この世には一瞬間を拡大して 人生に勝る価値を抽きだすコトの できる人がいる。 ソレを芸術家と謂ふ そして、キミがそれなのだ
人生の長さは、必ずしもその人を有能には しはしない。 人生の長さが、その人々の有能性に相関関係を もたらすとしても、比例を約束しはしないのだ 人生の長さはあくまでも主観的な資源であり ソレをどう使うかは今この時"だけ"の 自分に残酷にも委ねられている。 夜は短し、急げよ仔羊
我々の灰色の脳髄は 知らぬ間に CMと広告と"その他諸々の情報洪水"によって グチャグチャなのではないだろうか
キリスト教をルサンチマンで転換したニーチェを アウトサイダーでウィルソンが転換したのである
生の無条件の肯定こそ、新時代の思考であり、公理である。 ショーペンハウアーはそのネガティヴな面だけを観、「盲目的な意志」と呼んだが 私はそれを『生の公理』と呼ぶ。
『死ぬよりマシ』という考えは我々に希望を与えてくれる。 だが、この考えが機能するのは「死んだ方がマシ」が機能していない間だけだ。 『死ぬよりマシ』を維持するためには、我々は“生”を無条件に肯定しなければならない。