見出し画像

上月城 鎮魂の巡礼旅

以前から上月城には行ってみたかった。

大好きな戦国武将『山中鹿介』(鹿之助は当て字 鹿介が正式)が絶望し、尼子一族の再興が夢と消えた場所である。

多くの人が命を落とし、絶望に打ちひしがれた場所『上月城』
今回は満を持して巡礼に出かけることにした。

巡礼前日

本当は14日に行く計画を立てていたが、ドンクサいミスで一日先延ばしになってしまった。

当初の計画では朝から蒜山3座の『下蒜山』に登った後、上月に行けば時間的に余裕のはずだった。
しかーし、下蒜山だと思って登っていた山は何と『上蒜山』!
ここはかなり険しく、時間のかかる山だった。

一番奥が登る予定だった『下蒜山』、写真左の山が『上蒜山』

登山終えて時間を見れば、上月に着くのは夕暮れギリギリになってしまう。
仕方なく、湯郷温泉『竹亭』にチェックイン。
上月城巡礼は明日に持ち越しとなった。

道に迷った話は聞いたことがあるが、登る山を間違えるなんて聞いたことも無い。
情けない限りでございまする(涙)

上月城へ

湯郷から上月までは車で30分程度だっただろうか、すぐに着いた感がある。
上月城資料館駐車場に車を止めて、イザ参らん。

無料の上月城資料館駐車場 土日祝のみ開館らしい

傘がいらない程度の極少雨がぽつりぽつりと降る中、山裾の登山口まで歩いたが、そのわきに石碑らしきものが建っている。
近付いてみると、尼子一族の慰霊碑群が建立されていた。

出雲尼子再興軍

中国地方で勢力を誇った尼子家は当主尼子晴久が亡くなった後、後を継いだ尼子義久の代になって勢力が衰え、安芸の毛利氏の軍門に下った。

それを良しとせず、尼子家再興を目指した山中鹿介とその一党は僧侶になっていた尼子勝久を大将と仰ぎ兵を起こした。

出雲奪還を数度試みるも失敗、手を差し伸べてきた織田信長の配下となって尼子家再興に命を燃やす。

織田家が上月城を毛利配下の赤松氏から奪取すると、尼子党は城の守備を買って出て信長に許可されることとなった。

尼子再興軍の総大将 尼子勝久公の供養塔

しかし、毛利の大群に包囲されて身動きが取れなくなり、援軍の羽柴秀吉も兵数で毛利にかなわず、信長の命令で三木城攻撃を優先させられることとなる。

羽柴秀吉は尼子勢を見捨てることとなり、生涯悔やむことになったと言われる。

大将尼子勝久は嫡男・豊若丸、兄弟の氏久、重臣の神西元通らと共に自害した。
享年26歳と言われる。
山中鹿介は捕らえられ、高梁市の阿井の渡しで惨殺され、ここに尼子再興の夢は露と消える。

赤松一族惨殺

上月城主赤松正範は播磨で5郡を有する勢力を誇り、中国地方最大勢力の毛利氏の配下となり従う事となった。

畿内を平定した織田信長は播磨を次の目標として、配下の羽柴秀吉に播磨攻略を命令した。

この時、交通の要衝だった上月に目を付けた秀吉は、守備している赤松氏に攻撃を開始する。

堅い守りの城とは言え、配下の江原親次の裏切りにより絶対的不利を悟り自刃した。

山頂にある赤松正範公の慰霊碑

秀吉は毛利に対する威嚇のため、城内の男は全て斬首、女性は磔刑、子供に至っては串刺しにしたと言われる。

一説では捕虜の手を後ろで縛り、油をしみこませた蓑を着せて火を着けて苦しみ走る姿を見物しながら「上総踊りじゃ、面白や」と囃し立てたそうな。

戦国の世とはいえ、夜叉・鬼畜の所業である。

城の造り

上月城はどの角度から見ても絶壁が連なっていた。
一目見ただけで容易に登れない城であることが分かった。

山裾の九十九折を登ると、数段に配置されている曲輪が現れる。
斜面に掘られた切堀も数か所あった。

城郭の堅牢さに感心する、まなきねこ

標高は低いが、かなりの堅城である。
山頂は二か所に分かれ、それぞれを尾根道で連結している。

二つの山頂を結ぶ尾根道、人為的に道幅が広げられている。

そこには赤松氏の慰霊碑が建立されていた。
合掌。

山頂から別ルートで駐車場まで下山することが出来るらしい。
せっかくなので別ルートから下山することにした。
狭くて暗い道だったが「まあ、何とかなるだろう」と、いつもの能天気でお気楽に下り始めるまなきねこ。

下には作用川が見える。川の向こうには羽柴の援軍が見えたはずだ。

急斜面でスライディング

かなり急な道を下に進むが、途中で道らしきものがなくなっている。
「変だな、でもまあいいか」と意味のない楽観的観測が仇となった。

下るにつれてドンドン斜面が急になる。
ついには立っていられなくなり、滑って尻もちをついたまま数メートルもスライディングする羽目になってしまった。

手と時計が泥だらけ 怪我はしなかった。

10数分もかけて斜面の下にあった小径に到達したものの、尻と手のひらが泥でベトベトになってしまった。

よくもまあ、けがをせずに降りてこられたものだ。
きっと尼子や赤松、小寺の将士たちの霊が護ってくれたに違いない。
「何とドンクサイ者よ、手間がかかるが見張ってやらねばなるまいな」と声が聞こえて来そうで、恐縮至極に御座候💦

写真では大したことなく見えるが、実際はかなりの急斜面 !

約30分で城を見てきたが、天気も相まって悲しげな雰囲気に包まれていた。
ここで命を落とした者は、さぞかし無念に違いない。
だが、地元の人に慰霊碑や供養をされて今は心静かに、くつろいでいるように感じる。

何はともあれ、怪我も無しに崖をスライディングで下りて来たのは、彼らに守られていたからに違いない。

感謝、そして合掌。

帰りは『道の駅 久米の里』でガンダムを見る !

YouTubeはこちらです 今回は鎮魂の旅なのでBGMや効果音は入れていません。
動画とテロップのみとなっています。 


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?