入所者からよく「救護施設から早く出たい」と言われます。私はその度に、もう少し頑張ってここで生活を整えるよう説得の日々。 しかし先輩相談員は「出たい気持ちが消えてない◯◯さんは、きっと救護から卒業できるな」と前向きです。問題行動の背後に回ると、利用者の強みに見えるのだと学びました。
今朝、入所者が亡くなりました。その方の急逝を経験して初めて「もっとあの人の為に何かできたんじゃないか」という感情が芽吹きました。入所施設の相談員になってから、「明日またこの利用者と話ができること」を疑わず過ごしていたのだと思います。明日また同じ状態でいてくれるとは限らないのです。
最近、入居者の生活保護費に対する締上げが突然厳しくなりました。基準額以上の残高を大目に見てもらっていた利用者の保護費がら次々と削られる。不満爆発な本人達に何度も「税金から出てるお金に文句を言えない」と伝えます。彼らの不利益なのに、私は社会保障費の適切な使い方に安心してしまいます。
私が働く救護施設では、利用者からの心無い発言に傷ついている職員がたくさんいます。「こんなの気にしちゃう私、弱いですね」と言う後輩に言いたいこと。その言葉が人を傷つけると気付けないのも、彼らの社会的弱さなんです。逆に「他者からこれ言われたら辛い」感覚は、社会で生きる大切なスキル。
救護施設の入所者は、年に一度、担当の行政ワーカーと面談します。退所したい人、ここにいたい人等気持ちは様々。以下、今日の行政面談の一場面。ルール違反を繰り返す利用者に対して「税金を基にした保護費で生活させてもらっていることを自覚して欲しい」と。その言葉選びにまだモヤモヤしています。
先程、緊急で一時的な入所を受け入れました。言うことを聞かない息子たちと、そんな息子を生んだ自分に対する怒りで混乱。ご主人は慣れた様子で送り出してくれましたが、普通に見える家庭の中にもこんな現実があるのだと痛感しました。周囲には「そんなことで?」でも、本人にとっては一大事なんです。
利用者が端材で作ってくれたミニチェアです。作業製品として購入しようとしたら「こんなのタダであげますよ」と。全力でお礼を言い、後日植物を乗せた写真を見せると「なんか役に立てて嬉しいです」と微笑む彼。もっと"こういう機会"を施設の中に、そして世間の中に増やしたいなと漠然と感じました。
更新されました。 エッセイ:「私たちが救護施設に出会うまで」小林エリコ 第六回 生後2日で親から捨てられて、六本木のナンバーワンホステスになり月800万円稼いだ私 https://t.co/CwcVVbzehu