人生はゲームだった...?

最近ソシャゲは罪深いゲームだと言うことがわかった。ソシャゲは基本無料で課金してアイテムを購入するタイプのネットゲームだ。ソシャゲは買い切りのスイッチのゲームと違っていくらでも課金できるので、お金が溶ける。

ソシャゲに課金するのはなんのため?
→ゲーム内で強くなるため

このようにソシャゲに課金する理由は破綻している。もともとは暇潰しでやってるものに暇を潰すレベルをあげるためにお金を費やすという謎。そしてお金をかけて得られたものといえば、強力なキャラクター?あまりにも虚無い。時間とお金を浪費している。

ところで、人生自体も生き方によってはこのような虚無ゲームになると思う。自己啓発系とかはこの類に入ると思う。

人生で努力するのはなんのため?
→人生で成長するため

努力成長信仰はソシャゲ課金と同じように見える。成長するのは例えば試験に合格するとか、ある基準を満たすことで何かを得るためにだが、この場合だと成長すること自体が目的になっている。

では正しい目的はどんなものかというと、それは手に入れると自分にとって良いことをもたらすものである。それ以外の目的はソシャゲと同じ虚無になる。

また、努力成長は仕事やビジネスの場面で用いられるが、究極的に考えたらそれらは単なるお金稼ぎの手段であって目的ではない。そして仕事というのは案外人生の中の暇潰し、すなわちゲームかもしれない。ゲームというのはある決められたルールの中で勝利することだから仕事もお金を稼ぐことがゴールのゲームと言えそう。

そのため、お金を得ることが自分にとっていいことなら破綻した目的ではないが、お金が幸福の条件ではない。心の貧しい資本家がいるのが何よりも証拠だ。

では、「人として成長」というのはどうだろうか。これも成長自体を目的としたら破綻する。ところが、生きる上で嫌な思いをしないために成長する。具体的には相手とお互いに嫌な思いをしないような作法とかマナーを身につけるとか。これなら破綻はしていないし、嫌な思いをしないことは幸福に直接結びついてる。

だから嫌な思いをしないために日々努力するのが幸福な人生に近づく鍵になるかも…?

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