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人生はゲームだった...?
最近ソシャゲは罪深いゲームだと言うことがわかった。ソシャゲは基本無料で課金してアイテムを購入するタイプのネットゲームだ。ソシャゲは買い切りのスイッチのゲームと違っていくらでも課金できるので、お金が溶ける。
ソシャゲに課金するのはなんのため?
→ゲーム内で強くなるため
このようにソシャゲに課金する理由は破綻している。もともとは暇潰しでやってるものに暇を潰すレベルをあげるためにお金を費やすという謎
「他人を認められない自分」を認められない病
世の中には偉大な人物として尊敬されている人がいる。でも、その人たちの凄さが理解できないときはないだろうか?
「何歳であっても目標に向かって努力する人は美しい」だなんてよく言われるけど個人的には「あっそうですか、勝手に頑張ってください」としか思わない。偉大な人を褒めないといけない空気感と、それを構成している「他人を認められる自分は偉いんだぞ」と主張している、偉大ではない人は嫌いだ。
このように嫌
真理は存在するのか?
何かについて考えている時、そもそもそれが絶対に正しいと言える根拠は存在するのかつくづく疑問に感じる。
例えば、どう生きるべきか書いてある本は自説をさも真理であるかの様に書いているが、もしそれが本当に真理だったらみんなとっくにそのように生きて幸せになっているはずだ。これは胡散臭い自己啓発本から信頼されている哲学書(哲学の定義は曖昧)にまで当てはまることだ。
では真理は存在しないと仮定してみよう。
有能サラリーマン nor オタクの極み
何者かにならないといけないという強迫観念は、恐ろしいものではあるが私たちをレベルアップさせてくれるものだと思う。
「何者か」になろうとしたとき私たちが歩むことができる方面は主に2つあり、一つは仕事、もう一つは趣味だ。仕事がめちゃくちゃできる有能サラリーマンまたは経営者、もしくはある趣味に特化したオタク(ここでは敬称)の極みになるしかなさそうだ。
だけれど、僕はどちらの道もなんか胡散臭いと思う。
勉強が全てじゃないさ
じゃあ何が全てなんだよ。
人が落ち込んでいる時に励ます言葉の中に「〇〇がすべてじゃないさ」というものがあるが、これは実は励ましているようで何も意味がない言葉だと思う。
成績が悪いんだよね → 勉強が全てじゃないさ
このような会話の流れを見てみると、その人は勉強で悩んでいるのに悩んでいること自体を否定するのは、解決策を与えずに放っておくのと同じな気がする。
たしかに勉強で悩んでいる人にそれは
「哲学」を死語にしたい
「哲学」という言葉から何が連想されるだろうか?
物事の本質を考えること?有名な哲学者の名前?なんか教養くさそうなイメージ?
みんな「哲学的」とかよく使うけれど本当に意味を知って使っているのだろうか。
ここでは「哲学」という言葉について考えていこうと思う。
哲学のもともとの定義
哲学という語はギリシア語の「philosophia」という「知を愛す」という意味の単語を翻訳したものであるというのは