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救護施設を知っていますか?Rさんの話。

実は、私は、DVシェルターに入るまで、救護施設がどの様なものなのか詳しく知りませんでした。

救護施設の現状を知った時の衝撃は、いまだに忘れられません。

私は、支援というものを全否定するつもりはありません。必要な方には利用して欲しい。ただし、支援を必要としない人まで無理に支援に繋げている現状に反対なのです。

今回は、支援の危うさについて書いていこうと思います。

施設症とは?

まず初めに、施設症の話を書きます。

社会的養護では、ホスピタリズム(hospitalism)、日本語では、施設病(症)と訳されています。乳児院や病院などで、子供が親から離され集団で保育され続けた場合、1対1の情緒的な関係が希薄(愛着形成に関連)になってしまった時におこる障害のことです。

これは、大人であっても起きることで、施設や病院など、狭い空間で支援、介護や治療などを一方的に受けるだけの環境に、長期間いることにより起こる心身の症状です。

無表情や情緒不安定、社会性の低下などの症状がみられると言われています。

私は、子供の頃から児童養護施設で育ったので、これらの症状を持つ多くの若者を見てきました。

私もそうだったのかもしれません。

愛着障害とADHDの症状が非常に似ている為、誤診される事が多いと警鐘を鳴らす精神科医もいます。

社会的養護の子供の多くがADHDと診断(誤診も含む)されており、向精神薬をのまされている現状もあります。

一般家庭であっても、若いうちから支援を頼ると、親よりも、支援者の言うことが、「絶対的に正しい」といった「確証バイアス」や「内集団バイアス」に取り憑かれてしまうケースも多いのです。

「親を信じてはいけない」

「親の意見は間違ってる」

「あなたが正しい」

などと、子供が自分の不満を肯定されれば、自分の味方になってくれる!と「勘違い」してしまい、支援団体とのトラブルに巻き込まれるケースも少なくありません。

私は、これらは支援者による一種のマインドコントロールだと考えており、これらは、子供だけではなく大人であっても陥るバイアスを上手く利用した罠なのです。

バイアスに関しては、下記の2つの記事で詳しく書いています。

なぜ、福祉や支援が充実しているのに人は死にたくなるのか?

以前、私は、自殺未遂をした方々へインタビューをしたことがあります。

「なぜ、死のうとおもったのか?」と質問しました。

・明確な理由は分からない。
・原因は分かっているが、どうすることもできなかったから。
・無気力になり生きている意味がわからなくなった。

原因や理由は人それぞれでしたが、共通点がありました。

「発作的、衝動的に思いつき実行してしまった(ただ、なんとなく)」


結果…

「なぜしたのか分からない」

原因を掘り下げてみると、

「なんとなく」

この答えが、全ての方々に共通していました。

驚きと同時に、確かに、思い返してみれば、私もそうだったかもしれない…と納得したことがあります。

「死にたい」と思ったら、相談して!と支援団体は言うけれど、相談して解決するのなら、自殺者は減るはずなのです。

確かに、誰かに相談して思い止まる方も中にはいるでしょう。

特に、男性の自殺数は深刻ですが、実行した全ての方が誰かに相談したのだろうか?と考えてしまう。

上記に書いたように、今、死にたい!と思ったら、即、実行する人が多い中、どうやって防げるのか?といった話は、話題にはならず、相談事業をいかに増やすか?といったことばかりに注目しがちです。

統計で見ると、若い人程、実行までが早く、年齢を重ねていくと思い止まる傾向が高いそうです。

あなたの為に!よかれと思って!

良かれと思って、支援団体が独断と偏見で、支援や保護をした結果、利用者が苦しめられてしまう現象を「二次被害」と呼ばれています。

その中では、「ガスライティング」が行われており、二次被害が深刻化しているのです。

ガスライティングについては、こちらの記事をお読み下さい。

私は、支援者からの二次被害が一番深刻なのではないかと感じています。

なぜなら、人助けをしていると宣言している場所で加害行為をされるなんて、誰も想定していないから。表面上は「ないもの」として扱われているからだ。

詐欺にあった気分だ。

無意味な支援や保護は、絶対にやめるべきであり、他人を追い詰めるような支援を行政が、強制力を持ち、積極的に出来てしまう社会に恐怖すら覚えます。

救護施設とは?

さて、救護施設の話をします。

救護施設は、身体や精神の障害や、何らかの課題(生きづらさ)を抱えていて、日常生活を営むことが困難な方たちが利用している福祉施設です。

利用者一人ひとりのその人らしい豊かな生活の実現に向けて、日常生活支援や生産活動等を通して生活の基盤を整え、就労や地域生活移行など、利用者の目標や意向に沿ってそれぞれの自立を目指した取り組みを行っています。

全救協より

生活保護法第38条第2項
「救護施設は、身体上又は精神上著しい障害があるために日常生活を営むことが困難な要保護者を入所させて、生活扶助を行うことを目的とする施設とする。」

全救協より


ざっと「全救協」の公式サイトを見ても、誰もが納得できるような、当たり障りのない、特に異論もない理想的な紹介内容となっていますね。

理想と現実はこうも違うものかと驚きます…

Rさんと私の出逢い

Rさんとは、DVシェルター(女性保護施設)で出逢い仲良くなりました。

約1年間、一緒に生活をし、自立と自由を勝ち取る為に戦った大切な仲間です。

今でも、Rさんとは交流があり、一緒にランチをしたり、買い物に行ったり出来るよい友達です。

今は、一部は笑い話にできますが、保護施設に入れられている間は、お互いに毎日が辛い日々でした。

私が、救護施設を知るきっかけとなったのも、Rさんへの支援が、あまりに酷い対応だったからです。

令和のこの時代、日本にはここまで人権を無視した施設が存在するのか?!と驚愕したし、絶望に近いような感覚にもなったし、自分の無力さ、日本の福祉の杜撰さや無関心さにも本当に腹が立った出来事だったのです。

なぜ、困ってる人達がこんな目にあってしまうのだろうか?

私は、子供の頃から児童養護施設で育ったので、日本の福祉施設のおかしさは理解していたつもりだったのですが、まだまだ甘かった。

Rさんについて

ざっくりとまとめます。
(本人の許可を取り掲載しています。)

幼少期に両親が離婚。
上の姉2人と兄が母親に引き取られ、末っ子のRさんは母の妹である叔母に引き取られた。

自分だけ母親に捨てられてしまったと感じ、ずっと寂しかったと語る。

友達にも恵まれ、何不自由なく育ててくれた叔母に感謝はしていたが、母に会いたくなり、高校卒業と同時に上京し就職する。

職場で夫に出逢い結婚。

共働きをし、2人の子供も産まれ、ごく普通の一般家庭での生活だった。

ある日、子供の担任と夫が浮気。
何も話してくれない夫との生活が不安になり、うつになる。

起き上がることもしんどく、食事も作れず、家の中では、夫と子供に「ゴミ」と呼ばれる。

そんな生活が続き、ある日、夫の車に女性が乗り込む姿がみえた。

外に出た時には、既に車もなく…
そのまま道路を彷徨い、発作的にある場所から飛び降りてしまう。

一命は取り留めたが、全身骨折等々。一生歩けないかも…と医師に言われたが、リハビリを頑張り、何とか回復。

退院後、精神病院に4年入院。
なぜ入院が長引いたのか聞いた。

「君、退院したいっていわなかったよね?」

と、医師に言われ驚いたそう。

初めの1年は、退院したい旨を何度も医師に伝えたが、聞き入れて貰えず…

そのうち言っても無駄だから…と、全てを諦めたそうだ。まさに、施設症の状態であった。


私は、3番目に入れられた女性保護施設でRさんに出逢った。

私よりも2ヶ月先に入居していたので、施設内のことは何でも知っていて、色々と教えてくれた。Rさんは本当に優しく親切で、すぐに仲良くなった。

彼女は、他の入居者に何をされても、何を言われても全く怒らない。

約1年間、彼女と一緒に生活をしたが、迷惑行為、いじめ、犯罪行為も一切していない。

何をされても、無言で耐えているような人だった。(あまりに寛容すぎるので、仏というあだ名までつくような人だった…)

毎週、特定の曜日に売りに来るパン屋さんは、利用者は半額で買えたので、その為に小銭を貯めた。

生クリームがはさんであり、上にチョコレートでコーティングしてある70円のパンが私達のお気に入りだった。

それをよく2人で半分にして食べた。
半額の70円でも私達にとっては、中々勇気のいる出費だったので、2人で半分にして35円で、当時の私達は、それで幸せを感じていたし満足していた。


生活保護の支給金の殆どを、支援団体に取られてしまうので、保護施設の生活は本当に大変だった。

思い出しても寒気がする。

運命の分かれ道

私は、時折、役所に電話をして、なぜ退所出来ないのか、なぜ一人暮らしも仕事も出来ないのかを聞いた。

「被害者なのだから、ゆっくり休んで欲しい」

毎回、こう言われる。

DVで受けた怪我も殆どよくなったし、働ける状態であること。施設側の精神科医に、診察2、3秒で、様々な病名をつけられて困っていること、職員の評価基準がおかしいことを伝えると、いつもこう言われた。

「私達(役所)は、支援者である職員の決定には逆らえない。」

こう言われてしまうと、私も混乱した。

施設側の弁護士に相談しても無駄で、役所と同じことを言われた。


希望の持てる社会とは、どういう状態なのかも忘れてしまう程、絶望しかなかった。

このような状況の中、Rさんが救護施設に移ることを知らされた。

相談先を探す

3番目の施設では、外出時は、私はスマホを返して貰えていたので、(施設では、個々によりスマホの扱い、対応は異なる)ので、無料WiFiを利用し、様々な所に相談した。

当時はまだTwitter(現 X)に、保護施設から出るにはどうしたら良いか?

施設内の出来事を書きまくった。

とにかく、私達は保護施設から出たかった。

拘束される理由も、施設をたらい回しにされる理由もわからない。

ケースワーカーも分からないと言う。

Xでは、アドバイスをくれる方もいたが、もう既に行動済のことだった。

そして、何より一番多かった意見が、

「施設から出る方法はわからない」だった。

ですよね…

とても親身に返信をくれた支援団体の方々もいたが、支援団体であっても「分からない」だった。

私達は、心底困り果てた…
お金も取られ、スマホも身分証明書も返して貰えない。

脱走しても行く宛てもない。
どうしたら良いのか本当(分からなくなっていた。

施設に住む殆どの方が同じ状態で、困り果てていたのです。


Rさんが言った。

「救護施設に入れられると、一生出られないんだって。どうしよう…」


2人で沈黙した。


なぜ、私達が自立した生活するのに、親でも親類でもない第三者である支援者に、人生を決められてしまうのか?

この国の福祉が本当に怖くなっていた。


「救護施設」へ引越し

Rさんの引越しの日が決まった。

救護施設に持ち込める荷物は、みかん箱位の大きさのダンボール4つ。

厚手のコート1枚入れたらほぼ終わり。
職員は、靴、下着、日用品、全部合わせて4つにまとめろと言う。

一人暮らしの人よりは、断然荷物が少ないとはいえ、無理だ。

いくら頑張ってもシャンプーや靴は小さくならない。新たな施設に移った時に買い直すお金もない。

結果、Rさんの荷物の殆どは、職員によって捨てられた。

子供のアルバムや家族との思い出の品々、お気に入りの洋服も全てて捨てられ、Rさんは落胆し泣いていた…

私も、あまりに悲しくて一緒に泣いた。

これが、支援者の決定だ。
従わないと住む場所を失うことになる。
薄いアルバムを持ち続ける事に、なんの支障があるのか?
数少ない服を、更に減らす意味はあるのか?

なんとなく、人生を人質に取られている感じがした。

Rさん救護施設へ入居

RさんからLINEが届いた。

前の保護施設は、女性専用だったが、その救護施設は、男女混合の施設だった。

■4人部屋で、部屋にドアがなく、カーテンで仕切られているだけの部屋。

■タンスは1つを2人で使う。それぞれの小さな引き出しに鍵がついてるので、そこに貴重品を入れる。

■自分のスペースは、ベッドの上だけ。
手を伸ばしたら、隣りのベッド。生活音は丸聞こえ。

■階違いで男女が分かれているが、行き来は自由。

■35缶のビール4本分位の小さな冷蔵庫が個々で利用できるが、ペットボトルを斜めに入れると何も入らない…

■支給金は、前の施設よりもちょっとだけ多い。

■初日から、男性利用者に付き纏われて怖い。

■既に、絶望感に襲われ耐えられそうにない。

このような内容だった。

当時、私達は、やれる事、考えられることの殆どを、やり尽くしていたので、本当にどうしたら良いかわからなかった。

社会に、迷惑をかけることなく生きている人間は、施設に入れられ、やりたい放題他人を傷つけ暴力を振るう人間が自由に人生を満喫していると考えると、とてつもなく腹立たしい気持ちになった。

救護施設の日常

毎日、封筒の糊付けをする作業をしていたそうです。

入所して2日目に、一度も話したことも無い男性に、皆の前で告白をされ、周囲が盛り上がり、断りにくい雰囲気を作られ、友達としてなら…と答えてしまった。

施設内で、なぜか公認になり、付き合っていることになっていて、とても怖い。

トイレが、常にラブホ状態でカオス。トイレに行くのも入るのも怖くなってしまった。

施設の庭にあるベンチに座っていると、利用者の男性が、後ろから胸を触ってくる。
スカートめくりをされる。
影に連れていかれそうになる。

このようなLINEが頻繁に届くようになる。

日に日に、Rさんは弱っていった。
なんとか、励ましたが、その苦痛は痛いほどわかる。

私も児童養護施設で体験した事だったから。

コロナ禍で、緊急事態宣言がされた時は、救護施設内は、エレベーター、階段にバリケードが設置され、テーブルや椅子を重ねたものが置かれていたそうだ。

トイレとお風呂以外は、部屋から出ることも禁止。屋上には出られたので、気分転換に屋上にいくと、男性利用者に囲まれるので、怖くて行けないと言っていた。

限界…

この様な言葉が頻繁に来るようになっていた。

利用者は、施設内から1歩も出られない。
通院も、職員が薬を貰いにいく。

利用者は、5~60代が多く、30代のRさんは、一番若く毎日告白しに来る男性がいたそうだ。怖くて怖くて、必死に逃げていると、女性の利用者達から、何様なんだ!と囲まれ、根も葉もない噂をを流されいじめられている。

もうダメかも…
もう無理…

頻繁にこの様な言葉が書かれていた。
何とかならないのか!!!!
必死に解決策を考えた。

役所も警察も弁護士も議員も支援団体も、厚労省も法務省も…思い当たる機関や人に相談した。

答えは、難しい…ばがりだった。

救護施設は、「外に出しては行けない異常者がいれられているのだから…」

と、言われたこともある。
これは、社会の多いなる誤解である。
なんて理不尽なんだと思った。

なんのトラブルも起こさない人間が、異常者と呼ばれる。常日頃、差別をなくせ!と叫んでいる人達の認識は差別で溢れていた。

その施設は、短い人で7年、長い人だと20年以上住んでいて、自分で身の回りの事ができなくなると、隣の老人ホームに移される。

頻繁に、「〇号室のAさんが本日、〇時にお亡くなりになりました」と、放送が入る。

「次は私だね~」一同爆笑
これが、お決まりの流れだそうだ。

これを聞いて、私はなんとも言えない感覚になり、なんとか、Rさんが出れるようにしたいと強く思った。

施設へは、コロナ禍の直前に3回面会に行き、Rさんの話を沢山聞いた。

広大な敷地に、病院、老人ホーム、救護施設があった。

その敷地内で、死ぬまで住めるという構造になっていた。


1階のロビーで面会。
スマホで撮った写真を見せてもらい、部屋や共用部分等を確認。


あの部屋を見たら、誰もが嫌だと言うと思う。私も嫌だ。

Rさんが絶望感を覚えるのも納得だった。

ドアの無い部屋に、いつ誰が入ってきてなにをされるか分からない状態なんて、誰もが嫌だと思う。

洗濯バサミでカーテンを閉じられ、お前は出てくるな!といったいじめもあり、飲み物を飲み込んだ音すらうるさい!と怒鳴られる。


神経質な人が部屋にいて、着替える時も、布団を直す時も、音を立てないように注意しながらの生活。

おならなんてとんでもない!
部屋で、うっかりおならをしてしまったら、一日中責め立てられるそうだ。

ため息をつけば、喧嘩売ってんのか?と絡まれ、呼吸をするのすら、不自由だと言っていた。

Rさんが、職員に一人暮らしをする為にはどうすればよいか聞いたことがあるそうだ。

「一人暮らしの「特訓部屋」があり、そこで3ヶ月~半年練習したら出られるよ!でも、今は、皆が待ってるから7年待ちかな?」


と、言われたそうだ。
もう絶望しかない。

7年もここにいたら、私は気が狂うし、死にたくなると思う。今でももう絶えられないのに…と、Rさんが言った。

一人暮らしも仕事もし、2人の子育てもして生きていたRさんが、なぜ一人暮らしの「特訓」をせねばならないのか?

私達は考えに考えた。

✎︎___

最後に

そこから、2年…

経緯は割愛するが、様々なことがあった。

Rさんは、無事、救護施設をなんとか、必死の思いで退所することができました。

現在、無事自立した生活をしている。


「死にたいと思ったらいつでも相談してください」

「あなたはひとりじゃない」

公式サイトに、このように書いてある団体にも、沢山相談しました。


私達は、貧困ビジネスに囲われ、施設から出られず困っていることを相談しました。


一度、保護されたら、数年は出られない。
下手したら死ぬまで出られない。


このような、保護支援が普通にまかり通っているのが日本です。

私とRさんは、なんとか施設を出ることができましたが、4月から施行される困難女性支援法では、合法的に誰もが「困難女性」にされ、自立した生活が出来なくなってしまう可能性も否めません。

この様な恐ろしいものが、「支援」と呼ばれ、女性を苦しめている現状もあるのです。

福祉施設に入居したことがない方は、驚きますが、児童養護施設、DVシェルター、女性保護施設、救護施設、簡易宿泊所、無料宿泊所、更生施設…

日本には様々な施設がありますが、施設内でなにかに困っても、相談場所が皆無なのです。

第三者委員会は、施設とズブズブのお仲間なので、助けてくれません。

誰も助けてくれない保護施設にいれられたら、脱走するしか方法がありません。

ただし、スマホも身分証明書等は、職員に預けてあるので、全てを置いて脱走するしかないのです。

そこから、どの様に自立すれば良いのでしょう?

福祉が充実しても、自殺者が減らないのは、このようなカラクリがあるからです。

外国人の人権侵害を訴える団体は多数ありますが、日本人の人権侵害の訴えを聞き入れてくれる団体は皆無です。

保護施設内で、私達は酷い目にあいました。
この状態は、戦後から放置されたまま、保護施設だけが増えています。

支援が必要ない人への支援は、ただの暴力となっています。

不必要な支援は、繋がりと呼ばないで欲しいのです。ただ隔離であり、強制なのだから。

福祉全体の構造を、見直す時期なのではないでしょうか。

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うさぽん
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