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中世キリスト教修道院における修道の核心その10 沈黙3/3(フーコー) ChatGPTでアベラールとエロイーズ
前回の続きです:
フーコーの「主体の解釈学」における沈黙
それではこれらの文書を貫く「沈黙」の系譜についてフーコーに基づいて調べたい。そこで調べてみると「主体の解釈学」(筑摩書房)にピュタゴラス、セネカ、エピクテトスなどとキリスト教との関係について記述がある。
キリスト教時代に先立ち、「自己の実践」における「ロゴス的な聴取」の「純化」をどのようにすべきか、
1 ピュタゴラス派などの「沈黙
中世キリスト教修道院における修道の核心その9 沈黙2/3(戒律・会則・司牧論) ChatGPTでアベラールとエロイーズ
前回のアベラールの沈黙について、戒律から背景を探る。
戒律にあらわれる沈黙戒律について概論はこちらの後半にまとめてあります。
沈黙についてはディダケー、ポンティコスには見出せなかった。もしくは気が付かなかった。
アウグスティヌスの修道院規則
序「⑨無益な会話をしてはならない。」とあるが続けて「早朝からそれぞれの仕事のために座に着いているべきである。 三時課の祈りの後も、同様に、それぞれの
「ロマネスク世界論」 池上俊一先生による修道院の説明
池上俊一先生の「ロマネスク世界論」名古屋大学出版会1999年 は当時すぐ買って読んだと思うが改めて現在アベラールとエロイーズのレポートを作成しつつ読むと、こちらの理解も深まり先生の本も素晴らしい内容を持っていることがわかった。
アベラールとエロイーズ、偽ディオニシウス、カッシアヌス、ベルナール、ベネディクト修道院規則などとの対応を少しメモしておこう。後の便利さのためである。ベルナールが修道院長
中世キリスト教修道院における修道の核心その8 沈黙1/3(アベラール) ChatGPTでアベラールとエロイーズ
中世における修道の核心 その8からは「沈黙もしくは無駄な言葉( silentio maxime studeatur=otiosum verbum.)」である。
映画「グランド・シャルトルーズ修道院」という修道院を描いた映画では沈黙がひとつのテーマであった。
早速「沈黙」についてアベラールの書いた第8書簡のラテン語とChatGPT訳のを見ていこう。「言葉の制御」「学び」「魂論」について抜粋し
中世キリスト教修道生活の核心その7 すべてを捨てる・自己放棄3/3(フーコー) ChatGPTでアベラールとエロイーズ
前回からの続き
フーコーによる自己放棄の説明
戒律・規約はアベラールが言うとおり、自己放棄は上長に完全服従し、「他人の支配下に自己を委ねる」ということであった。このことからアベラールはごく標準的なことを書いていたと結論できる。フーコーも同様な指摘を「性の歴史 4巻 肉の告白」(新潮社、慎改康之訳)第1章4節「技法中の技法」において展開しているが論旨の展開順が異なるので見てみよう。
まず、p
中世キリスト教修道生活の核心その5 すべてを捨てる・自己放棄1 ChatGPTでアベラールとエロイーズ
今回は「すべてを捨てる sine proprietate vivatur=omnibus renuntiare」
自己の放棄の復習
アベラールとエロイーズにおいて「自己放棄」はどのような意味合いか、まずは第8書簡の3つの核心の提示から復習:
所有物を持たず、すべてを捨てる。
引用元のルカ伝14:33
修道院のメンバーになるには全てを捨てることが用件になっていたようである。ではすべてを捨てる
中世キリスト教修道生活の核心その2 序論 2ー禁欲・自己放棄・沈黙ー ChatGPTでアベラールとエロイーズ
前回からの続きです:
ルカ伝14の33:無所有=すべてを捨てる
31,32ときて33になる話の流れが見えないが、下記のようにキーワードは順番が違うが出てくる。この差がなんなのか私にはわからないがChatGPTでは差がない。
renuntiat omnibus(聖書)→omnibus renuntiare(アベラール)
格が読めれば問題ない倒置なのかも。
このように無所有は本当に全て自分の財産
中世キリスト教修道生活の核心その1 序論 1ー禁欲・自己放棄・沈黙ー ChatGPTでアベラールとエロイーズ
はじめに
先日お伝えしたアベラールのSic et Nonの継続の前にアベラールが修道活動に対しどのような考え方をしていたか「アベラールとエロイーズ」(岩波文庫 畑中尚志訳)の第8書簡を中心に確認しておこう。
アベラールは12世紀に活躍していた。アベラールとエロイーズを読むと、アリストテレス、セネカ、オリゲネス、ヒエロニムス、砂漠の師父たち、アウグスティヌスの引用が沢山出てくる。この本を知っ