中世キリスト教修道生活の核心その4 禁欲2 ChatGPTでアベラールとエロイーズ
禁欲1の続きです:
アベラールの文書の次は節制・禁欲について修道院文書で確認しよう。
修道院規則に現れる貞節・禁欲について
アベラールはルカ伝12の35(腰に帯)の引用に続けて「貞節というのは、使徒が熱心に説いて、「婚姻せぬ女と童貞女とは、身も霊も聖くならん為に主のことを慮るなり」(コリント前書7の34)と言っているその純潔である。・・・」と述べており腰に帯というのは聖書からは全く読み取れないが、性的な意味合いが強いらしい。
しかし再度そういう目で見ても引用されているルカ伝12の35の(腰に帯)は意味が取りづらい。そこで修道院規則を参照してみる。
ディダケーでは一般的な言い方で「肉の欲望を避けろ、姦淫するな、少年を堕落させるな、淫らな行いをするな」と出てくる。アベラールとの特別の関連は見出せなかった。
次に、ポンティコスの「修行論」によると、コリントへの手紙の一節を引いて確かに禁欲と結びついている:「彼らの腰に巻かれている帯は、すべての不浄を遠ざけるものであり、序論に「人は女に触れないほうがよろしい」〔一コリ7:1〕ということを宣言しているものです。」(中世思想原典集成3巻より)注釈によると「腰」の原語は腎臓で意味として「性的欲望」を指しているとのこと。それはそうなんだろうけど、チュニックなどの衣服も来ている想定ではなく、裸で腰だけ帯でいるようなアダムとイブの楽園追放後のイメージだからであろうか?
さらに、ポンティコスでは第6章で「人間一般の想念は総計八つ」として精密化。「最初のものは貪食であり、その次は淫蕩である。第三は金銭欲、第四は悲嘆、第五は怒り、第六は嫌気、第七は虚栄心、第八は傲慢」
このうち淫蕩については「淫蕩の悪魔は、多種多様な肉体に対する欲望をかき立てずにいない。この悪魔は、自制を行じている者たちに相当激しく敵対する。 ・・・彼らの魂をしてある種の言葉を口にし、また自らも耳にするよう仕向ける。あたかもそのものが目に見え、そこに存在しているかのように。」と悪魔という概念と結び付けられる。
またこの罪の列記については阿部謹也先生が一世代後のカッシアヌス(カシアヌス)は「大食い、姦通、貪欲、怒り、悲哀、虚飾、傲慢」、としているが訳し方の違い程度で同じ様子であるが、グレゴリウス(どの?)は傲慢>虚飾>羨望>怒り>悲哀>貪欲>大食い>肉欲と報告している(西洋中世の罪と罰 弘文堂 第7章)。
アウグスティヌスでは女性と視線を交わすことすら危険視される第4章の⑩「女性に対するみだらな視線について述べたことは、他のもろもろの罪についても、発見し、防止し、告知し、証明し、罰するにあたり、その人を愛しその罪を憎みつつ、注意深く、かつ忠実に守られなければならない。」と厳しく追求する。
アベラールとエロイーズの往復書簡との関連事項がアウグスティヌスの第4章の(4)-(5),(11)にある。特に(11)は「ある者が、密かに女性から手紙や何か小さな贈り物を受け取るような過ちに陥っている場合、もし彼が自分から告白するなら赦免を与え、彼のために祈るべきである。もし発見され、有罪とされた場合には、司祭または長上(修道院長)の判断により、より厳しい罰が与えられるべきである。」とあるのでアベラールはエロイーズとの手紙のやり取りはお互い公開前提で、修道規則をまとめるような論調の手紙でもあるのだろう、と納得できる。(前半の赤裸々なのも司牧権力のもとでの「告白」であるからか)もっとも、アベラールはエロイーズの修道院の立場での上司とも言えるので修道院規則を尋ねるのは過去の振り返りの次のテーマとしては当然かもしれない。
ベネディクトスでは第7章の謙遜に詳しく述べられている。前提としてその(13)に「たえず天から神によって観察されて」いる。「天使たちはたえずこれを神に報告」しているという。そして「(23) 肉の欲望に関しては、預言者が主に向かい、「私の欲望はすべて御前にあります」〔詩三八:一〇〕 と言う通り、神が常に私たちの前におられることを信じなければならない。 (24) そこで私たちは悪い欲望を警戒しなければならない。死は快楽の門の近くにいるからである。 (25)そのために、聖書は「あなたの欲望に従って歩いてはいけない」「シラ一八:三〇〕と警告している。」アベラールの引用する ルカ伝12の35(腰に帯)、コリント前書7の34(一コリ七:三四)(処女らは肉体と霊に聖)は出てこない。
ミシェル・フーコーの描く禁欲 聖アントニウス、カッシアヌス
禁欲についてその経緯はどのようになっているのだろうか?フーコーは禁欲について、哲学的な含意のある一例として、ソクラテスまでたどっている。ソクラテスとアルキビアデスの同性愛の関係で、恋するものと恋されるものの逆転の話である。本来であれば、恋する側はソクラテスで、恋される側はアルキビアデスであるが、ソクラテスは禁欲をすることで、アルキビアデスから恋されるようになる。(性の歴史 第2巻 「真実の恋」)これがプラトニックラブの原義であるらしい。
ギリシア時代からローマ帝世紀のストア派をへて、2世紀ごろには、「姦通すること、姦淫すること、子供を犯して腐敗させること」という異教(ストア派)の道徳が書き写されキリスト教に導入された(性の歴史 4巻、新潮社pp209)。これは先ほど紹介したディダケーにも出ている。フーコーは「近親婚、獣姦、「反自然」のような大きな領域」はもっと後の世に導入される、(pp210)としている。
修道院の中での禁欲はどのような実践だろうか?性の歴史 3巻pp59 では、フーコーは、
と述べている。前後を読んでも具体的な話がなく抽象的でわかりにくい。そのような言説になるか再構成してみる。
まず、「紀元後の最初の数世紀におけるキリスト教的な禁欲苦行の動き」については、アレクサンドレイアのアタナシオス著『アントニオス伝』が有名で、フーコーもテキスト分析に採用している。(*1)さて、トップ画像はフランスのブルゴーニュにあるヴェズレーのサン・マドレーヌ寺院の柱頭彫刻の一つで「アントニウスの誘惑」である(エミール・マール、池田健二氏による)。怒髪天の悪魔はアントニウスの髭をつかみアントニウスに誘惑を試みているがアントニウスはすでに欲望を捨て去っているのでどこ吹く風である。ヴェズレーは修道院付き教会であるので禁欲苦行のシンボルのアントニウスの物語が描かれたと考えられる。ヒエロニュムスによって書かれた砂漠の隠修士パウロを訪問した際のエピソードや悪魔の拷問を受けている彫刻が他にもあるなど関連のテーマの柱頭彫刻のインスタ投稿を下に貼り付けておきました。アントニウス伝は他にも芸術作品への波及は多数である。ヒエロニムス・ボッシュ、グリューネバルト、ミケランジェロ・ブオナロッティなどこちらを参考にください→<https://ja.wikipedia.org/wiki/大アントニオス>
もちろん「アベラールとエロイーズ」岩波文庫 畠中訳にもアントニウスは第8書簡pp248,251,333に出てくる。さて、そのアントニウスの引用の一つ(私のラテン語のテクスト該当箇所の確認が追いついていないので畠中先生の訳のままで):
このようにアントニウスらの初期修道生活は一般的な人間社会の中から離れた「私的生活」(上記フーコー)から距離を取った極めて個人的な生活を推奨していた。「世俗的人間」と交際することで「諸価値の下落」が起きることを恐れたためである。そのことをフーコーは「自己の自己への関係の、ただし私的生活の諸価値の下落という形式の元での、きわめて顕著な強化」のもとでの「修行生活の実践のなかに存在しえた個人主義的なもの」(上記引用文)と表現・評定している。
次にフーコーの「この動きが修道共同生活の形式をおびた時」であるが、これはフーコーは「肉の告白」に記述したようにカッシアヌス(*2)が東方修道会を西方に広めたときのことを念頭に置いているようである。
としている。これが上述の「それは修行生活の実践のなかに存在しえた個人主義的なものに対する明白な拒否を表したのである。」に込められていると解する。
このように修道院規則が作られたことで過剰をさけた中正な禁欲生活が4世紀以降構築され始めアベラールに継承されていったのである。そして、その当時をアベラールは羨望しながら
と振り返っている。アベラールは第一書簡では、修道院の中での正義を主張したがとばっちりをうけ全ての修道院から追放され、アントニウスの"Jhesu bone, ubi eras?"「イエスよ、汝はいずこに在り給ひしぞ」と引用し、自らトロアに礼拝堂「聖・三位一体」を建てて「荒野」にいることを聖詩にしている。(岩波文庫 畠中訳版pp46,50)
注
(*1)ミシェル・フーコー「性の歴史 第4巻肉の告白」では、pp177- 178にカッシアヌスのアントニオス伝を引用(下記参照)し修道院生活の変遷について述べている。 pp190にもカッシアヌスがアントニオスからの引用で悪魔「サタン」が「心の奥底」に隠れている思考として炙り出される様子を報告している,pp 203は注でアタナウシスのアントニウス伝に「自分の行動」や「魂」の動きを「覚書」に書き記すことが注目に値すると述べている。このことは「性の歴史 第3巻 自己への配慮」において第2章自己の陶冶pp70に「書物や聞いた話」を書き留める「覚書」が、自己の陶冶のための「瞑想」「読書」「真実を思い出す作業」とともにあげられている。
実際に、アントニウス伝には「中世思想原典集成1巻 初期ギリシア教父」に翻訳が掲載されているので、指摘の55-9 pp815に「隣人にさらけ出すかのように、各自、自分の行為と心の動きに気を配り、書き記すことは、われわれにとって罪を犯さぬための防壁となるだろう」とある。セネカやマルクス・アウレリウスなどの時代では「一連の訓練の中で、自己を試す、自己を検討する、自己を統御する、その債務」は「真理」「の問題を道徳的主体の構成の核心に位置付け」「個人の自分自身に対する統治支配」(性の歴史3巻pp90)に対してキリスト教の時代にあたかも引き継がれているが、キリスト教時では屈折をみせ、「欲望の解読が浄化された存在へ達するための不可欠な条件」(同上)と、その役割は時代ごとに異なっている。
(*2)ヨハネス・カッシアヌス(カシアヌス)Johannes Cassianus 中世思想原典集成4巻に『霊的談話集』が翻訳されている。共住修道院規則はミーニュからラテン語で読むかフランス語訳で読むしかないようである。『霊的談話集』の中の魂の水車の比喩を紹介予定。この水車はヴェズレーの柱頭彫刻にもある。なおアベラールのカッシアヌスの引用は私は発見できていない。
まとめ:
腰に帯という表現は腰が性的欲望を意味しているということは、アダムとイブのいちじくの葉を指しているのだろうということはわかったが、それ以外の引用(処女はらには肉体と霊に聖、花婿自身が恐ろしい声で答える)については修道院規則との照合を行ったが引用関係での関連性を見出せなかった。アベラールの引用についての根拠は不明である。
引用されていた箇所の共通点は、主が来たときに準備ができていない、つまり復活の時に備えて準備せよというイメージと重ね合わせられている。つまりはその時がくることに備えて禁欲せよということか、と解する。
禁欲の歴史は極めて古くギリシア時代まで遡ることができ、決してキリスト教の発明ではなく、むしろディダケーを見るとわかるように、それはストア派からの逐語的な書き写しですらあった。
修道院規則やフーコーによる記述によりアントニウスらの初期の個人的な修道生活からカッシアヌスの共住修道会への移行に伴い規則が作り出され禁欲生活に対して過剰を避け中正を求めるようになったことがわかった。
ギリシアの古代からの禁欲をめぐる動きはヴェズレーの柱頭彫刻にも表現され、実践・規律・文書・芸術作品へと広く展開している。
執筆後記:
ヴェズレーを初めて訪問したのは1988年。1996年ごろよりホームページを作成しエミール・マールを読みながら少ないが訪問したロマネスク芸術の紹介に努めてきた。アントニウスの誘惑についても知っていたし、アベラールにも出てきていることは知っていたがなかなか結び付かなかった。フーコーの性の歴史第2ー3巻も2000年ごろ読んでいたが禁欲がキーワードであったものの古典ギリシア、ローマ帝政期の説明に翻弄され全く結びついてこなかった。私にとっては35年の時を経て一つの概念が結び合わされ焦点を持った。これが思索の喜びでなくてなんであろう。
なお、聖アントニウスの墓はパドヴァにあると、無くし物の祈願をする対象とのことがノーベル文学賞作家アニー・エルノーの「シンプルな情熱」ハヤカワepi文庫pp107に出ている。しかしこれは遺骨をエジプトから運んできたとかではなくて別人のようである。<https://www.google.com/url?sa=t&rct=j&q=&esrc=s&source=web&cd=&ved=2ahUKEwjE9KnYiPOCAxXNeN4KHSOLCtQQFnoECAkQAQ&url=https%3A%2F%2Fcore.ac.uk%2Fdownload%2Fpdf%2F250303209.pdf&usg=AOvVaw3oqkykLuvMw3VX3he7t6qA&opi=89978449>それでも、パドヴァには35年ほど前にスクロヴェーニ礼拝堂を見に行った。再訪してみたい。