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ノンデュアリティ⇨アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(シャンカラその3)岡本直人「はじめての非二元・ノンデュアリティ」
ノンデュアリティ⇨アドヴァイタ・ヴェーダーンタ(=不二一元論・シャンカラその3)岡本直人「はじめての非二元・ノンデュアリティ」
(今回は、試験的に、「覚者とボク」の会話という形式にしてみた!)
覚者:ところで、キミー、不二一元論の読み方は、もう覚えたよね?(笑)
ボク:覚者さん、「ふにいちげんろん」でしょ(笑)。さすがにもう覚えたよー(笑)。
辞書でひくと、「不二」は、「二つに見えるが、実際は一つであること。ふに。」とある。伝統的には、この意味で使うときは、「ふに」と呼ぶのが正しいが、「ふじ」という読み方でもいいことに、最近はなりつつある。
⇧引用元。
うおお!?結構イイカゲンじゃん(笑)。じゃあ、たとえば、「ふじいちげんろん」でもいいわけ?
いや、やはり、最近でもこの場合、「ふにいちげんろん」が正しいみたいなんよね。
でもさ、間違った用法でも、時代とともに、正しくなることもあるから、もしかしたら、「ふじいちげんろん」と読んでも正しい時代が来るかもね(笑)。
まあ、よく考えると、そーかもしんないね。ミンナ案外イイカゲンなんだよなぁ・・・(苦笑)。
ヴェーダの説から、ブラフマンは変化しない!
ヴェーダ(天啓聖典)の説から、シャンカラさんは、ブラフマンは変化しないみたいに言うと・・・。
ブラフマンは変化しない!かー。要するにヴェーダで、変化しないという説が説かれているから、それに従っちゃおうぜ!みたいな話なんしょ??
そうだね。キミー、結構マトモなことも言うじゃん。感心感心(笑)。
エヘヘ!・・・(笑)。覚者さんに、褒められちった(笑)。
だから、変化しないブラフマンは、変化する現象世界とは、何ら関わりがない!
だから、変化しないブラフマンは、変化する現象世界とは、何ら関わりがないみたいに言うと・・・。
うおお!なんか、すごく理路整然として、わかりやすい!!で、覚者さん、次に出てくるのが「梵我一如」なんしょ?(笑)
察しがいいね(笑)。で、いつも出てくる等式、「見る者=ブラフマン=アートマン=真我」となる。要するに、キミの言う通り、梵我一如ということだ(笑)。
あれ?「見るもの」が「見る者」になってる。なぜ?ちょっと細かいところだけど、めちゃ気になった!(笑)
実は、こっちのほうがいいと思って、「見るもの」という表現を、このブログでは、今まで使って来たけれども、慣用的に、やはり「見る者」と書くのが、正しいみたいなので、今後は、「見る者」で行くね。・・・ということなんだけど、ダメかな??(笑)
我流だったので、改めると(笑)。覚者の割には、割とイイカゲンだね(笑)。わかったよ。「見る者=ブラフマン=アートマン=真我」。もうこの等式は頭に入ったよ。つまりは、梵我一如だよね(笑)。
だから、真我は、現象世界とは、関わりがない!
というわけで、だから、真我は、現象世界とは、関わりがないみたいになると・・・。
覚者さん、今回は、理路整然としていて、ボク的には、かなーり、わかりやすかった!(笑)。さすがは覚者さん(笑)
うんうん(笑)。覚者のオレとしても、そう言われると、悪い気はしないな(笑)。シャンカラさんのここら辺の教えは、単純化すれば、非常にわかりやすいんだ。ただ、もっと詳しく正確に知りたいアナタは、下の本を読んでね!(笑)。
追記:ボクの疑問。
ボクとして疑問なのが、ブラフマンは万物の根源だから、この世界は間違いなくブラフマンによって作られているということと、現象世界とは関わりがないということを、どう整合的に捉えるのか?という点だ。この点、ChatGPTに聞いてみた。
ChatGPTの回答。
この疑問は、アドヴァイタ・ヴェーダーンタ哲学におけるブラフマンの理解の核心に触れています。ブラフマンは「不変で超越的」な存在でありながら、同時に「万物の根源」とされるため、現象世界との関係について考える必要があります。
これを整合的に理解するための鍵は、「ブラフマン」と「現象世界」の二重性をどう見るかという点にあります。アドヴァイタの哲学は、以下のようにこれを説明します。
1.絶対的視点(パラマールタ・サッティヤ/至高の真実)
この視点では、ブラフマンは唯一の実在です。ブラフマンは無限であり、時間や空間、因果関係を超えた存在で、完全に不変です。現象世界(マーヤー)や変化するすべては、この絶対的視点から見ると真実ではなく、ブラフマン以外のものは全て幻影です。このレベルでは、ブラフマンが何かを「作る」ということさえも否定されます。なぜなら、作られるものや変化するものはブラフマンの不変性と矛盾するためです。
2.相対的視点(ヴィヤヴァハーラ・サッティヤ/世俗の真実)
この視点では、現象世界はマーヤーの働きによって現れます。マーヤーはブラフマンの力によって現象世界を「創造」しますが、この創造は現象的であり、根本的には実在しません。このため、ブラフマンが万物の根源であると言われますが、それは相対的な現実の中での表現にすぎません。
両者の整合性
この二重の真理を用いることで、ブラフマンが不変でありながら、世界の根源とも見なされるという矛盾を解消できます。すなわち、ブラフマンそのものは変わらず、創造的でも破壊的でもないが、相対的視点からはブラフマンの力(マーヤー)によって現象が展開されると理解されます。
結論として、現象世界はブラフマンの本質に属しているのではなく、あくまで表面的な幻影であるとされ、最終的な悟りでは、この現象世界がブラフマンの非二元性の中で統合され、見られなくなります。このように、ブラフマンは変化しないという点と、世界の根源という点は、異なる真実の視点を通して整合的に理解されます。
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