TakHirao

禅の考え方を、多くの人に分かってもらいたいと思っています。

TakHirao

禅の考え方を、多くの人に分かってもらいたいと思っています。

マガジン

  • 禅語

    2週間に一度記事をアップします。 禅の世界で言われる言葉には、含蓄のあるものが多くあります。そのような言葉をアップしていきます。

  • 平尾のブログ

  • こころに関する記事

  • 禅入門

  • リーダーシップを高めるために有効な能力

最近の記事

  • 固定された記事

禅や古代仏教は宗教ではなく自分学である

2024年の新年を迎えて、私の仏教観/禅宗観を示したいと思います。 まず、「宗教」とは明治時代の翻訳であり、キリスト教や仏教などを一まとめにしたものだということを理解しましょう。すると、キリスト教のように「神」に依存するという教えと、自分の中にある「本性・仏性」に従うという仏教の教えが混在していることがわかります。他に頼る、自らに頼るという、大きな違いが、宗教間には混在しているのです。 そこで改めて、仏教(古代仏教、禅)は他者依存ではないということを強調したいのです。自分

    • 一を聞いてすべてを悟る #禅の言葉

      世の中には、特異な人はいるものだ。あるときに見た景色を、一瞬で記憶して、そのままに絵にしてしまう人もいる。一を聞いて、すべてを悟り切る人もいるのである。 一聞千悟(いちもんせんご)、一解千従(いちげせんじゅう)  一つを聞きすべてを悟る。一つを見れば一辺で埒(らち)が明く。別の言い方として、「上士(じょうし)は一決(いっけつ)して一切了ず」(優れた人は、一度決着すればすべてを理解する)というのがある。禅の究極のところも、そこにあるのだろう。 それに対して普通の人は、多聞な

      • 幸福を感じる一つのアプローチ(937)

        自分で幸福を感じる人は、病気が少なく、寿命が長く、収入が多いという調査結果があるそうです。(幸福を感じない人との比較調査による) 何となくそうかな、と思える調査です。では、幸福とはどのような状態でしょうか。  幸福を科学するものに、本来あるべき正しい方向に向かう状態を検証・実証するポジティブ心理学があります。 ポジティブ心理学の主要な検証・実証分野のキーワードは、「強み」、「レジリエンス」、「ウェルビーイング」です。  「強み」とは、自分自身が持っている長所や能力を意味

        • 悟りは待つものではない

          禅の世界では、悟りを得ることを大切にしています。それは、「悟を待つを則(のり)と為す」というように、自分の中に純粋で清浄なる仏心に気づくことが大切なのだと言っているのです。 このように書くと、日本曹洞宗の道元は反対のことを言っているとお叱りを受けるかもしれません。確かに、道元は『正法眼蔵』「行持(上)」巻で 「大悟を待つことなかれ、大悟は家常の茶飯なり。不悟を願うことなかれ、不悟は髻中(けいちゅう)の宝珠なり」 と記しています。しかし道元の意図を曲解してはならないのです。道

        • 固定された記事

        禅や古代仏教は宗教ではなく自分学である

        マガジン

        • 禅語
          28本
        • 平尾のブログ
          169本
        • こころに関する記事
          56本
        • 禅入門
          25本
        • リーダーシップを高めるために有効な能力
          11本
          ¥400
        • ビジネスで生きている言葉 (#1-#7)
          8本
          ¥500

        記事

          コントロールできるものとできないもの(936)

          世の中にはストレスを感じる人は多くいるものです。なぜストレスを感じるかと言うと、理想があるのに、その理想に届かない現実とのギャップに悩むからです。その中でも、自分がコントロールできないにもかかわらず、そのことをあれやこれやと悩むことがストレスなのです。 一般的には、自分がコントロールできるものについては対応が可能ですから、対応することでストレスを軽減できます。しかし、コントロールできないこと(たとえば、上司が嫌だ、我が家に寝たきり病人がいる、フェイクニュース)は非常に対応し

          コントロールできるものとできないもの(936)

          維摩の病は衆生が原因 #禅の言葉

          『維摩経』の主人公である維摩(ゆいま)居士は、病に苦しんでいたという。これは、「衆生病むが故に、我れ病む」という病気であり、衆生が救われない限り治らないという。しかし、きっと治せるはずだ。どうすればいいのだろうか。どのような薬草があるのだろうか。 通身を病と做(な)す  衆生は(私たちは)、常に四苦八苦の煩悩に惑わされている。禅では、そのような病に対する薬草として坐禅を提供している。坐禅を通して得る悟りが病を克服させると言うのだ。坐禅から得た分別をしないという「無分別智(仏

          維摩の病は衆生が原因 #禅の言葉

          身体を使って学ぶ(935)

          頭を使って学ぶ英語と、身体を使って学ぶ英語では、どちらが効果的に学べるでしょうか。学校教育で、中学・高校と6年間英語を学んでも日常会話ができない人が多いことは周知の事実です。昔は、学校教育では身につかなかった英語を学ぶために、高額の英語教材(テープ学習など)を手に入れて学習するも、途中で投げ出してしまったという人も多いのではないでしょうか。 現代では幼児期から英語を学ぶということが喧伝されています。英語を学ぶ幼稚園すらあるのです。それらは、全身反応教授法(Total Phy

          身体を使って学ぶ(935)

          家を出るということ

          私たちの人生は出家して僧籍に入ることと同じような気がしています。もちろん実際に出家するわけではありませんが、たとえば、次のように対比できるのではないかと思うのです。 ①親に保護されている時代 =出家の前の段階 ②独り立ちする時代(大学入学、就職など) =出家の段階 ③家庭を持つ時代(結婚、出産) =仏弟子を持つ時代 ④家族が巣立ち一人になる時代(死に至る) =死んで釈尊や祖師たちの世界へ ①の時代は、いわば苦しみながら学び生きていく時代です。 仏教的な言い方では、「流転三

          家を出るということ

          「身心」と「心身」の違い(934)

          皆様は、「心身の健康」のことを「身心の健康」と書く、と言ったら、どのように思いますか。結論から言うと、漢字文化の日本の観点から見ると、歴史上は中国における用法としての「身心の健康」が正しいのです。たとえば、「心身ともに疲れる」を中国語翻訳してみると、「身心倶疲」のように変換されます。すなわち、中国ではほとんどの場合「身心」が使われるのです。なお、「身心」は日本語発音は「しんじん」と発音します。 では、「身心」と「心身」の違いを見ていきましょう。 まずは、「身心」です。もと

          「身心」と「心身」の違い(934)

          外に求めるというこだわりを捨てよ #禅の言葉

          声(聞こえる言葉)や色(目に見える色・形)にこだわるのは、「外に福を(利益を)求める」のと同じ。外に求めるというのは、誰かが言ったことに執着し、姿・形・色の美しさに執われてしまうということだ。そのようでは、外にだけ価値があると思ってしまい、あげくのはては堕落してしまう。 声を以て求め、色を以て見れば如来を見ず  金剛経の言葉であり、外に求めるのではなく、内に求めなければならないという戒めである。「家に還る」(本分の家郷に帰る)ようにすれば、自分の中に仏心・仏性を見ることがで

          外に求めるというこだわりを捨てよ #禅の言葉

          人道に基づいた行動とはどのようなものか(933)

          人類は戦争のたびに、大きな悔いを省みるようです。国際赤十字は、戦争で放置されていた負傷者対策の行動を行うために1864年に組織化されました。以降の長い活動の中から生まれたのが、1965年の「赤十字7原則」です。その内容の中心をなすのが、「人間の生命は尊重されなければならないし、苦しんでいる人は、敵味方の別なく救われなければならない」という「人道」です。残りの6つは、「人道」の原則を実現するために必要となるものです。 今、ここで赤十字の人道に基づく行動を考えることは、私達にと

          人道に基づいた行動とはどのようなものか(933)

          言葉では言い表せないもの

          世の中には、「言語によっては表しえない真実が、そのように顕現している」ものがあります。たとえば、「仏とは〜である」と完璧に言い表すことはできませんけれども、仏は色々な形に現れることがあったり、あるいは見えないのだが確かに在るというものだからです。すなわち、ある一つの言い方(「仏とは〜である」)では表現しきれないからです。 そこで、禅宗では仏、仏心などの純粋で清浄なるものを、「恁麼」(いんも)とか「什麼」(なに)、「渠」(かれ)などと呼びます。もともと「恁麼」は、その、この、

          言葉では言い表せないもの

          正しい生き方のための方法(932)

          人間誰しも、できることならば正しい生き方をしたいと思っていることでしょう。仏教では、その生き方を八つ挙げています。それを「八正道」と言います。それらは、ビジネスの世界にも一般生活の中にも適用できるものばかりです。今回は、どのように生きるかを、例示とともに見ていきたいと思います。 ものごとを説明するときには、最初に結論または最も大切なことを言うのが一般的です。その意味で、正しい生き方の第一に来るのが「正見(しょうけん)」です。ものごとを正しく見るということです。その意味は、自

          正しい生き方のための方法(932)

          分別すれば相応した影が現れる #禅の言葉

          ああだこうだと分別すれば、それに相応する偏りが出てくる。何事も空だと自覚した途端に空見に囚われる(「覚(かく)すれば即ち塵(ちり)生ず」)。いずれも、影や塵と呼ばれるものだ。 挙起(こき)すれば分明(ふんみょう)、放下すれば隠密(おんみつ)  影や塵を取り上げれば何もなかった(何も取り上げることができるものがない)と明らかになる。さらに明らかになったということをも放り出せば天下太平の境地に至る。 田地隠密(でんちおんみつ)の処、着衣喫飯(じゃくえきっぱん)  田地は、あ

          分別すれば相応した影が現れる #禅の言葉

          「真理の奥深い智慧」を得る(931)

          前回の#930「暗闇の中に光を見る」で、人々は本来「般若の智慧」(仏の智慧、真理を示す奥深い智慧)を有していると述べました。では、その般若の智慧に気づくために何をすべきかを述べてみたいと思います。 まず念頭に置くことは、貪(むさぼ)り欲する気持ちを捨てて、お互いに見返りを求めない応分の施し(慈愛の言動)をしなければならないというこです。なぜならば、私達は生かし生かされているからです。 そして次に、般若の智慧に気づくために清く正しい常識を遵守すると誓います。いわば、「100

          「真理の奥深い智慧」を得る(931)

          暗闇の中に光を見る(930)

          私達は「何をしていいか分からない」とき、暗闇の中を歩いているかのように感じてしまいます。暗闇とは、乱れてしまって収拾がつかないことを意味しています。向かう方向が見えずに、途方にくれるのです。そのような時、いったいどのようにすれば光明を見出すことができるのでしょうか。 実は、多くの人は光を探して出口を見つけようとするものです。そのときに頼りになるのが自分自身なのです。自分自身に「どうすればいいか」を問いかけると、何らかのヒントが出てくるのです。たとえば、  ・朝になれば太陽

          暗闇の中に光を見る(930)