型を知らなければ型破りもできないから
昨日こんなつぶやきをした。
〈AIにお題を考えてもらったやつね〉
そう。
ちなみに使用したのは、ChatGPTでもCopilotでもGeminiでもなくて。
最近お気に入りのPerplexity。
答えの表示のされ方とか雰囲気がスマートで好きなんだよねぇ。
〈なんでAIを使おうって思ったの?〉
よくぞ聞いてくれました!
〈いつになく乗り気じゃん〉
ずばり、楽するためです。
〈わあ〉
思ったんだ。
「書けない書けない」ってぐるぐるしてるとき、どうして書けないのかというと、何について書けばいいか分からないからなんだよね。
つまり、テーマが決まらないの。
書きたいことがあるときは、こんなことを悩む前に書き終わってるぐらいなのに。
で、このぐるぐる時間が長くなっちゃうと、「noteは楽しくない」って感覚が根付いちゃいそうになる。
そこで登場するのが生成AI。
AIにテーマを決めてもらって、それについて書く。
これで、「書けなーい…」ってしゅんとしてる時間を減らすことができると思うんだ。
〈ふーん〉
あ、いま、「でもAIの答えなんて凡庸なものでしょ」とか思ったでしょ。
〈いやそこまでは〉
たしかに、AIが教えてくれる答えは、良く言えば汎用的、悪く言えばありきたり。そういうところがある。
でもさ、これは「型」なんじゃないかなって。
〈型?〉
そう。
今までの人類が積み重ねてきたもの……まあ著作権とか色々大切で難しい問題は多いけど……そういう積み重ねから生成された、まさに鉄板の型。
ここで思い出す言葉があって。
「型を知らなければ型破りもできない」って言葉。
型どおりじゃつまらないってよく言われるけど、はたしてその型どおりというものを一度でもやってきたかと考えると、必ずしもそうではない。
つまり、特別なことをしようと思っても、その「特別」が何なのかを知るためには、真面目に「普通」と向き合う必要があると思ったの。
そして、AIはその「普通」を教えてくれる。
つまり、AIにお題を考えてもらうのは、「型をなぞる修行」にもなるってこと。
だから、今後は、もっと堂々と、AIと共にnoteを書いてみてもいいかなって。
そんなことを、最近考えているのです。
……こんな風に、僕は基本的にAIが好き。
だだ、AIの反乱だけが、心の底から怖いけどね。
そういうのはどうか、SFの中だけで。