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【がっけんのすすめ?】 ペらぽう日記Ver.226\11n

がっけんといえば

すぐに…あの「科学と学習」の学研を思い浮かべる…
CMか!
と反射的に思い浮かぶ諸兄諸姉に告ぐ!
過剰反応です!

ここで語るのは合県…すなわち都道府県の合併

明治時代1876年の府県統合で一気に38県まで削減!
しかし、あまりの荒技に反発が噴出し
1888年には8県が復活…結局日本人は大胆な改革が苦手なのか?
それとも地元愛が強すぎるのか?


あれから100年以上

都道府県の再編成はほぼ手つかずのままだ。
だがは日本の人口減少やインフラの老朽化など難問山積だ。
そろそろ県の統廃合も真剣に議論すべきではないのか。
例えば三つの県を二つにするような微調整でも良い。
だが現代の政治家たちは明治期の政治家に
比べあまりにも保守的で「革命的」な提案は
まったくできない。


県の統廃合が可能であるという根拠は明白だ。

なぜなら地方自治法にも行政組織法にも
「県の領域や行政地域を変更してはならない」※
とは書いてはいないからだ。

長野県木曽郡山口村
2005年(平成17年)岐阜県中津川市に編入合併された。

市町村合併は進んでいる。

2000年代初頭の「平成の大合併」では
約3200の自治体が1700程度に削減された。
これにより大幅な行政コスト削減が実現された。
市町村が合併できるのに、県の統廃合が不可能という理屈は通らない。


また、日本には「道州制」の構想がある。

これは都道府県をより大きな「州」に統合し
より効率的な行政運営を目指すもので
欧米の連邦制国家のような仕組みに近い発想だ。
各州が独自に教育や地域運営などの政策を決定し
地域性に合致した運営が可能となる。
しかし、この道州制も「変化を嫌う」国民感情や
政治家の忖度によって先送りされ続けている。

現在の都道府県制度は明治時代の人口分布を前提としている。

すなわち、現代の社会状況に即していない。
たとえば、東京都だけで1400万人が住む一方で
鳥取県の人口は約55万人だ。
人口バランスがこれほど偏っているのに
行政単位が変わらないのはむしろ不自然だ。

それでも「うちの県がなくなるのはイヤ!」

という感情論が沸き起こるのは小生も日本人だから
当然同じである。小生も地元が大好きだ。
しかし愛情だけで
時代さんが日本人が変わらないことをもう少し待って…」
その無理強いを時代さんはどこまで許容してくれるのか?


議論だけでも先行させて

未来に可能となる法整備は進めるべきではないか?
しかし実際の議論はまったく進まない。
ここで問いたい。

あなたは「○○県民」という肩書がそんなに大事ですか?

海外で日本に詳しい外国人に
「日本のどこから来たの?」と聞かれたとき
埼玉県民や千葉県民は
「東京の方から」
と答える。
埼玉都民や千葉都民が100人いれば
・・・150人※はそう答える。

※埼玉・千葉など東京都に隣接する県民だけでなく
地続きでない県民にも東京と答える者が存在する。


彼らは本当に埼玉・千葉への愛があるのか?

もし「県民愛」を掲げるのであれば
自信を持って「埼玉です!」「千葉です!」
と答えるだろう!

しかし現実はどうか…
多くの埼玉都民と千葉都民は
東京都に住めなかった影の都民なのか?

「うちの県をなくすなんて耐えられない!」
と千葉・埼玉・東京の大合併が未来に起こったら

田中昭三や大塩平八郎のように
命を賭して反対運動を起こすだろうか?

県を統合すればインフラの維持や計画が柔軟に行える

八潮の事故や阪神・東日本の震災、
能登地震などで
気が付いた日本人はたくさんいると思う。
税金の有効活用とは…住民サービスの質が向上することだ。

「近くに役所がないと不便」という人で

「市役所や区役所へ頻繁に出かける用事がある」のは
職員や議員と関連業者だけだろう…

県の合併に反対する理由は「地元愛」だけなのか?

このままでは日本は一層硬直化がすすみ
何も変えられない国として世界に取り残されるばかりだ。

今こそ「がっけん」(合県)を真剣に議論すべき時ではないか?

いや…もしかしたら「がっけんのすすめ」こそが
未来の「科学と学習」※のために必要不可欠なのではと…?

※駄洒落のオチをつけるために…
「でもオチがつかないと落ち着かない」
小生は学研の利害関係者ではありません念のため。


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海尾守 中2病
チップのお返しは・・・なにができるのか?思案橋です