格差の歴史
本書の特徴は、現代アメリカの格差社会の実情をレポートするのみならず、その格差社会が成立した歴史的・政治的背景についても詳細に解説しているところにあります。
アメリカの格差社会は、レーガン・クリントン・ブッシュJr政権下で益々拡大していったといいます。レーガンの時代は税制度の変革によって、クリントンの時代は資産の証券化に代表される金融商品の登場によって、より持てる者への富の移動が行われたのです。
そして、ブッシュJrの時代は、イラク侵攻に代表されるあからさまな石油・軍需関連企業への傾斜政策の実行に明け暮れました。
今回の金融危機に際しても、アメリカ社会に対して感じる強烈な違和感があります。ストレートに言えば「金儲け礼讃主義」です。
この点について、著者は「アメリカン・ドリームと金権体質の歴史」の章でこうコメントしています。
本書であきらかにされている移民・建国以来のアメリカの歴史は、コンパクトではありますが非常によく整理されているように思います。
「移民」の国であるということ、そして移住当初からの富裕層、その後フロンティア拡大のフェーズでの成功者層、それらの系譜が数百年間脈々とアメリカ社会において大きなポジションを占めていることを改めて認識することができました。
その点では、やはりアメリカは“稀有の国”であり、この国の形は、ある価値観からいえば、一つの成功事例かもしれません。
しかしながら、歴史を異にする国々にとっては、必ずしも容易に模倣できるようなお手本ではないような気がします。
それでも夢のある国?
著者は、本書で、現在のアメリカを少なくとも経済的な観点からは「超格差社会」だと断じています。
しかしながら、そういう厳しい社会においても多くの人々は、何故かその他の国より楽天的です。
このオプティミズムは、移民の国として始まり、皆が同じく機会を求めて努力した経験によるもののようです。個人の努力に対してフェアな感覚があるのです。
そして、本書で著者が指摘している重要な点は、そのオプティミズムをリアルなビジネスに結びつける仕掛けをアメリカが有しているという点です。それは「クリエイティビティを事業化する仕掛け」です。
この仕掛けが機能していることは、オプティミズムを活性化するスパイラルとなり、アメリカにおいて両者は共生関係を築いているようです。
最後に、アメリカと日本との比較から、著者が指摘する「日本経済活力低下の原因」についてのくだりです。
こういうコメントに触れると、日本とアメリカとの決定的な相違は、ベンチャー企業を育てる意思を社会として持っているか否か、特にその具体的な担い手である金融機関にそういう企業育成スピリットがある否かという点だと改めて思います。