溢れ出る自己愛…温かい空気で包んでくれる人がいて 絞り出した他者愛…無理して笑っていた僕がいて 「優しい人」と形容されたことはあったけれど、 いい人だと思われていたかったのではないか? いい人だと思いたかったのではあるまいか? 真に、底の 底の方からいとおしむ眼は開かなんだ
人の生命とは?善意とは?正義とは一体なんなのか。仮にアレの仕組みを、身体への影響が未知であることを事細かに説明したなら、使うことを承諾する人はどれだけいただろうか。 …だから薄っぺらい善意だと言うんだ。皆のためにと声高に叫ぶ人が、裏では平気で、楽しそうに人を殴ってるというのに。
本日の一食目。昨日のアート、場、人、時間すべてのプロセスを、味わっての余韻。今朝の電話での対話での気づき、プロセスでまたわたしは覚悟が決まった。やる時はやる子が出てきてかっこよかった!そう、ハラをくくって本気でここからの人生愉しむって決めたんだもん。中途半端に上っ面だけなんていや
それにしてもアレだ。 リアルにしろネットにしろ、今の世の中は「物事の上っ面しか見ない阿呆」ばかりしかいなくて嫌になっちまうな。😠💢
人はそれぞれに思考が存在する。 整理整頓一つでも分かる。 綺麗にするという言葉だけで はっきりしたルールがないと 机のうえや部屋の散らかりは 全く違う。 同じ意識で集まった仲間や同僚であれば 絶えず意識のすりあわせは必要だ。 そうしなければ上っ面の関係で 成長も刺激も何もない
自分自身もそうですが、面倒くさいこと避けすぎてませんか? ただ表面的なところの面倒さで切り捨てて、真の効果を確認せずにやめていませんか? 便利は不便とはいい言葉だなと最近思います。表面には出ない効果は見えにくいがそこを確認しながら便利なものを使うべきなんです。きっと、、、