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理想だって十人十色、いろんな味がある。
「こーゆーのがつくりたい!」って話ばかりしてる気がする。
今日書こうと思っていた記事だって、最初の案はこんなだった。
「写真映えする珍しいものは、みんな撮るから珍しくない。そういう流行りの写真じゃなくて、僕の感性が表現された、魅力的な写真を撮りたい」
こんなことを書くならそんな写真を添付するべきなのでは…?
でも、そんな写真はまだなくて。
それでも、こんな風に理想を語るのがやめられない。
その理想を体現した中身を提供することが滅多にないままに。
そんな僕の創作は、いつまでも中身のない虚空に過ぎない。
……と、ネガティブになってたんだけど。
一周回って、まあ、それでもいいのかなって。
そういう理想語りこそが、僕の創作の役割ってことにして。
つまり、理想みたいな抽象的な話でも、それ自体を創作と捉える。
たとえば、名言・金言って、そういうものじゃない?
まあ、狙って名言は生まれないだろうけど…。
つまるところ、僕の心持ちひとつ。
理想語りそのものが、僕の創作の中身のひとつ。
理想だって、十人十色でしょ?
言い換えると、空っぽに見えた虚空にも特別な味があるってこと。
そう胸を張って言えたら、それが僕の創作になる。
たとえ、僕が語る理想を僕が達成できなくても、それを読んだ誰かの参考になれば、十分、価値のあるものだったって思えるから。