大衆にならない方法

大衆というのはマイナスのイメージで使われることが多く、自己啓発系の本やYouTube動画では「凡人」や「大衆」にならない方法を発信しているものが多いと思う。

だが、僕は自分含めてすべての人が同様に大衆であると思う。というのも例えば街中で歩いている時、有名人だろうが無名のサラリーマンだろうがあの街の雑踏の中では全員がいてもいなくても同じのような状態になっている。

また、私たち人間にある個性や差はどれだけ大きいだろうか。世の中は広いと言っても同じ言語同じ文化で暮らしているうちは差はあまりない気がする。岸田総理と僕を横に並べてみたときに身分や仕事と言った人間が作った概念なしで考えてみたらあまり差がないように思える。

だから、「大衆」という概念は実体として存在するものではなくて、自分が優越感を得たいために使われる幻想に近いものと思われる。自分は大衆と違って特別な存在だと思いたい欲求から生まれるものなのではないだろうか。

そして自分が特別かどうかは人生の幸福に対して貢献しないものだと僕は思う。衣食住が十分にあり良い人間関係を築いているのなら十分に幸せでそれ以上のものは必要ではない気がする。

また、もし自分が特別であるという快楽を求めて生きるならやめたほうがいい。私たちは他の人より際立っているところもあれば、普通なところもあれば、劣っているところもある。だからすべてのことにおいて、ある人より優れているということはあり得ない。

そして過度な快感は、充実感よりもそれを失う恐れのほうが大きい。そのため大衆アレルギーというのは優越感中毒であり、薬物中毒と同じ類なのではないだろうか。

それに他人よりも優れていないと自分のことを認められない、というのも残念なものだと思う。今のままでも十分満たされているということを私たちはよく知っておく必要があると思う。


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