デクノボーって誰?何者?絶望の人生を歩み今に至るまで
こんにちは、デクノボーです。
今回は、
・デクノボーは何者なのか?
・これまでの人生
・この活動の目的
などについてお話していこうと思います。
まず簡単に僕の人生を説明すると、
中学時代、イケイケな感じで「俺は無敵だ」とイキり散らかす
→高校時代、初日から飛ばしすぎてにいじめにあう
→対人恐怖症、希死念慮、うつ病を発症
→社会人になり、あまりに仕事ができなすぎて病む
→検査の結果ADHDと発覚
→自分の生きる価値がわからなくなりうつ病が加速
→会社をやめて心機一転、自分でビジネスを始める
→ブログで月収100万を稼ぐ
→お金を稼いだのに病み、幸福になれず絶望
→幸福とはなにか、幸福になる方法について調べまくる
→ヨガでに出会う
→現在はうつ病、希死念慮が改善され幸せに
簡単にまとめるとこんな感じです。いや〜こうやって振り返るとほんっっっと波乱万丈な人生ですねぇ!密度濃すぎでしょぉ!誰の人生ですかこれ???っっってまあ僕の人生なんですけど笑
ここからはこれらのエピソードをちょっと深堀りしてお話していきたいと思います。
イケイケでイキリ散らかしてた中学時代
まず中学時代の僕は、まあ勉強やら部活やらに打ち込んでいる、いわゆる普通の中学生というか笑
で、まあなんか結構友達とかも多くて、気づいたらみんなの輪の中心にいるというか、結構イケイケ?な感じで、しかも真面目に勉強とかもしてたんで結構成績も良くて、先生からの評判も良好、友人からも一目置かれて、近所でも「お宅の息子さん立派ね〜」みたいな笑 もう四方八方オールオッケーという笑
だからこの頃の僕は
「いやいや、人生楽勝すぎん?www」
「実は俺って最強なのでは….笑」
みたいな感じでピノキオもびっくりなくらいの天狗になってたんですね笑 まあ簡単に言うと、調子に乗っていたと言うか、イキってたと言うか笑
そんな感じで中学生活を謳歌してたんですね笑
でまあ、話は若干それるのですが、僕がアニオタになったのもちょうどこの頃でして笑
最初は「ハヤテのごとく!」って作品にハマり、ヒロインの三千院ナギちゃんにガチ恋してしまって、、、笑
このキャラにドハマリしてからというもの、完全に僕の性癖がネジ曲がりまして笑 「金髪」「ロリ」「ツインテール」という「キモオタ三種の神器」を手に入れた僕はロリコン街道を歩み始めたわけですね。
で、この作品を皮切りに萌えアニメにガチハマりしていって笑
・けいおん
・まどマギ
・クラナド
・化物語
・とらドラ
と、この辺の作品にどっぷりハマり、完全なる「キモオタMark2」が爆誕したわけですね。
一見関係ないように見えるこの話も、実は後の話に大きく関わってきます笑
初日にやらかして完全に浮いてしまった高校時代
でまあ話を戻して、死ぬほどイキり散らかしてた中学生時代。こんな調子で、「まあ高校も楽勝っしょ〜〜〜、この俺なら!(キメ顔)」みたいな感じで登校初日を迎えるわけですね。
今思えばこの日が僕のすべての絶望の始まりでした。
登校初日早々、とにかく友達を作らなきゃ!って必死になっていた僕は、なんというか、ものすごいテンションを爆上げしてクラス中の人にダル絡みしに行ったんですねwwwww
というのも、中学時代の僕は、どっちかっていうと真面目というかおとなしいと言うか笑 「ウェーイwww」みたいな感じのキャラでは別になかったんですね。
で、中学時代は(今もですけど)まっっっったくと言っていいほど女っ気がなくて笑 全然モテなかったんですよ笑
で、その中学時代にモテてるやつっていうのは、どっちかっていうとお調子者というか、声がでかいというか、テンションが高いというか。そんな感じの目立つ感じのやつがモテてたんですよ。
そしてさすがは思春期。高校入ったらね?やっぱモテたいじゃないですか?高校デビュー的なのしたいじゃないですか?
「今までの真面目なキャラを払拭して「ウェーイwww」みたいなキャラになるぞ!」
「これでおいらもモテモテだ!!!」
みたいな笑
そんなよくわからん幻想を抱いていたのが引き金で、登校初日のまだ別にみんなそんなに仲良くもない状態なのに、一人だけテンション爆上げしてクラス中の人にダル絡みしに行ったと笑
その結果どうなったかわかりますか?そう!
完全にクラスで浮きましたwwwwww
なんか「あいつうざいから関わるのやめようぜ〜」みたいな感じのノリができてしまって、なんかクラスのみんなが僕と話すときすごい嫌そうというか笑 で、最終的にはいじりがエスカレートしていじめみたいな感じになって、まあ殴られたとかそういうのはなかったんですけど、「お前ってうざいよな〜w」「キモいよな〜w」みたいな扱いになっていき、
「あれ?なんかモテようと思ってテンション上げたのになんかキモがられてね?てか嫌われてね?泣」
みたいな感じになっていって、無事高校デビュー失敗。花の三年間を完全に「キモくてうざいやつ」として生きていくことになったんですね。
で、さらには担任の先生からも完全に目をつけられて笑 というのも、中学までは成績優秀な僕だったわけですが、高校になるとめちゃくちゃ難易度が上がって、しかも周りのみんなもすごい優秀だから、もう完全に置いてけぼりというか、めちゃくちゃ劣等生みたいになったんですね。
特に僕は数学が苦手だったんですが、担任の先生が数学の先生で、しかも学校一恐れられてる先生だったんですよ笑 そんな先生に完全に目をつけられてしまった僕は、課題を出すのを忘れたらブチギレられ、数学のテストを返却するときにあまりの点数の低さにブチギレられ、挙句の果てに廊下ですれ違っただけでブチギレられるという笑 いや〜、もう散々でしたね笑
なのでもう完全に学校には一人も味方がいないというか笑 毎朝敵陣に乗り込む気持ちで登校してましたね。
で、今まで僕が持っていた
・友達が多い
・勉強ができる
・周りの大人が褒めてくれる
みたいなものに対するプライドがすべて崩れ去り、もう完全に自分の存在意義がわからなくなってしまったんですよね。
それがきっかけで、うつ病みたいな感じになり、対人恐怖症を発症し、希死念慮に苛まれるという地獄の日々がスタートしたんですね。
もうひどいときは本当に死にたくて死にたくて、
「自殺 やり方 くるしくない」
「自殺 初心者 簡単」
みたいな感じで調べてましたね。
今思えば「自殺 初心者」ってなんやねんとwww ツッコミ入れたくなりますけど笑
まあそんな感じで絶望してた僕ですが、
「なんとか挽回、いや、卍解したい!」と。
「俺が頭良くなって成績良くなれば全員見返せるじゃん!よっしゃ革命だあああああ!」
みたいな笑
そこからは死ぬほど勉強を始めるんですね。もう多いときは一日10時間以上する勉強みたいな笑
で、周りは友達と遊んだり恋人作ってイチャイチャしたり青春まっしぐらなわけですよ。当時友達も全然いないし恋人なんて当然いない僕は、そういうい人たちを斜に構えてみてたというか、
「いいさ、俺には勉強という愛しき恋人がいるからな……」
「今遊んでないで真面目に勉強してるやつが将来勝つんだぜ……?」
みたいな、今思えば痛すぎるんですけどwww こんな感じで今の自分の惨めな状況を「いや、俺には勉強があるから」って言ってどうにか慰めていたわけですねw
で、死ぬほど勉強しまくって迎えたセンター試験当日、
見事爆死wwwwwwwwwwww
模試でも取ったことのないような点数を叩き出したんですよねw しかも恋人作って遊びまくってた人たちのほうが僕より遥かに良い点数を叩き出しているというwwwww
でまあ、うちの親からは
「うちは私立行かせるお金はないから、国公立に行きなさい!」
みたいなことをずっと言われてたので、泣く泣く僕の点数でも行ける大学を探し、なんとかそこに合格し、そこに入学するという。
いや〜〜〜〜〜、もう本当にあのときは惨めで惨めで、
「え、俺の今までの三年間って一体なんだったんだろう…….」
って感じでほんっっっっっとうに人生に絶望しましたよね笑
僕未だに覚えてるのが卒業式で、なんていうかそりゃね、三年間もいたら少しは愛着も湧くもんじゃないですか?あんな思い出こんな思い出あったな〜(しんみり)みたいな。
で、僕も卒業式くらいはさすがにしんみりくるかな〜なんて思ってたんですけど、三年間を振り返ったときに一っっっつもいい思い出がなくて笑泣
だからなんかみんながちょっとしんみりしてる中、僕だけ死にそうな顔してたのを覚えてます笑 「あ、人ってこんなに感情が動かない瞬間ってあるんだな」って、そのとき思いましたね笑泣
あまりにも仕事ができなくて電車に飛び込もうとした会社員時代
ここで話はいきなり会社員時代に飛びます。大学生時代のことも書こうと思ったのですが、特に目立ったエピソードがなくて笑 ただダラダラと4年間過ごして時間を無駄にしてしまったというのが僕の大学生時代です笑
で、ここからは会社員時代。
「今まで勉強では結果が出せなかったが、今度は立派なシゴデキの社会人になってみんなを見返してやるぞ!」
みたいな笑
なんかこう振り返るといっっっつも誰かを見返したがってますね僕って笑 どんだけ劣等感の塊だったんでしょうかね笑
まあそんな感じで非常にメラメラの状態で入社するんですね。
で、結果は
惨敗wwwwwwwwwwwwww
仕事して初めてわかったんですが、僕ってもう想像を絶するポンコツというか無能だったんですよね。
具体的にどんな感じだったかと言うと、
・大事なことをメモしない、なので同じことを何度も聞く
・メモを書いてもなくす
・メモが見つかっても字が汚すぎて読めない
・スケジュールが立てられない
・やれと言われたことを忘れる
・ミスがあまりにも多い
・何度も同じミスをする
なんかこうやって書いてるとあまりにも自分が無能すぎて悲しくなってきますわ……泣
まあこんな感じの超絶無能社員だったんですね。
しかも、なんかこれ多分ADHDあるあるだと思うんですけど、なんか第一印象の「コイツ…できる!」感を出すのが割とうまいっぽくて。 だから面接とかなんか結構得意だったんですよね笑 なんかまだなにもしてないのに有能判定されるというか、実力以上に過大評価されてしまうところがあるというか笑
ただでさえ無能なのに、必要以上に期待値も高まっちゃってるもんだから、蓋を開けたときの僕の仕事ぶりには先輩社員たちは戦慄したでしょうね笑
こんなんでしたから毎日毎日毎日毎日上司から怒られ怒られ……ただでさえ鬱っぽくて希死念慮な感じだったのが、これによって更にエスカレートしていったんですね。
もう精神的にやみ過ぎて、当時は電車を待っているときに
「ああ、あと数歩歩いたら、ただそれだけで楽になれるんだよなぁ..…」
とか
怪我をしたら会社休めると思って、歩道を歩いてるときにわざと車道にはみ出て歩いて
「ああ、轢いてくれないかなぁ、轢いてくれたらしばらく会社休めるなぁ…..」
みたいな。今思えば精神が完全に狂っちゃってますけど、でもこれ本当にリアルにこんな感じだったんですよね笑。
もちろんこのままじゃだめだと、思ってミスしないようにありとあらゆる策を講じていったんですね、いわゆる「有能な会社員になるために仕事術!」みたいな本とか買い漁って読んだりして笑
でもね〜、どうやってもやっぱりミスが減らなくて泣
自分でも
「え、なんでこんな小学生でもできるようなところでミスしてるんだろ〜?\(^o^)/」みたいな笑
で、流石にこの辺で薄々感じ始めるわけですね
「あれ?俺ってなんかおかしい???もしかして俺って健常者ではないのかな???」
みたいな笑
今思えば、割と小さい頃から、周りからもそのようなこと言われてたんですよね。
親とか友達とかから
「お前って変わってるよな〜」
「普通じゃないよね」
みたいな笑 今思うと結構ひどいこと言われてる気がするんですが笑 でも当時の僕としては
「え?変わってる?普通じゃないですって?それって俺がみんなと違って超個性的ってことでしょ?最高の褒め言葉じゃーーーんwwwww」
みたいな笑 もうこの時点で普通じゃないんですけど笑
で、「自分ってちょっと異常者なんじゃね?」と思って色々調べてみるとADHDっていうのの存在を知って、症状見てみたら…..
「これまんま俺やん笑!!!\(^o^)/」
「え、このADHDの症状って僕のこと観察した人が書いたんですか?笑」
みたいな笑 もう俺のストーカーが書いてるんかってくらい症状がビタビタに当てはまってて笑
それで診断を受けに行ったら、見事陽性でwwww 自他ともに認めるA一人のDHDが今またここに爆誕されてしまったわけですね笑泣
もちろん普通の人間だと思ってた自分が実は障害者だったっていうショックもあったんですけど、それ以上に
「え、こんなどうしようもない自分がこの世に存在し続ける意味ってなに???」
っていうのがものすごいショックで。
だって普通の人間は普通に働いて成果を出してその対価としてお金をいただいて生計を立てていくわけじゃないですか?本来0の状態だったものを10、20と成果を増やしていき、その対価でお金をいただくわけじゃないですか?でも僕の場合は、自分が仕事を頑張れば頑張るほど、0の状態だった仕事を-100、-5000みたいになっていくんですよ? いやこれまじですからね?笑
でも成果は出さなくても会社はお給料くれるわけですよ。自分より遥かに会社に貢献している人も出社してはみんなの足引っ張るだけの僕が同じ給料をもらってるわけですよ?
「え、いいやいや、じゃあ僕の存在意義って何?笑」と。
「だってなんの貢献もできてないのにお給料だけもらってるって、泥棒と何が違うんだ?そんな存在だったらこの会社にいないほうがいいし、なんならこの社会にいないほうが良いじゃん!?」
ってなって笑 いよいよ僕の生きる意味が失われてしまったわけですね笑
僕の全ての人生と尊厳を賭けたブロガー時代
そんなわけでついにこのまま生きていく理由が失われてしまった僕でしたが、でもかといってやっぱり死ぬのは怖いじゃないですか?痛いの嫌だし笑
「なんとかADHDの僕が存在してても良いようなルートは存在しないだろうか……」
と思って色々考えてたどり着いた結論、
「そうだ、起業しよう笑」と。
というのもADHDってあくまで会社員みたいなミスが許されないような細かい業務というか、そういったものは苦手なんですけど、逆に言うと普通の人が持っていない個性を持ってるってことでもあるんですよ。
具体的に言うと、
・ものすごい行動力がある
・ハマったときの熱量、過集中がやばい
・普通の人では思いつかないようなことを思いつける創造力がある
こんな感じの特性を持っているんですよ。
つまり「普通の人があたりまえにできることができない」ってことは裏を返すと「普通の人にはできないことができる」って意味にもなり得るんですね。その部分をうまく活かすことができたら、それは逆に武器になり得るんじゃないかと思ったんですね。
そして調べてみたらなんかいわゆる凄腕の経営者とか成功者とかってADHDの人が結構多いらしくて。
具体的には、スティーブ・ジョブスとかエジソンとかイチローとか…..
まあ僕がこれらの人物と同等だなんて思い上がりも激しすぎるだろと今となっては思いますが笑
でもこれだったらイケるかもと、というかこれ以外に僕の生存ルートって存在しないやんってことで、まさに僕の全人生を賭けた大勝負をすることを決断したんですね。
そして、もう一つ理由起業しようと思った理由があります。話は遡りますが、僕は高校時代のいじめをきっかけに、うつ病、対人恐怖症、希死念慮発症しました。実はこれらこのときになっても全く完治しておらず、むしろ会社員時代を経て、より一層それらの症状が悪化したんですね笑 で、これどうやったら治るんやろっていうのはずっと考えてたんですね。
で、僕が出した一つの結論は、
「やりたいことやれてないのが原因なんだ!」でした笑
なんかどこかで見たのが(多分2chかな?)、「うつ病の人に1億円渡して豪遊させたらうつ病なんて治るやろ」みたいな笑
確かにこれは真理何じゃないかと思ったんですね。なんでこんなに息苦しいのかっていうと、結局自分がやりたいことができてないことが原因で、かつ、自分がやりたくないことをやらせているからなんじゃないかと。
当時僕の夢というか野望は、
・モテまくりたい
・可愛い女の子を抱きまくりたい
・周りの人間を見返したい
・死ぬほど美味い飯を毎日食べ続けたい
・自分が欲しいものを買いまくりたい
この欲望をすべて満たしまくれば、そりゃ〜〜〜ハッピーになってね?うつ病なんか治るだろと。毎日生きたくて生きたくてしょうがなくなるだろうと。
で、これらの欲望って、全部お金があれば解決できるんじゃね?wって思ってんですよ笑
だってお金があれば女の子からモテまくるだろうし、お金があれば毎日風俗に行って可愛い女の子とHできるだろうし、お金があれば周りの人間も一目おくだろうし、美味い飯もほしいものも結局お金があれば……
金、金、、金、、、金、、、、、、、金だ!!!!!!!!
この瞬間、周りもドン引きするほどの金の亡者という化け物が誕生したんですね。
で、これらをモチベーションに起業してお金稼いでハッピーになってやろうと。
でも起業するったって何すれば良いのかもわかんないし、ビジネスとか全然わかんないし、資金も全然ないし笑
で、何をやろうかと色々調べて、たどり着いたのがブログだったんですね。
ブログだったらパソコンがあればできるし、起業する資金もほとんどかからないし、失敗してもほとんどノーダメだし、みたいな笑
でもなんのジャンルでブログやろうかなと。僕が人になにか教えてあげられるようなそんな詳しい分野あったかな〜って........…
さあここでようやく第一部の伏線が回収されるわけです。
「そうだ!俺は生粋のアニオタ(キモオタ)じゃないか!」と笑。
「アニメのことだったら人に教えてあげられるかも!」
と思い、アニメブログをすることに決めたんですね笑
それからの行動は早くて、まずは会社を辞めました笑 相変わらず行動力だけはエグいんですよね笑 そして生活資金はUberEatsで最低限稼いで、そして捻出された時間はすべてブログ執筆に充てようと。
そして、あんまりダラダラやってても惨めなだけだし、親も心配するだろうしなと思って、
「3年で結果が出なかったら、そのときは首を吊ろう」
という誓いを立てたんですよね。すべての退路を断ち、完全に背水の陣でのぞみ、言い訳の余地を完全に排除し、すべての人生を賭けようと。それで結果が出なかったら潔く散ろうと。
そしてそれからは、UberEatsの時間、そして風呂トイレ食事睡眠以外の考えうる可処分時間はすべてブログの執筆時間に充てるという生活を続けたんですね。
最初の頃はもう本当に、全然見られないし、やっぱり無理なんじゃないかと絶望してたんですけど、でももう戻ろうにも退路はなかったので笑 もうひたすらにブログを頑張り続けたんですね。
そしてその結果、1年が経つ頃にはブログで食っていけるくらいの収益を出すことができるようになり、1年半経つ頃には一つの目標にしていた月収100万円を達成することができたんですね。
ついに人生クリア!!!かと思いきや、、、、、
「やった!やったぞ!!!ついにやった!!!」
「俺は生きる意味を見つけたぞ!」
「ここからが本当に幸福な人生のスタートや!!!」
まさに有頂天、このとき僕は人生クリアを確信したんですね。
ですが、なぜかここからさらなる地獄に突入していくんです。この点について僕は詳しく話さなければなりません…….
まずお金。月収100万。確かに月収100万は達成したのですが、この言葉にはトリックがあって確かに「月収100万を達成した」これは本当なのですが、「ずっと月収100万だったわけではない」というトリックがあるんですね笑 実を言うと僕が月収100万を達成したのは一回だけ。ほとんどの月はだいたい月収20万〜50万くらいで推移してました。
なんでこんなに振れ幅があるの?って話なんですが、これはブログをやったことがある方ならわかると思うんですが、ブログって基本的にGoogle検索で自分の記事を上位表示させて、そこからお客さんを呼び込んで商品を売ってお金を稼ぐってビジネスモデルなんですね。
で、このGoogle検索で表示される順位って、か〜〜〜〜なり変化が激しいんですね。それはいろんな要因があるんですが、
・自分の記事より高品質な記事を書くライバルが現れる
・大企業が参入してくる
・Googleが、順位を決めるルールを突然変更する
などなど。昨日まで検索結果1位に表示されていて月30万売り上げていた記事が、次の日には圏外になって収益0になったみたいなのってザラにある話で笑
だから検索上位に表示されたらそこで終わりではなくて、常にずっとアップデートし続けなければいけなくて。ゴールが見えないマラソンをずっと続けなきゃいけないような。
あの頃は毎日収益見ながら、下がることに怯える日々でしたね。ちょっと下がったら絶望、思いっきり下がったら死亡、みたいな笑 まっっっったく幸せじゃないんですよ、お金は稼いでいるのに笑
お金は稼いでいるんだけど明日にはその収益が吹っ飛ぶ可能性があるから、全然お金を使えないというか笑
さらに人間って不思議なもんで最初は月収100万稼いだら十分だ!って思うじゃないですか?いざ月収100万稼いだら全然満足できなくなるんですよ。SNSとか見てると自分より年下なのに「月収1000万です」「月収1億です」みたいな人がいて萎えるみたいな笑
だから今度は月収1000万だ!って頑張るみたいな、よくある話なんですね。
でも僕はここで思ったんですよ
「え、これって結局終わりなくね?」って。
だって仮に月収1000万達成したら今度は1億欲しいってなるだろうし、1億稼いだら今度は100億ほしいってなるだろうし。
つまり稼いでも稼いでももっともっと欲しいってなってくから、このままいったら一生満足ができないというか。それって地獄じゃね?って思って笑
あと、お金って稼げばお金の心配ってなくなると思うじゃないですか?でも実は逆で、お金って稼げば稼ぐほどにお金の心配って増えていくんですね。それはなぜかっていうと、大金を失う恐怖が出てくるからです。
例えば所持金1000円だったら、別にそれが失われてもそんなに苦しくはないじゃないですか?でも所持金100万だったらどうでしょうか?それ失われたらものすごい苦しみになりますよね?大金を手にするとそういった恐怖というか苦しみも出てくるんですよ。つまり、失うものがないっていうのは実はすごく幸福なんですね、失う恐怖がないから笑
「なんかお金稼ぐ前よりお金の心配増えてね?」って途中で思ったのを覚えてます笑
まあまとめると、お金を稼げば幸せになってすべて解決するとおもったんですけど、蓋開けてみたら稼ぐ前より稼いだあとの方が不幸になっていたというお話です笑
で結局、社会的な成功と思われるものは実現できたけれども、結局うつ病も希死念慮も治らずむしろ悪化するみたいな笑
ほんっっっと僕の人生って救いようがないですよね笑 頑張れば頑張るほどに前より悪化していくという笑
本当の幸福を探し求める。そしてついに、、、
で、このまま続けても幸福になれないどころかうつ病は悪化していくばかりだと思って、ブログを更新するのを辞めたんですね。
で、ここでようやく思うわけです。
「幸福ってなんだろう?」って笑
そもそも僕らが思ういわゆる幸福といわれてるものって、例えば
・お金がいっぱいある
・可愛い彼女がいる
・社会的に成功している
みたいな感じですよね?まあ僕もそれが幸福だと思ってここまで走り抜けてきたわけですが。でも実際にこれらを達成してみたら逆に不幸になったわけですよ。それってつまり僕が思ってた「幸福」の定義がそもそも間違ってたんじゃないかと。
よく考えてみたらこの僕らが思っている「幸福」って他人から押し付けられたものじゃないですか?つまり「周りが幸福とはこうだって言ってるからきっとこうなれば幸福になれるんだろう」みたいな。よく考えたら「幸福とはなにか」という問いに自分で真剣に向き合ったことはなかったな〜と。
なのでまずは「幸福」という概念を自分の中で再定義し直そうと思ったんですね。
で、色々調べて色々考えて僕がたどり着いた幸福の定義、それは
「心が幸福な状態であること」
だったんですね。
「いや、そんなん当たり前だろ!?」
そう、もうめちゃくちゃ当たり前なんです。もう笑っちゃうくらいに。
でも僕らはそんな笑っちゃうくらいに当たり前のことを本当の意味で理解できていなかったんですね。
僕らは幸福になろうと思ったら、外側の条件を整えようとするじゃないですか?例えばある人はお金を稼ごうとしてみたり、ある人は恋人をつくろうとしたり、ある人は健康で若々しくあろうと努力するかもしれません。
ですが、これらはすべて苦しみの因にかわってしまうんです。なぜならこの世には「諸行無常」という法則が働いているからです。
平家物語でなんかやりましたよね?「諸行無常の響あり….」みたいな笑
諸行無常の意味は、「全てのものは変化し続け、永続するものは一つもない」といった感じの意味です。この法則がこの世には働いているんです。
それは周りを見ればそうですよね?例えば老いない人はいないし、死なない人はいないし、物だって時間が経てば必ず経年劣化しますよね?全てのものは変化し続けていて永続するものは一つもないんです。
で、この法が働いているこの世界で、移り変わるゆくものに執着すると、それは苦しみの因になってしまうんですね。
例えば恋人。恋人画できて最初は嬉しくて好きで好きでたまらないと。でも諸行無常の法則が働いているから最終的には必ず死んでしまい、別れなければならないと。このときその子を好きであればあるほど苦しみは増してしまいますよね?
あるいは健康や老い。どんだけ健康でいようと、老いないようにしようと頑張っても、病気にかからない人はいないし、老けない人はいないですよね?にもかかわらず健康な状態、いつまでも若々しくいたいと思うから、そうならなかったときに苦しみが生じてしまうんですよね?
あるいはお金。これは僕の先ほどの話でわかると思いますが、ずっと大金を稼ぎ続けることができる人なんていません。にも関わらず、お金持ちである状態に執着しているから、お金がなくなったときに苦しくなってしまうんですよね?
以上のことから、
「我々は外側の条件を整えようとするけれど、それらはすべて諸行無常だから、執着すればするほど失うときに苦しみが生じる」
ってわけなんですよ。これがお金を稼いでも恋人を作ってみても幸せになれない理由です。
じゃあどうすれば幸福になれるのか?ここでさっきの話に戻るわけですが、「どんな状況にあっても幸福な心」これを作り上げることができたらその人は絶対に幸福になれるんですよね。
この心があれば、例えばお金があろうがなかろうがその人は幸せだろうし、恋人がいようがいなかろうがその人は幸せだろうし、健康だろうが病気になっていうようがその人は幸せなんです。なぜなら「心が幸福な状態」だから。
つまり我々はお金とか恋人とか、自分の外側にある無常なものに幸福の因を求めるから、それらが失われたときに不幸になってしまうんです。そうじゃなくて、「どんな状況にあっても幸せな心」を作り上げることができたら、どんな状態であったとしてもその人は幸福じゃないかと。
これこそが僕がたどり着いた本当の幸福の定義です。
で、そこから僕は心を幸福にするためにいろいろ調べて、ひたすらに実践していきました。
心理学、精神医学、哲学、自己啓発……
でもどれを試しても効果が得られず、幸福になることはできませんでした。
そして最後にたどり着いたのが「ヨーガ」と「仏教」だったんですね。
ヨーガって聞くと「え、あの主婦とかマダムたちが美容目的でやってる、あのヨガ?」
って思われると思うんですけど笑 でも本来ヨーガというのは、「自分の心を制して幸福な状態に持っていくこと」を目的として生み出されたものだったんですね。で、「なんかヨーガやると美容にも効果があるぞ!」ってところに西洋の人たちは目をつけて、今流行りのフィットネス的なヨーガが誕生したんですね。ですが本来のヨーガというのは、つまりは「実践心理学」というか本当の意味での「幸福哲学」みたいなところがあるんですね。
また仏教と聞くと、「え?宗教かよ」って思われるかもしれませんが、まあ僕も最初はそう思ったんですけど笑 確かに宗教ではあるんですけど、勉強してけばしていくほどの「あ、仏教って僕が思っていたような、いわゆる信じれば救われる的な迷信めいた胡散臭いやつじゃなさそうだぞ」って思い始めて笑 どっちかっていうと哲学というか、心を幸福な状態にするために必要な考え方や取り組み方が説かれているものだったんですね。
で、わらにもすがる思いで、今に至るまでかれこれ約2年ほどヨーガと仏教に取り組んでみたのですが、
ようやく、、、、ようやくうつ病と希死念慮が治り、幸せな状態になれたんですね。
前までは毎日毎日死にたくてしょうがなかったのに、今では全く死にたいと思わなくなって。むしろ生きなきゃ!いうか。今となっては、「なんで昔の自分はあんなに死にたがってたんだろう?」って思うくらいには変わりましたね笑
前までは本当になんのために生きるのかわからなくて絶望してたけど、ヨーガと仏教が僕に生きる意味を与えてくれたんですね。前までは毎日毎日「なんのために生きてるんだろう」って絶望しながら毎日を過ごしていましたが、今は毎日生きる意味を持ちながら過ごせるようになったんですね。
具体的に何をやったかって話なんですけど、アムリタチャンネルさんに上がったいる動画を参考に日々色々と実践しました。
こちらのチャンネル本当にすごくて、ヨーガや仏教の基礎知識から具体的になにをやればいいのかっていうのがすべてまとめられてるんですよね。僕もこういったジャンルの色んな本とか動画を見てきましたけど、このチャンネルの動画はちょっと別格というか笑 とにかくとんでもないんですよね笑
実際このチャンネルの動画にある内容を参考に、日々実践を続けていけば必ずうつ病も治るし、幸福になれます。僕が保証人です笑
ですのでもしよかったらぜひ一度見てみてほしいです。
おすすめの動画をいくつか貼っておきますね。
そんな僕が再びこの業界に戻ってきた理由
「で、なんで君は今こんなnoteを書いているんだい?」と笑
ブログに絶望して嫌になって逃げた僕が、なんでまたnoteの執筆なんかやってるの?と笑
この辺の話もしておきたいと思います。
結論から言うと、「みんなに幸せになってほしいから」ですね。
というのも、確かに僕はさきほど話したような実践を通じて、うつ病も治ったし、希死念慮も消えて、見違えるほど幸福な人生にはなったんですよ。
ただ、はっきり言って全然今の状態には満足していないんです。なぜかって言うと、「まだみんなが幸せになっていないから」なんです。
これは仏教、特に大乗仏教の思想にもつながってくるのですが、我々の幸福の源泉は「慈愛や慈悲」です。それはつまり、「他者の幸福を願い、他者の幸福のために生きること」を指します。こういった思い、こういった生き方こそが人間にとっての本当の幸せであると。
でもこれはわかる気がするんですね。例えば、「自分のお金で自分が美味しいご飯を食べているとき」と、「自分のお金で自分の大切な人が美味しいご飯を食べて喜んでいる姿を見る」のとではどっちが幸福でしょうか。明らかに後者だと思うんですよね。
多分僕らって、誰かの幸せを願うことで幸せになれるようにできているんだと思うんです。だから僕だけがうつ病が治ったとしても、周りにまだ苦しんでいる人がいるなら、僕はやっぱりどうしてもその状態を幸福とは思えなくて、どうにかしてあげなきゃって思うんですよ。
みんな幸せになろうと思って、お金をかき集めたりモテようと頑張ってみたりして、僕が過去に犯してきた失敗と同じことをしようとしている人たちがたくさんいて。幸せになりたいのに、やり方が間違っていたり、どうしたらいいのかわからない人たちがたくさんいると。
どうにかこの人たちを救ってあげられないだろうかと。それには、僕が実際にやってみて効果があったこの「ヨーガと仏教」の存在をみんなに伝えてあげればいいんじゃないかなって思ったんです。
これが僕が今またnoteをやってる理由です笑
なのでもしこの記事を見て少しでもヨーガや仏教に興味を持ってもらえて、ちょっとやってみようかなって思ってもらえたら、それは本当に僕としては冥利に尽きるというか笑 誰かの役に立てるならここまで自殺せずに生きてきて本当によかったって僕自身思えるので、今後も頑張ってヨーガと仏教の魅力を伝えていこうと思います。
長くなりましたがここまで読んでいただき本当にありがとうございました。この記事があなたのお役に立てたなら幸いです。