キリスト教をルサンチマンで転換したニーチェを アウトサイダーでウィルソンが転換したのである
生の無条件の肯定こそ、新時代の思考であり、公理である。 ショーペンハウアーはそのネガティヴな面だけを観、「盲目的な意志」と呼んだが 私はそれを『生の公理』と呼ぶ。
『死ぬよりマシ』という考えは我々に希望を与えてくれる。 だが、この考えが機能するのは「死んだ方がマシ」が機能していない間だけだ。 『死ぬよりマシ』を維持するためには、我々は“生”を無条件に肯定しなければならない。
amazarashi『令和二年』某コメント欄より 「いろんなことがあったのに 何にもねぇ年だったな」 「辛えし難しいけどここから何とかやっていこうぜ、もう一度」
人生は、君が考える以上に面白いのではない。 君が考えられる以上に面白いのだ
つぎはぎだらけでみすぼらしい、でも信念は大概そんなもんだ ーーamazarashi『月が綺麗』
用心深い現実主義的なオプティミズム
私たちは自分の感情と「同一化・一体化」してしまう。 身体のどこがか痛むと「”それ”が痛む」という。「”ぼく”が痛む」とはいわない。 ところが幸福だと「”ぼく”は幸福だ」といい、気がめいると「”ぼく”は気がめいっている」という。