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挨拶の意味がわからないまま大人になってしまった。
子どもの頃、挨拶をしないと怒られた。
親とか、先生とかに。
自分だけじゃなくて、他の子も同じような感じだったと思う。
挨拶をしなければ怒られる。
大人は、挨拶の習慣をつけるために、と思っていたのだと思う。
何のために挨拶をするのか、と反抗する子もいたと思う。
挨拶をしなければならない理由は、頭では理解している。
コミュニケーションを円滑に、とか。
だから、挨拶をする。
でも、今でも、やらされてる
やりたいことは、全部やる。でも、同時に全部はできないから、その順番を考える。
同時に2つの状態には、いられない。
選ばなかった選択肢がある。
浪人しなかった。
大学院に進学しなかった。
大学で数学科に行かなかった。農学部に行かなかった。
選ばなかった方を選んでいたら、選んだ方を選んでいなかったら、どうなっていただろうか。
時々考える。
同時には選べない。
選ばなかった選択肢が増えるから、
共感できるものが減ったのだろうか。
まだ選んでいない状態なら、どちらの状態も考え
機械的な文面を求めます。
車の点検の予約をネットで行うと、担当者からメールが来た。
文面には「!」が使われている。
心がちょっとざわつく。
文面から、その人が見える。
それが嫌だ。
もっと機械的な文面にしてほしい。
人を感じないような文面に。
メールであっても、直接話すような、親しみやすさや親近感を持たせるために「。」ではなく、「!」を使っているのだろう。
この担当者の判断なのか、企業の方針なのかは分からないが、機械的な