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真理を語る=パレーシアに関する文献紹介
フランス哲学・思想研究に
「ミシェル・フーコーにおけるパレーシアと民主主義の循環的成立について」
池田 信虎
が下記に全文公開されています。
https://www.jstage.jst.go.jp/article/sfjp/28/0/28_130/_article/-char/ja/
神谷美恵子氏の翻訳業 マルクス・アウレーリウスとフーコー
フーコーの性の歴史3巻を読んでいたら同じくフーコーの「臨床医学の誕生」を参照したらいいのか?という局面に。
改めて「臨床医学の誕生」を取り出してきてふと訳者を見ると、あれ?どこかで見た?
調べるとなんとマルクス・アウレーリウスの「自省録」の翻訳をした人だった。
両者を訳せるなんて凄すぎるだろ。
という驚きにて今日はおしまい。
もし神谷美恵子氏がフーコーの「性の歴史3巻自己への配慮」のマルクス・アウレリウス引用を読むまで生きていたら
神谷美恵子氏は1979年に亡くなっている。フーコーは1984年に亡くなっている。フーコーの性の歴史3巻(フランス語オリジナル版1984)にはマルクス・アウレリウスが多数引用されている。
今性の歴史3巻の要約を作っているけど、実際には重要箇所の書写しになっていてとても議論を付け加えるところまで行っていない。
ポイントは肉の告白への繋ぎだと思う。
さて、その「自己の陶冶」の章についてマルクス・ア
フーコーによるマルクス・アウレリウスのパレーシア(率直な語り)
以前、神谷美恵子先生がマルクス・アウレリウスもフーコーも翻訳していたことを書いたが、フーコーの性の歴史3巻はストア派についての読み解き、特にギリシアーローマ帝政期ーキリスト教時代の中での繋ぎを意識した記述であるので面白い。
性の歴史3巻の中でマルクス・アウレリウスは沢山紹介されているが、今日読んでいたのは第3章「自己と他者」の2「政治の働き」。以前から紹介しているパレーシアに関連する記述があった
マルクス・アウレリウスのパレーシア(率直な語り)は語られる側でもある
先日、マルクス・アウレリウスのパレーシアについてフーコーが間接的に指摘していた箇所を確認した。
そこでマルクス・アウレリウスのパレーシアについてChatGPTに聞いてみよう。
とマルクス・アウレリウスがパレーシアをすることが強調されている。しかし、これは「自省録」の該当箇所を読むと印象は異なってくるのである。
「自省録」にはパレーシア(その活用形)はいくつあるか?
3ヶ所である。
一つ
中世のカトリック修道院でワインと魚・肉料理で豪勢だった件は古代ギリシアテキストに基づいていたのかも
かなり以前、別サイトで別名義で下記の記事を書きました。要点はこのリンクの下にまとめますが、中世のカトリック修道院では豪勢に料理を食べていたらしく聖ベルナールやアベラールもコメントを残している。そのドキュメントを読むと、清貧という概念はベルナール自身のシトー会やフランチェスコ会などではじまるが、すでに自己放棄の概念はあり全てを捨てながら豪奢な料理を平らげる彼らは一体どうしたことであろう?と思っていた
もっとみるストア派 ジャン=バティスト・グリナ著 川本愛 訳
ストア派をまとめた本は意外と少ない。ストア派の原典は残っているがほとんど散逸しているらしい。
それは古代ローマにおいてキリスト教と競合したためとしている。
現代まで目を向けているので読みがいがある。
(フーコーに興味ある人向け)性の歴史3巻の要約を作成中ですが、手戻りが多く
フーコーの性の歴史3巻の要約を作って、週一くらいで公開していこうと気楽に作り始めたのですが、結構難しくなってきました。
私が気になっていた所だけやっていたのですが、書かれた全テキストの意味や、よくわからなかったところの再考を始めたらいくら時間があってもできません。当たり前か。
そこまでする必要もないような気がしますが、ストア派の本を調べたり、ガレノスの解説本を広げたり、エティオピア物語を参照し
古代ギリシア語すらChatGPTは日本語に訳してくれる嘘のような話
5−6世紀のギリシアから伝わった偽ディオニシウス・アレオパギテスという、文書偽造のなんちゃって愉快犯がいる。自分の書いた文書にディオニシウス・アレオパギテスという1−2世紀のアテナイの評議員になりすまし偽造文書をばら撒いた。プロクロスの新プラトン主義をベースにもちあまりによくできていたためか15世紀までバレなかったらしい。愉快すぎる。
しかもフランスのクリュニーは大真面目に扱いエリウゲナに翻訳さ
ChatGPTによる真理の勇気 その2 ギリシア哲学をキリスト教に接続した偽ディオニシオスのパレーシア
前回はギリシアの哲学のパレーシアの政治的な面と聖書の中の具体例、それをChatGPTでギリシアの原文からのデータ変換を検討。フーコーの指摘により聖書においてパレーシアに「神の愛への信頼、最後の審判の日に神が人間を迎え入れるやり方への信頼」が加わっているを見ました。そしてパレーシアは神秘主義の一つの極であるとフーコーは結論します。フーコーはその後、もう一つの極としてバレーシアに懐疑的な態度を取る人々
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