拈華微笑。 言葉の限界をこの身が補う。 言葉と行為の振幅の中で 何か一つでも真理に近づければ… それを思いつつ目の前のことに専心する。 成功とか失敗とかいう括りではなく 一挙手一投足が宇宙の顕現なのだと思う。 宇宙は遥か遠くにも今ここにも在る。 共時性の妙が教えてくれる。
生老病死は避けられず 一切皆苦と心して 諸行無常の習いに従い 諸法無我を悟る。 目の前の出来事は 因果応報の顕現。 できることといえば 善因善果と心して 日々精進を続けること。 拈華微笑が分かるまで 只管打坐の毎日を繰り返す。 淡々と。それ自体が面白い。 一生懸命に淡々と。
今ここに在るものは現象に過ぎない。 あらゆるものは様々な要素が混ざり合っている。 本質は無常。千変万化。 変化の波は大きかったり小さかったり。 波に漂い、かつ俯瞰しながら 揺蕩うように生きている。 だから穏やかさを常として 拈華微笑のとなるように。
拈華微笑―あるがまま、模様・形もなき、清でも汚でもなく、非表象からのアプローチ。 釈迦が蓮の華を手折って見せた、そのこころが華を通して伝わったから静かに微笑んだ。人もなく、華もなく、ひとつに溶け合った涅槃寂静。 無いところから有るようになる仕組みを観る、そこからはじめよ、と。