天正6年(1578)6月21日は毛利軍が高倉山で秀吉軍を破った日。秀吉は尼子勝久、山中鹿介らの上月城救援に来ていた。信長の命令で秀吉軍は上月城を見捨てる形で撤退…。鹿介は忠臣として知られ、戦前の教科書に「願わくば、我に七難八苦を与えたまえ」と三日月に祈った逸話が載っていたとか。
永禄9年(1566)11月28日は尼子義久が毛利元就に降伏し月山富田城が開城した日。尼子氏は先代晴久のころが最盛期で山陰山陽8ヶ国の守護を兼ね大内氏と争った。晴久が急死してわずか5年で戦国大名尼子氏は滅亡することになった。二大勢力の間から台頭した毛利氏が山陰山陽を制することに。