BadBad Daddy

60年代、70年代のロック系音楽が大好きです。 サッカーも大好きで、今はユーロ2024を観るのが、嬉しい寝不足な楽しみです。 日本では家長昭博のファンです。 あと、映画や本も大好き。 なお これは、新たに書いたものと 以前、メモ等に書いたものを転記した備忘録です。

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60年代、70年代のロック系音楽が大好きです。 サッカーも大好きで、今はユーロ2024を観るのが、嬉しい寝不足な楽しみです。 日本では家長昭博のファンです。 あと、映画や本も大好き。 なお これは、新たに書いたものと 以前、メモ等に書いたものを転記した備忘録です。

最近の記事

エルトン・ジョン「土曜の夜は僕の生きがい」

エルトンでは、1番ハードな曲でした。 エルトン・ジョン「土曜の夜は僕の生きがい」1973年 記憶では、この曲 グランド・ファンク・レイルロードの「アメリカン・バンド」と同じ時期にヒットし、ヒットチャートもののFM番組では、いっしょに流してくれていた。 FM東京の土曜か日曜の昼の番組だったかな。 よく聴いた記憶。 土曜の夜は僕の生きがい  Saturday Night's Alright For Fighting いいタイトルだよね。 曲もハードなギターが鳴るロックンロー

    • グランド・ファンク・レイルロード「アメリカンバンド」1973年

      【これぞ、新生GFRの魅力が爆発の一曲】 グランド・ファンク・レイルロード「アメリカンバンド」1973年 1973年 私は高一。 私的に、本格的にロックに目覚めました。 だいたい中2くらいから洋楽を聴き始め、二つ上の従兄弟にレコード貰ったり、クラスの友人とボウイやTレックスの来日の話題で盛り上がり、高校に入学の春の頃、イエス、ユーライア・ヒープ、ベック・ボガード&アピス、ハンブル・パイとかの来日の記事をミュージックライフ誌とかで、貪り読んだりした。 縁あって入った強豪格闘技

      • グランド・ファンク・レイルロード「不死鳥」1972時

        トッド・ラングレンのプロデュースの良さが逆にわかるアルバム。 グランド・ファンク・レイルロード 『 不死鳥 (原題: Phoenix) 』1972年   キーボードのクレイグ・フロイト入りの4人体制の初めての作品であり セルフ・プロデュース作品。 久しぶりに聴きましたが なんとも、はや いままでは、マークがギターからオルガンに持ち替えたりとかのトリオ体制から キーボード奏者の加入で、楽器は4人体制に。 そのぶん、専任キーボード奏者加入でもあり、キーボードが活躍してたりす

        • グランド・ファンク・レイルロード「戦争をやめよう」

          いまこそ 『 戦争をやめよう (原題: E Pluribus Funk) 』1971年 グランド・ファンク・レイルロード これもリアルタイムでなく 一旦、活動停止になる最後の「熱い激突」を買った後くらいに、中古盤で安く買ったもの。 ずっとグランド・ファンクから離れていて、「熱い激突」で、気持ちが向き、レコード屋で中古を見つけた感じ。 だから オープニングの「フットストピン・ミュージック」は、既に4人体制の1975年のライブ盤で聴いて、お馴染みになっていた。 スタジオ盤なの

          グランド・ファンク・レイルロード「サバイバル」1971

          グランド・ファンク・レイルロード「サバイバル」1971年 これは、けっこう後に買った記憶。 1976年の「熱い激突」より後なのは間違いない。 私は大学時代 バイトの金が入ると 新宿辺りの輸入盤屋を何軒か梯子し、下北沢とかで服を買い、世田谷の安アパートに帰るというパターンだった。 何枚もの重いレコードを買い、服を買い、食品とかも買って帰るのだが、全て歩きと電車。 今は、買い物はほとんどクルマなんで、ほんとご苦労様だ。 しかし、ちっとも大変と思わず、楽しい日で、楽しい帰路だった

          グランド・ファンク・レイルロード「サバイバル」1971

          グランド・ファンク・レイルロード「熱い激突」

          今朝のウォーキングミュージック グランド・ファンク・レイルロード「熱い激突」1976年 4人体制での最終アルバムとなった『熱い激突 (原題: Good Singin', Good Playin') 』 これ、好きなんですよお。 トッド・ラングレンのプロデュースで2枚。  そのあと ジミー・アイナーのプロデュースで2枚。 そのあと フランク・ザッパのプロデュースで出したアルバムがこれ。 まず ザッパのプロデュースには、びっくり。 あのザッパが、グランド・ファンクをプロデュー

          グランド・ファンク・レイルロード「熱い激突」

          グランド・ファンク・レイルロード「LIVE ALBUM」

          【バンドマンにイモ食わせてんじゃねえよ】 グランド・ファンク・レイルロード「LIVE ALBUM」1970年 さあ、名ライブ盤です。 久しぶりに聴きました。 やはり、「アー・ユー・レディ」から盛り上がりますな。 メル・サッチャーのベースが煽り ドンとマークが叫びながら暴れまくるオープニング 1970盤も1971盤も 盛り上がること 盛り上がること。 特に、この1970盤は、効果的に歓声を被してあり、臨場感もたっぷり。 2枚組レコードとは曲順が違うCDのほうのテイクのAp

          グランド・ファンク・レイルロード「LIVE ALBUM」

          グランド・ファンク・レイルロード 1971年ライブ

          【2000年以後、発掘もの的に発売されたライブ盤です】 グランド・ファンク・レイルロード 「The 1971 Tour」 順でいうと 名ライブ盤「Live Album 」1970年を聴こうと思ったが 臍曲がりでもあるので CD時代に突如発売された1971年のライブ盤を聴いた。 これは、嬉しい発掘ライブ盤なんでしょうが 大きな疑問があるライブ盤。 グランド・ファンクの代表曲と言えば それは 「ハートブレイカー」 「孤独の叫び」 だと思うのだが その代表曲「ハートブレイカー」

          グランド・ファンク・レイルロード 1971年ライブ

          グランド・ファンク・レイルロード「クローサー・トゥ・ホーム」

          グランド・ファンク・レイルロード「クローサー・トゥ・ホーム」1970年 久しぶりに私が聴いたグランド・ファンクのサードアルバム リアルタイムで、初めて、これ聴いたりしたなら いきなり生ギターから始まるので、 ツェッペリンのサードみたいなの? と、一瞬思うかもしれない。 しかし 一曲目、生ギターから始まるが 途中から、一気にフルスロットルで爆走し始める。 気持ち良いねえ、ここ。 サードアルバムにして やっと、ドラムが真ん中の定位に。 また、ギターがぐるっと左右に触れたり ス

          グランド・ファンク・レイルロード「クローサー・トゥ・ホーム」

          グランド・ファンク・レイルロード「グランドファンク」

          【グランド・ファンクは、スピーカーで聴くべし】 グランド・ファンク・レイルロード 通称レッドアルバム「グランド・ファンク」1969年(日本発売は1970年?) 昨日に続き 赤盤とも言われるセカンドアルバムを。 これ イヤホンでは初めて聴いたが これも、ドラムは左チャンネル。 ファーストと楽器の定位が同じく。 ファースト以上によく聴いたのに、いまさら。 イヤホンで聴かないと、あまり違和感なかったのかも。 この半年以内にも、これはレコードで聴いたのだが、チャンネル振り分けの違

          グランド・ファンク・レイルロード「グランドファンク」

          グランド・ファンク・レイルロード登場 1970年

          グランド・ファンク・レイルロード「グランド・ファンク・レイルロード登場」1969年(日本発売は1970年?) たまには、シンプルなハードロック聴きながらウォーキングしようかと グランド・ファンクのデビュー盤。 これは、リアルタイムでない。 私がグランド・ファンクを聴くようになったのは、たぶんトリオ時代の最後のほうの時期で  ライブ盤とか、いろいろ遡り、聴き始めた。 アルバムとしても、次の赤盤と言われた次作「グランド・ファンク」のほうを先に聴いていたと思う。 曲としては、この

          グランド・ファンク・レイルロード登場 1970年

          ミッキー・カーチス&サムライ「河童」「サムライ」

          ミッキー・カーチス&サムライ 「河童」「侍」 1971年 1971年、私は中2。 リアルタイムでは、全く知らないアルバムでした。 ミッキー・カーチスというと ロカビリー三人男の1人とは知っていたが 歌声を聴いたこともなく ドラマとかに出てたり ガロやキャロルのプロデューサーとしてしか、知識がなかった。 テツ山内さんが、フリーやフェイセズで活躍したことで、かつてミッキー・カーチス&サムライのメンバーとして渡欧し、活躍してたという芸歴から、ミッキー・カーチスって、そういうバン

          ミッキー・カーチス&サムライ「河童」「サムライ」

          「天才ジミ・ヘンドリックスの生涯」1973年

          音楽誌のレコード評を読み、買ったレコード。 「天才ジミ・ヘンドリックスの生涯」1973年 1973年、高一の頃 ジミヘンのライブ盤、なんか欲しいな、と思っていた頃 ミュージックライフ誌に、映画「天才ジミ・ヘンドリックスの生涯」の2枚組サントラ盤が1ページに渡り紹介されていた。 読むと、 うん、これだ、名演揃いみたいだ、買うならこれだ。 と、初めて買ったジミヘンのライブ盤がこれ。 「ロック・ミー・ベイビー」の数あるカバーのなか 最高にスリリングな演奏。 ギターリフとか、もは

          「天才ジミ・ヘンドリックスの生涯」1973年

          「レッド・ツェッペリンⅢ」

          レッド・ツェッペリン「レッド・ツェッペリンⅢ」 私の中で だんだん重要度を増したアルバムです。 たぶん 私と同じ方はいると思いますが アコースティックな曲が多く、ツェッペリンの作品の中では、1番物足りなく思ってしまいました。 私がツェッペリンに夢中になったのは 従兄弟に「ツェッペリンⅡ」を渡され、初めてじっくり聴いてから。 その時には、あの「天国の階段」含む大傑作「Ⅳ」が出ていて、それと「Ⅰ」、この「Ⅲ」を後から聴きました。 リアルタイムでは、5枚目「聖なる館」からで、これ

          「レッド・ツェッペリンⅢ」

          フリー「ハートブレイカー」1973年

          フリー「ハートブレイカー」1973年 これは、当時のミュージックライフ誌でも評価は高く、いい作品なんだろうとは思ってましたが、すぐには買わなかった。 まだ、小遣い少ない高一。 買う優先順位は低かった。 そんなとき レコード屋か 友人からか 記憶は定かでないが サンプラーLPレコードを貰った。 片面に6曲くらい入っていて ロックだけではなく 何曲かしか聴かなかったのだが その一曲目が「ウィッシング・ウェル」 アルバム「ハートブレイカー」からの曲。 これが、実にかっこよかった

          フリー「ハートブレイカー」1973年

          レッド・ツェッペリン「聖なる館」1973年の音楽誌の評価

          レッド・ツェッペリン「聖なる館」1973年 当時、1973年、私は高一 「聖なる館」は、音楽誌では、低い評価でした。 サブスクも YouTubeも レンタルもない時代 音楽誌のレコード評は 買うか、買わないか 大きな判断の基になります。 ミュージックライフ誌でのレコード評 パンダマークは、五段階で、最低の「一」じゃなかったかな。 書いてある内容も、ひどい。 そんななか、NHK-FMの夜の放送で LPまるごと放送。 しっかり、カセットテープをカセットデッキに入れ、チェック。

          レッド・ツェッペリン「聖なる館」1973年の音楽誌の評価