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ものを書くこと(ライター&創作)

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ライターであり、創作活動(アマ)をしているわたしの「ものを書くこと」関連のnote。
運営しているクリエイター

#ライター

ライター六年生になりました

ライター六年生になりました

タイトルの通り、ライター六年生になりました。小学生なら最高学年に突入です。え、はっっや。

昨年書いた振り返りはこちら。

例年11月下旬に書けていたのに、今年は1ヶ月近い遅刻と相成りました。

というか、今年はnote自体、全然書けていない……。あんまり「忙しい」って言いたくないんだけれど、ここのところバタつき気味。ありがたいことです、ほんと。

【大黒柱を全う中です】夫氏の職場がなくなるよ〜、

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ライター5年生になりました

ライター5年生になりました

タイトルの通り、ライター五年生になりました。小学校なら高学年に突入。個人的には、一番長い職歴更新です。いや、そもそも私には正社員職歴がないのですが、まあそれはさておき。

毎年、この時期に自分のための振り返りを行なっているので、今年も継続します……と思って見てみたら、昨年は何も書いていなかったようです。あれ?

その前は書いている。昨年の私、何をしていたのだろうか。

こんなものは書いていたようで

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その一言、百人力です

その一言、百人力です

書いたものを誰かに読んでもらえていたと知るのは、いつだって嬉しい。「好き」とか「応援しています」と言ってもらえるのは、もっと嬉しい。

その言葉があるから書いているわけではないけれど、その言葉は確かにわたしの肥料になる。子どもの頃に「豚もおだてれば木に登る」との評価を親からされていたくらいには、まあおめでたいし単純だし、乗せられやすい人間なんだろう。

ただ、もちろんのこと世辞はいらない。乗せよう

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名のある日記帳から、名のないnoteへ

名のある日記帳から、名のないnoteへ

「こんなことを考えています」と書きはじめたのは、小学校一年生のこと。

本来は日記である「あのね帳」に、途中から「しぜんはたいせつ、しぜんをまもろう」と連載スタイルで毎日書き綴ったのが最初だ。

読書感想文も、感想というよりも小論文のようで、子どもらしさはあまりなかったかもしれない。幸いだったのは、「意見します」といった可愛げのないスタンスの文章も、先生方がおもしろがって受け入れてくれていたことだ

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我思い書く、ゆえに我あり

我思い書く、ゆえに我あり

夫の仕事が当面休みのため、言ってしまえばこれまでより時間・体力的には楽なはずの外出自粛期間。(ふだんは90%以上ワンオペ)にもかかわらず、妙に疲れるし夜は眠いし、これは単にホルモンの時期によるものなのか、本当に疲れているのか、自分でもよくわからない。

ただ、書くときの集中力は何となく減だ。いや、確かに減だ。能率が悪くなっているなあと思う。割とインドアで出不精なわたしですらそうなのだから、もともと

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わたしの「聞いて・書く」、何かお役に立てませんか

わたしの「聞いて・書く」、何かお役に立てませんか

非常事態が起こると、いろいろな人が自分にできることを探しては、時に「自分には何もできない……」と無力感に打ちのめされる。そんな姿を、これまでも何度も目にしてきました。

2011年の震災のあとには、個人的に好きで読んでいたブログを書かれている人たちの多くが、上記のような状態に陥っていました。節電する必要性が叫ばれていたし、「楽しいことは自粛すべき」といった雰囲気もあったから、いくつものブログが「更

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自宅仕事の三種の神器、わたしの場合。

自宅仕事の三種の神器、わたしの場合。

在宅でのリモートワークをすることになった人に向け、「できれば机を用意したほうがいい」「椅子への課金を勧める」「モニターがある方が負担が軽い」といったアドバイスを多くTwitterやnoteで見かけるようになった。

わたしはフリーランスのライターだから、仕事場は自宅かカフェ(orファミレス)だ。たま~にコワーキングスペースを利用することもあるけれど、本当にまれ。そして、今は外出を控えているので、も

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インタビューメディア「ミチイロ」をはじめて。

インタビューメディア「ミチイロ」をはじめて。

先日、こんなことやるよーとnoteに書いた。

無事、先日7日に開始。小さな一歩を踏み出した。

わたしはTwitterの固定ツイートに、以前からこんなことを提示している。

1年と少しが経過した今も、わたしには書くことしかない。ここに「聞くこと」が加わってできたのがミチイロだ。



人のことをコンテンツのネタにする、ということに抵抗感がある。だから、基本的にわたしが個人で書くものは「わたし

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7月7日。七色の日に未知の色を届け始めます

7月7日。七色の日に未知の色を届け始めます

2018年1月。参加したノオト主催のライター交流会で、わたしは目標にこんなことを書いた。

「市井の人に話を聴きに行く仕事をしたい」

当時、すでに取材の仕事をしはじめていた。お店や、病院や、地域で活動する団体。どれも「市井の人たち」だ。

今は市井の人といえども、SNSで突如著名人になる(なってしまう)可能性がある。だから、どこまでが市井の人なのかといわれると、なかなか難しいなあとも思う。

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揺らぐ光の話を、聴かせて

揺らぐ光の話を、聴かせて

あのとき、ああしていたら、とか。あのとき、何も言わなかったら、とか。そんなことを思わないなんて、無理だ。

人生は一度きりしかなくて、一時停止もスローダウンさせることもできなくて、ただただ残酷に時間は過ぎる。ついこの間まで賑やかにやっていたはずの人たちも、お互いの環境の変化で何となく疎遠になった。「ついこの間」といったけれど、そのついこの間は、もう10年も前の話になる。

それぞれが、それぞれの生

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完成させつづけること

完成させつづけること

文章は粘土細工や油彩画みたいだ。

付け加えて、削って、削りすぎて、また付け加える。「ここで終わり」だと決めなければ終わらない。そして、その終わりを決めるのは自分だ。

趣味で書いているものであれば、いついつまでも手元に置いておける。作品に一生涯手を入れ続けた画家がいたように、一見完成品に見えたとしても、本人が未完成としてしまえば永遠に未完成のままだ。

でも、仕事の文章はそうはいかない。締め切り

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レールがある道もない道も、ハンドルを握っていることに変わりはないから

レールがある道もない道も、ハンドルを握っていることに変わりはないから

noteで、「社会人1年目の私へ」というタグイベントが開催されている。

社会人を正社員としてしまうと、わたしには一年目がない。自活という意味でいうなら、この仕事を始めたときだ。はじめから社会人といっていいのだろうか…と(収入面で)もやもやしてしまう部分はあるけれど。まあ、開業届を出した年、でいいのかな。

前回のnoteでも仕事について書いているのだけれど、わたしは長らく「働くわたし」のイメージ

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書くことが好きだと思っていたけれど

書くことが好きだと思っていたけれど

「書くこと」に出会ったのは、文字を覚えた幼稚園時代のことだ。

拙い字で絵の横に描いたものを書き記し、それがいつしか絵本のようなマンガのようなものに変化した。

絵本を読むのが好きな子どもだった。2歳の頃には、絵本を与えておきさえすれば静かにしていられる子どもだったらしい。文字を読めるようになる前から、物語の世界にどっぷり身を沈めていたのだろう。

マンガのようなものだったり、日記だったり、自然の

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死ぬほど苦しんだ先の、幸せな暮らし

死ぬほど苦しんだ先の、幸せな暮らし

日本のホテルや旅館には「4」がつく部屋がないのだと聞いたのは、何歳の頃だっただろう。「4」は「死」を連想するから、というのがその理由。本当に「4」がない部屋がどれくらいあるのかは知らない。

4と同じく、9も日本語ではあまりいいイメージを持たれない。「苦」だから。ただの語呂だけれど、日本語には連想させるものが多い。末広がりの八、とか。算用数字なら8は∞だ。ことごとく縁起がいいなあ。



そんな

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