(12)救護施設に来た経緯①
ここまで(6)〜(11)の記事を有料販売してきたが、9日経過して未だ一つも売れていない。
そんな閑古鳥が鳴く状況なのは当の執筆者本人も重々承知していて、この度「僕が生活保護を受けるに至った経緯というのを知ってもらわないと話の内容に入り込めない」として、本人が生活保護受給者に転落した経緯、背景というものをお伝えすべく記事を執筆した。
執筆者の意向により、ここから再度無料公開版を発表していくので気軽にお読みいただければ幸いである。(山本星海)
(12)救護施設に来た経緯①
そもそも何で救護施設に来たのか。
人間的にクソみたいな生活をしていたからと言えばそれまでだが、少し詳しく見ていこう。
まず救護施設に入るためには生活保護を受ける必要がある。
生活保護受給の条件は各自で調べてほしいが、自分の場合はざっくり言うと借金とうつ病で生活が成り立たなくなった。
それまで仕事はしていたが、そこそこクリーンな看板を掲げる職場のブラック部署で激務に勤しんでいたら、ちゃんとうつ病になった。
ちなみにブラック具合の話になると上級者たちから「まだまだだね」と謎の俺の方が凄い自慢をされるので嫌だが、まぁ失踪者が度々出るくらいの職場環境ではあった。
うつ病でしんどかったのは、とにかく眠れないこと。
正確には「寝ても悪夢だけ見て1時間したら起きる」ような状態である。
それでも仕事は待ってくれないし、土日も年末年始も関係なしで色々やっていたことと、当時1つ大きめのイベントを抱えていたので「それのプレッシャーかなぁ」とか比較的のんびり考えていた。
ただそのイベントが終わってしばらく経っても症状は改善されない。
いい加減なんとかしたくなったので、とりあえず睡眠薬を処方してくれそうな病院を探して飛び込みで受診したところ、医者がすげえ顔で「あんた重症だから今すぐ休め」とその場で職場に電話してくれて休職の診断書も書いてくれた。
こうして思わぬ長期休暇を頂けたわけだが、当時の心境としては急に精神病に認定されて周囲の人からかわいそう扱いされるのが非常に嫌だった。
うつ病って言ったって一人暮らしだから食材の買出しやら何やらは行くし、地元も田舎なのでちゃんと知り合いに出会う。
気まずい。
令和の今でこそメンタルヘルスの重要性が世の中に認知されてきたが、平成中盤までのうつ病なんて申告しても頭おかしいくらいに見られて終わっていた悲しい時代だった。
というか現代でも心無い人は「お前の心が弱いだけ、甘えんな」とか平気で言ってくるし、まぁそれに関してはもう腹も立たなくなった。
なので両親にも病休のことをどう伝えていいのかわからず、すぐ復調するだろうと思っていたので何も言わずにいた。
結果これが物凄い裏目に出てせまい社会のどこかから親にその情報が伝わり、かち込み同然で両親がやってきた。
今でもこれは恨んでいるが、親父に2時間近く一方的に怒られた内容を要約すると「親に恥をかかせるな」ということであり、今の息子の体調なんか一つも気にした言葉が無かった。
うつ病患者に2時間ガチ説教とか、もうそっちの方が病的だと思う。
こうして実家との関係も悪化し、休職により給料もボーナスもしっかり減る生活が続いた。
次の記事で病状と仕事を辞めるまでの詳細を書いていこうと思う。