲームのデッキ構成の話。 〈へぇ〉 相手の反応だけがモチベーションだと継続が不安定になりそうだよね。 〈カードゲームの話?〉 noteで発信することの話。 なんか、似てて面白いなって。
「話しかけられる」ってことが滅多になくなって久しい。 だからみんなのコメントがとってもうれしいの。 〈どしたの急に〉 コメントを送るようになって気付いた。 嫌な気持ちにならないかな?鬱陶しくないかな?って不安だらけになる。 だからせめて、僕に送ってくれる人の不安を和らげたくて。
昨日は真っ暗なテキストを書いたから、今日いきなり明るいつぶやきをしたら妙な違和感があるわけで。 でもそれって、昨日のテキストを読んでいない読者さんには関係なくて。 つまり。 毎日投稿していると日々の流れは無視できない。 でも、流れありきだと初見さんに優しくない。 むずかしいね。
つぶやきで短い文章を投稿することに抵抗を感じてる。 〈たしかにいつも文字数いっぱいよね〉 なんかもったいなくて。 でも、短くて深い文章なんていくらでもある。 比べて、僕のは無駄が多すぎないかって不安で…。 〈それが自然なら誰かと比べなくてもいいと思うわ〉 そうかな。 〈そうよ〉
前回の記事、正直、フォロワーさんが減ると思ってた。 そして、実際に減った。 ごめんなさいしか思い浮かばない。 そして、スキしてくれた優しい読者さんがいたことより、そのことの方が気になってしまうことにも、ごめんなさいとしか言えない…。 https://note.com/cialdhaos/n/ne4c24b9da6e3
なぜか、イラストを見て「これはAIが作ったな」ってわかる。 画風や構図が似通っているから?それもあるかも。 ただ、ちょっとロマンチックに考えてみた。 きっと、AIはまだ魂を表現できないのだろう。 だから、AIが作ったとわかる。 ……僕の文章は、ちゃんと魂を感じてもらえてるかな…。
「良いことを書かねば感」が強くなってる。 こういうときって空回りしがちなんだよねぇ。 〈しがち、じゃないわ。確実にするのよ〉 いつになく断言するじゃん。 〈だってそう思ってたほうが忘れないでしょう?〉 なにを? 〈もっと肩の力を抜いて書いてもいいんだってことを〉▶