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望まぬフィルターを外していく

 僕は、少し前まで、このnoteで、「フォローされたら無条件でフォローを返す」という方針を取っていました。
 理由はシンプル。
 フォロー返しをされたら、嬉しいだろうからって。

 ただ、フォローを返したからといって、僕がその人のnoteを読んでいるかというと、そうでもないわけで。
 そして、「フォローが100%返ってくる」ということを目当てにフォローしてくる方もいらっしゃって。

 これで本当にいいのだろうか、という思いは、ずっとありました。
 ですが、「別にいいじゃん。害があるわけでもないし」と思うようにして、ずっとそのままにしていました。

 この違和感を、このたび、拭うことにしました。

 きっかけは、最近、なかなか新しいフォロワーさんと出会えていないと感じたからです。

 noteのおすすめアルゴリズムがどのようなものかわかりませんが、「似たような人をフォローしている人」、みたいなおすすめ表示のされ方があると思うんです。たぶん。
 そのとき、僕には「フォローバック100%の人」というフィルターがかかってしまっているのではないか。
 そう思い始めたのです。

 「内容で勝負したい!」と啖呵を切るつもりはないのですが、僕の中身を好きになって欲しい、というのは、やはりずっと思っていまして。

 数字だけを見るのが悪いことだとはいいません。
 数字は分かりやすく、そして大きな価値基準のひとつ。
 それを重視することが間違っているとは思いません。
 僕もある程度は重視しています。

 ただ、そればっかりになってしまうのは、僕の理念とはちょっと違う、というお話で。

 そこで、段階的に、僕が積極的に読めていないフォロワーさんのフォローを外していくことにしました。

 いつも読んでくださっているあなたが嫌いになったわけじゃないのです。
 ただ、一度、フォローすること・されることについて、見直して、仕切り直していこうと、そう思ったのです。

 この影響で、おそらく、数字としてのフォロワーさんは減るんだろうなって、想定しています。
 ですが、それは僕はそこまでの人だったということ。精進が足りないのです。好かれ方が足りないのです。
 それが表に出るだけの話です。

 ……ですが、きっと、寂しい気持ちになるのでしょう。

 それでも、僕は、抜け出したい。
 「数字を重要視する人」というフィルターから、抜け出したい。
 そこで得られたものを失うとしても。
 具体的には、フォロワー数がガンガン減っていくとしても。

 それでも、僕は。
 僕自身を好きになってくれる人に、見つけてもらいたいから。




 さて、今日のnoteは、ついに、放っておいた違和感とばいばいする決意をしたというお話でした。
 ………うぅ、間違ったことを言ってるつもりはないのに、申し訳ないというか、義理人情に反していると言うか、そんな気がしてならない…。

 あ、そうか。

 フォローしてくれていた人からフォローを外されると、僕は悲しい。
 で、僕は、僕がされて嫌なことは他の人にしたくない。
 でも、僕はいま、僕がされて嫌なことを人にしようとしている。

 だから苦しいんだ。

 なるほどなるほど…。

 ……それでも、僕は。

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