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挨拶の意味がわからないまま大人になってしまった。
子どもの頃、挨拶をしないと怒られた。
親とか、先生とかに。
自分だけじゃなくて、他の子も同じような感じだったと思う。
挨拶をしなければ怒られる。
大人は、挨拶の習慣をつけるために、と思っていたのだと思う。
何のために挨拶をするのか、と反抗する子もいたと思う。
挨拶をしなければならない理由は、頭では理解している。
コミュニケーションを円滑に、とか。
だから、挨拶をする。
でも、今でも、やらされてる感がある。
心の内の感情では、反発があって、納得していないところがあって、挨拶の意味を理解できていないのだと思う。
もう大人だし、誰かに挨拶しろと怒られることもないんだけど。
いや、職場で上司に、大きな声で挨拶しろ、と言われたけど。
それ以降、同じ部署の人(10人ぐらい)に聞こえる程度には大きな声で挨拶するようにしている。
周りの人からすれば、それは当たり前のことなのかもしれない。
でも、私は、毎朝、挨拶をしながら、嫌な気持ちになっているし、気持ち悪さを感じている。
これでいいのだろうか、これが正解なのだろうか、と思いながらやっている。
もし挨拶をしなくても、何も問題ないんだけど。
いや、問題はあるかもしれないけど、それでもいいと思えるなら、それでいいんだけど。
悪く言われることはあるかもしれないけど、どうでもいい人に悪く言われても、どうでもいいし。
以前、職場の他の部署に、朝、フロアに響き渡る大きな声で挨拶をする人がいた。
その声の持ち主が誰なのかわからなかったが、毎朝、この人は、なぜこんなにも大きな声で挨拶をしているのか、と疑問だった。
私に向けられた挨拶ではなく、ただ聞こえているだけだったが、私は、嫌な気持ちになっていたし、不快に感じていた。
社会人になる時、マナー本を買った。
そこには、朝の挨拶は、トーンを落として、元気すぎない方がいい、という旨のことが書かれていた。
だから、私は、静かに挨拶をしていた。
周りの席の人に聞こえる程度に。
なのに、これは、間違っていたのだろうか。
大きな声で挨拶することを、いいことだと思えない私が、間違っているのだろうか。
漫画やアニメでは、学校で、「おはよー」と言いながら教室に入る場面をよく見る。
でも、実際、自分の過去の学校生活を思い出してみても、「おはよー」と言いながら教室に入ったことがない気がするし、そんな人はいなかったと思う。
席について、クラスメイトと話す時にも、挨拶せず話し始めていたような気もする。
先日、たまたま自分の前を歩いていた小学生が、「挨拶って気持ちいいね」と話していた。
横断歩道で交通安全の旗持ちをしている人と挨拶を交わしたあとの会話である。
私は衝撃を受けた。
その子ども達は、挨拶の意味をちゃんと心で理解しているのだ。
私は、挨拶が気持ちいいものだということを、知らなかった。
挨拶を「気持ちいい」と感じたことがなかった。
この子達のように、気持ちよく挨拶ができればいいのに、と思った。
その旗持ちの人は、私にも挨拶をしてくれる。
私は、声を出さず、頭を下げるだけだ。
正直に言うと、私には声をかけないで欲しいと思っている。
私のことを認識しないで欲しい。
スルーして欲しい。
私は、誰にも気付かれない、透明人間になりたい。
私は、大人になっても、まだ、挨拶ができない。
ごちゃごちゃ考えてしまう。
何も考えずに、習慣として、挨拶できたらいいのに、それができない。
店を出る時の「ありがとうございます」は、何も考えなくても声が出る。
こっちは、心から納得できているんだろうなぁと思う。