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我思い書く、ゆえに我あり

夫の仕事が当面休みのため、言ってしまえばこれまでより時間・体力的には楽なはずの外出自粛期間。(ふだんは90%以上ワンオペ)にもかかわらず、妙に疲れるし夜は眠いし、これは単にホルモンの時期によるものなのか、本当に疲れているのか、自分でもよくわからない。

ただ、書くときの集中力は何となく減だ。いや、確かに減だ。能率が悪くなっているなあと思う。割とインドアで出不精なわたしですらそうなのだから、もともと外じゃないと集中できないタイプの人は、たいそうつらかろうなあ。

なんとなくストレスを受けつづけているのだろう。先の見えない感じとか、子どもの学習はどうなるんだろうとか、完全なひとり時間がとりづらい感じとかに。ちなみにテレビは見ていない。震災のときにメンタルが見事にやられ、懲りたから。

とはいえ、ネットであっても情報に触れすぎるのがよくないことには変わらない。侵食してくる強さを加減しなければやられてしまう。自分の耐性により、入れる量を判断しなければなあ。



午前中に一記事書けた。お昼ごはんの心配をすることなく食べられるのは幸いだ。ここに「今日のごはん」のタスクが乗っていたなら、わたしはキャパオーバーにより倒れたのではないだろうか。

ありがたいありがたいと思いながら、今日も夫の作ったごはんを食べる。食への執着は薄いけれど、食べることは生きるために必要だ。一人暮らしだと途端に杜撰になっただろうから、わたしの「食」は夫と子どもに本当に救われている部分だと思う。(ワンオペ時は子どもがいるから夫のいるいないを問わず食べさせるし、だからわたしも食べていた)



午後からは電話取材が控えている。もとは対面取材だったものだ。オンラインツールよりも電話のほうが使い慣れているからとのリクエストだったけれど、わたしは電話での長時間取材は初めて。いつもとは違う緊張感がある。

何だかんだで、午前中に「書けた」ことで気持ちが上向いている。沈んでいても元気でも、とりあえず書けているうちは大丈夫だ。本当によくないなと思うのは書けないときで、それは「書けない」よりも「考えられない、思考が散らばってしまってまとまらない」、のほうが正確かもしれない。考えられなければ、書けないのだ。

「我思う、ゆえに我あり」という有名な言葉があるけれど、わたしはまさにそうなのだろう。というか、考えられなくなってしまったら、気が狂ってしまうのではないか。そんなことも思う。

だから、今の執筆能率「なんとなく減」が、自覚している以上につらいんだろうな。かといって、どうしようもないのだけれど。幸い、本や漫画や映画はたくさんある。アウトプット能力が落ちているときこそ、インプットに勤しもう。さて、何にしようかな。


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先週の「私の仕事」で、いいねをたくさんもらった記事のひとつだとnoteからお知らせをもらった。ありがたい。「聞く」「書く」を必要とする人に届いたら嬉しい。



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卯岡若菜
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