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#エッセイ
言葉の檻のなかで吼えている獣 中島敦の詩的遍歴 #4 「文字禍」
言語の限界と「現象to現象」
僕たちは膨大な情報量の世界を見ています。あるいは、夢を見て、目覚めたあと、誰かにその夢の光景を語ろうとする。ポツポツ……と思い出した光景の断片を言葉にしていく。が、まったく夢の全貌が伝わらなくてもどかしい。などということは日常的によくあるわけで、僕たちはものを「考える」とき、言語外の認識もしているのです。そして、それを、自分なりに「落とし込む」ときに、言語化するんで
言葉の檻のなかで吼えている獣 中島敦の詩的遍歴 #3「木乃伊」
亡霊が見ている
みなさんは旅行に行く際に、事前に下調べをするでしょうか。
せっかく行くのだから、観光名所と呼ばれるものはすべて見ておきたい。そんな思いから、事前にどんなところか調べて行く人が多いのではないでしょうか。近頃はSNS上にいろんな写真があがっていますから、ああこんなところかあ、なんて感心してから行って、ああ、やっぱりこんなところかあなんて言って帰ってくるなんてことは多いでしょう。まあ、
言葉の檻のなかで吼えている獣 中島敦の詩的遍歴 #2「狐憑」
動物の歌
今回も中島敦の歌からはじめましょう。動物園でも見に行ったのでしょうか。
他にも狸だとか黒豹だとか孔雀だとか縞馬だとか梟だとかいろいろといるわけですが、なかなかの乱暴を働いている歌ですよね。駝鳥をみて、「こいつ骨董屋で見た顔だな……」ですからねえ。かなりお茶目な感じだったのでしょう、敦くんは。
とういう冗談はさておき、僕はこの動物への共感と眼差しにはちょっと思うところがあります。これも
言葉の檻のなかで吼えている獣 中島敦の詩的遍歴 #1「古譚」のなかの「山月記」
中島敦の遍歴
中島敦と言えば、だいたいの人が高校二年生のときに読む「山月記」でその名を知ることになりますよね。それで、その難読漢字の多さと堅苦しい文章に辟易することになるのが通例なわけで、そのうえ中国古典の「人虎伝」をもとにしているということを国語の先生から示されて、「李陵」なんていう作品もあるんだってことまで習えば、「中島敦=中国古典っぽい人!」という印象が根付くわけです。が、ご覧の通り、この
【詩的生活宣言*3】詩を、つくる教室。
「詩集をつくらないと」と思い立ったのは、今年の三月くらいでした。
転職をずっと考えていたところなのですが、結局、自分が何をするにせよ、自分がいったい何者であるのか、どんなことができる人間なのかを示す名刺になるものがほしかったのです。
僕は、詩は何か別のものとの親和性がとても高いものだとずっと思っていました。「詩は、ファッションである」で主張したように、そもそも詩的な何かというのは、何にでも宿っ
海がきこえる旅 #1 | 20220802
『海がきこえる』からはじまる
仕事も一段落ついたので、オンシーズンの佳境に入るまえに旅に出ることにして、今年の夏は、高知に行ってきた。
さて、どこに行こうか。なんて、ハードワークがつづいて考える暇もなかったが、まえから熊野古道を歩いてみたいとか、遠野に行きたいとか、そういう気持ちはあった。登山グッズもそろえたことだし、今年こそ熊野に行くか、とも思ったが、何にせよこの暑さのなかで山歩きというのも
割れてしまう卵であったとしても。―—共通テスト感慨 | 20220130 | #フラグメント やがて日記、そして詩。25
共通テストのあまりよくないニュースが相次いでいる。
地震やコロナの感染拡大、異常気象を含めて、これだけ世界が不安定な情勢にあるなかで、全員同じ試験を、同じ条件で、同じ時間に受験しようとするシステム自体がもう限界なのではないか考えてしまう。
通信技術も飛躍的な革新が起きていて、何もかもが小型化・誰もが常時オンライン状態で生活しているなかで、完全オフライン状態を作りだし、公平公正に試験を受けるとい