見出し画像

7月7日。七色の日に未知の色を届け始めます

2018年1月。参加したノオト主催のライター交流会で、わたしは目標にこんなことを書いた。

「市井の人に話を聴きに行く仕事をしたい」

当時、すでに取材の仕事をしはじめていた。お店や、病院や、地域で活動する団体。どれも「市井の人たち」だ。

今は市井の人といえども、SNSで突如著名人になる(なってしまう)可能性がある。だから、どこまでが市井の人なのかといわれると、なかなか難しいなあとも思う。

なぜ市井の人なのかと訊かれたら、単純に「人が好きだから」と答えるのかもしれない。ただ、その裏には、曽祖父の葬儀で母がいった「ひとりの人間から、多くの人がつながっていくんやなと思って。世に名前を残す生き方じゃなくても、こうやっていろんな人がいて今の世があるんやね」がある。

彼女は母親だから、わたしと妹、そしてそこからつながっていく血縁者を思っての「多くの人」だったろう。実際、曽祖父には娘が4人いて、そこからさらに孫が何人もいて、さらにひ孫がわたしを筆頭に把握していない数だけいた。

ただ、わたしは「ひとりの人間には、多くの人が出会い関わっているんだな」と思っている。

話は変わるが、わたしが掲げている屋号は「Three Rabbits Writing」だ。三兎を追いたい、という意味が込められている。三兎とは、「個としてのわたし」と「家族のなかでのわたし」と「仕事をしているわたし」であり、また時には「わたし」と「クライアント」と「読み手」でもある。

人に興味を抱きながら、細分化したときにより興味を抱くのは同性である女性だ。生きやすい社会のためには男女を分けずに考えていくことが大切だと思うけれど、個人ができることはたかが知れている。夫婦の問題にしても、今のわたしができることは、わたし自身を変えるか変えないかを選び実行するだけだ。

男性の生きづらさは、もしかしたら女性が変わることで解消されるかもしれない、とも思っている。たとえば、マッチョな男性像を押し付けない、といった変化で。その結果、めぐりめぐって女性も生きやすくなるかもしれない。すべては未知数だけれど、でも、そうなったらいいなあと思う。

「市井の人」への興味と、「女性の生き方」。
ふたつの興味が合わさった。

「自分のことを“ふつうの人”だと思っている女性の半生をインタビューしたメディアを作りたいなあと、ぼんやり思っているんですよね」とはじめて口に出したのは今年の4月末のこと。実はこういう「したい」を口に出すのは、あまり得意ではない。ふつふつとずっと抱いていた想いが、ふとこぼれた瞬間だった。

ほぼ初対面の人しかいなかったその場にいた女性たちが、「えー、読みたい」と言ってくれた。

言っちゃった。口に出しちゃった。「読みたい」って言ってもらえちゃった。……やらなきゃ。やろう。

動き始めたのは5月末。まだ1カ月半も経っていない。

ジェンダーレスが進んでいる今、「なんで、あえて女性?」といわれるかもしれない。

本音をいえば男性にも、どちらでもない人にも興味はある。いやむしろ興味津々だ。元来、人に興味があるのだから。だけど、いきなり手広くはできないし、今やりたい対象を絞るならば「自分を女性だと思っている人」だと思う。

昔と比べると、ぐんと生き方を選べるようになった。だけど、まだまだ「選べない」と思っている(時に思い込んでいる)女性がいることを知っている。でも、選べないなかからでも、選べるんだよ。

わたしひとりが言っていても説得力がないし、おもしろくない。だから、いろいろな生き方をしている女性に話を聴きはじめました。


7月7日。
「ミチイロ」という名前の小さな小さなメディアをはじめます。

https://michiiro.com

いいなと思ったら応援しよう!

卯岡若菜
お読みいただきありがとうございます。サポートいただけました暁には、金銭に直結しない創作・書きたいことを書き続ける励みにさせていただきます。