卯岡若菜
ほぼわたしの考えを垂れ流すエッセイのようなもの。その2。
ライターであり、創作活動(アマ)をしているわたしの「ものを書くこと」関連のnote。
「愛」とか「性」とか「恋」とか。そんな諸々について勝手気ままに書きます。
ライターの七尾なお、卯岡若菜が脳を鍛えるために始めたマガジンです。毎週日曜夜にひっそり公開。
あけまして5日経ちました。いつぶりのnoteでしょうか。 毎年、開業した11月ごろに書いていた振り返りnoteですが、2021年は12月とズレにズレ、昨年はとうとう年内に書くことすらできませんでした。何なら年賀状もまったく間に合いませんでした。あー。 1年生き延びたぜ まあ、結局のところ昨年もこれに尽きます。本当に昨年もありがとうございました。おかげさまで1馬力経済で家族4人ご飯を1年食べられました。 「今月は仕事が少ないかもしれない」という夫への不安の吐露に始まり、月
誰かのブログを読むことが好きだった。エッセイとかコラムとかいった枠組みを考えて書かれているわけではない、誰かが自由に書いたブログが。もう10年ほど前のことだ。 ブログのランキングサイトから気になるジャンルに飛び、そこから惹かれたブログに飛んで、ひとつふたつ読んでみる。肌に合ったブログに出会えたら、過去の記事にも手を伸ばした。 「こんな生き方があるのか」「こんな感じ方があるのか」「こういう考え方ができるのか」「しんどそうな境遇に思えるのに、こんな捉え方ができる人がいるのか」
もう何年も前から「時が過ぎるのが早い」と言い続けている。 二十歳を迎えたときにバイト先のパートさんたちに「これから、本当に早くなるよ」と言われ、三十路になるころには「30から、本当にあっという間だよ」と年上の知人やママ友たちに言われたけれど、本当に本当にほんとうにその通りで、今年も気が付けば6月下旬に差し掛かろうとしている。 気付けば寒さが過ぎ去っていて、たぶん今年も気が付けば夏が終わっているんだろう。 あまりにも時間の流れが速すぎて、めまいを起こしそうになる。何かが起
ぼんやりとした不安感が、濃くなったり薄くなったりしながら、ずっと胸の内にある。 空を流れる雲が厚くなったり薄くなったりするように、心のなかに暗雲が立ち込めて息苦しくなったり、薄くなった雲の上にある光がかすかに見えたり。そんなことを繰り返す日々を送っている。 不安感に、明確な原因はない。だから、どう晴れさせたらいいのかも、よくわからない。 明確にいいことがあったわけでもないのに突如として前向きになり、特段悪いことが起きたわけでもないのに、これまた突如沈み込む。「お天気のほ
五月病に無縁な生活を送っている。……というと、健やかで良いことですねと言われそうだけれど、なんのことはない。万年五月病みたいなものだから、無縁だというだけのことだ。 「いつも明るくて楽しそうでいいね」 「バイタリティがあって羨ましい」 「常にテンション高いよね」 これが知人友人によく言われる言葉たちだ。別に間違ってはいない。知人友人に会っているときのわたしはほぼハイテンションだし、そもそもがマシンガントーカーなので、まあ基本的に騒がしいし。 別にことさら無理をしているわ
なんというかこう、明確な原因のないしんどさに取り憑かれている。 特段多忙なわけでも、何か精神をすり減らすような目に遭っているわけではないのだけれど、なんとなくじわじわと疲弊していく感覚がある。最近の話ではない。ここ数年の話だ。あまりよくないことだなあと思いつつ、まあ波はあれどそんな感じで生きてきた人間だしな、とも思っている。 SNSを開くと、心が疲れてしまうことばかりが目に入る。なんかもっとこう、以前は楽しかったのになあなんて思う。ネガティブな内容にダメージを受けるだけで
タイトルの通り、ライター六年生になりました。小学生なら最高学年に突入です。え、はっっや。 昨年書いた振り返りはこちら。 例年11月下旬に書けていたのに、今年は1ヶ月近い遅刻と相成りました。 というか、今年はnote自体、全然書けていない……。あんまり「忙しい」って言いたくないんだけれど、ここのところバタつき気味。ありがたいことです、ほんと。 【大黒柱を全う中です】夫氏の職場がなくなるよ〜、みーんな解散だよ〜って話を聞いたのがちょうど1年前の今ぐらい。 4月からわたし
将来の夢は何ですか。 そう尋ねられることのあった子ども時代、わたしは特に答えに困ったことはなかった。常に何か「なりたいもの」があったから。 なりたいものに、なれるわけではない。 子どものころに思い描いていた夢をそのままそっくり実現させることは、やっぱりいろいろと難しいのが現実だ。 たとえば、いつかのわたしは漫画家になりたかったのだけれど、思うように絵が上達せず、その一方でメキメキと絵がうまくなる妹を目の当たりにしてしまって、何となくその夢をフェードアウトさせていってし
あれよあれよという間に今年も下半期に入り、オリンピックも終わり、世の中はお盆休みに差し掛かっている。 毎月毎月、月末に「今月、もう終わっちゃう!!」と悲鳴を上げてはTwitterに投稿するのが恒例行事化しつつある。最近はそれに加えて「暑い」ばかりツイートしている気もする。 考えざるを得ないことは山ほどあるのだけれど、どれもこれもいまいち自分の中ではっきり言語化しきれていない。断片がほわほわふわふわ浮いていて、油断していると収拾のつかなさに心が丸ごと巻き込まれてしまいそうに
隔週土曜日は、図書館に行く日だ。 数年前までは定期的に行っていた図書館通いが、この春から復活した。「子どもを図書館に連れて行くため」がメインなのだけれど、ついでにちょこちょこと本棚から本を手に取り、5~10冊程度を借りてくる生活が続いている。 家にも積読があるにも関わらず、図書館から借りてきた本は何だかんだで読み切っている。「返さねば」という期限があると、案外読もうとするらしい。積読本もその調子で読みたいと思いながら、いつでも読める安心感がわたしをいつも甘やかす。 今年
夫がシュフ、私が稼ぎ手となってもうすぐ1ヶ月。これまで通り楽しく懸命に仕事に取り組むわたしの生活に変わりはないけど、「家事(と育児)負担が激減する」という大きな変化がありました。 まあ、もう数年前から家事は手を抜きまくりで、育児も本当最低限といった状況であったので、「そんな変わんないでしょ」感は否めないのだけれど。 ただ、毎日のご飯を心配しなくて良くなったのは本当に楽で、脳のリソースにも体力ゲージにも空きができた感覚があります。何なら自炊頻度向上により食費も減ったかもしれ
祝前日の月曜日、21時22分。 京浜東北線、大宮行き。乗り込んだ東京駅でラッキーなことに席に座れ、向かい側に座る乗客をぼんやり眺めている。 平日の夜に電車に乗るのはずいぶんと久しぶりのことで、眠るサラリーマンやスマホをいじる若い男女や首を折れそうなくらい曲げて眠る中年女性を見つつ、「あー、みんな家に帰るんだなあ」なんて、馬鹿みたいなことを思った。 思えば昔からわたしはそうで、高校時代の下校中にも、「みんなそれぞれに家があって、帰った先に生活があるんやなあ」なんて想像(妄
小学6年生の頃、クラス全員に表彰状を送ろうという話になった。何を表彰したいか、一人ひとりが全員分の内容を考えて、それを担任が取りまとめた。卒業前、わたしが受け取った表彰状は「人が嫌がることもやるで賞」だった。 確かに、わたしは人が嫌がることをよくやるタイプだった。校内祭りでお化け屋敷をしたときには口裂け女役をしたし、クラス劇では老婆役を引き受けた。どちらも誰もやりたがらず、クラスメートや先生に言われて「じゃあやるわ」と引き受けたのだ。 学級委員もそうだ。周りや先生から「や
書けば書くほど、「書くこと」がわからなくなる。 文章力とか筆力とか表現力とか創造力とか、全部ぜんぶ、どんどんわからなくなる。 わかることが増えるたび、わからないことが増えていく。難しさが跳ね上がっていく。そこまで到達できる気がしないのだけれど、と怯む。でも、「やーめた」とはなれずに、何だかんだ書き続けている。 知れば知るほど、先に進もうとすれば進むほど、「わからない」は増えていく。 だから、「わかった顔」ができない。だって、本当にわかんないんだよ。 結婚生活もそうだ。 い
「これから世の中はおそらくこうなるので、これこれこうしておいたほうがいいですよ」 「今これこれを考えて動いていた人が、きっと成功につながりますよ」 みたいな言葉は前々から見かけられていたもので、別に珍しくも何ともない。「へー、そうなんだー」と、ふんわり受け入れたり受け流したりつまみ食いしたりしてきた。全肯定も全否定もできないことが大半だから。だから、「〜すべき」とまで言い切る言葉には、「すんごい自信ですね」と思ってきた。 言い切ったほうが強い力を込められるから言い切る言
「何でも話してね」 「何かあったら相談してね」 そう、彼女は言う。そんな彼女に、わたしはへらへらと笑って「ありがとうございます」と返す。もう何度目かのやり取りだ。わたしが彼女に事実以外のことを話すことは、ない。きっとこの先もないだろう。 「でもね」 いつだって彼女は言う。「でもね」のあとに続くのは、「正しいこと」だ。結局、こちらの事情や感情を汲もうという気が最初からないのだ、彼女には。いつだって、こちらが伝えた事実を「うんうん」と聞いたあと、彼女はきまって「でもね」と言