グランド・ファンク・レイルロード「サバイバル」1971
グランド・ファンク・レイルロード「サバイバル」1971年
これは、けっこう後に買った記憶。
1976年の「熱い激突」より後なのは間違いない。
私は大学時代
バイトの金が入ると
新宿辺りの輸入盤屋を何軒か梯子し、下北沢とかで服を買い、世田谷の安アパートに帰るというパターンだった。
何枚もの重いレコードを買い、服を買い、食品とかも買って帰るのだが、全て歩きと電車。
今は、買い物はほとんどクルマなんで、ほんとご苦労様だ。
しかし、ちっとも大変と思わず、楽しい日で、楽しい帰路だった。
住んでたのは
古いアパートで、場所は、世田谷。
世田谷線 松陰神社前
風呂無しトイレ共同、六畳一間17,000円
これが、当時の私の城。
当然、エアコンなど、当時はなく
最初の夏は秋葉原に行き、交渉し、安く扇風機を買い、電車乗り継ぎ、ウキウキして帰ってきた時の喜び、いまだに記憶している。
電車のホームで、知らないおっさんに
「その扇風機、いくらで買った?」
「⚫️⚫️⚫️です」
「お、安いな。うまい買い物だ」
それで、嬉しくなったもんだ。
話
だいぶ逸れました。
そんなバイト代が出た嬉しいバイト後のレコード屋で買った中に、このグランドファンク「サバイバル」がありました。
中古だったかもしれない。
安かったから買ったのかも。
そうそう
最近、いろんな方からモテモテで
うわっ、こんな素敵な方からもモテていたのかと、びっくりさせた玉木さん
「103万の壁」をと話題だが
私の時代も「壁」があった。
ある12月のこと
私がバイトしてた会社で
まわりの社員が「年末調整で、けっこう戻ったよね」とか会話してた。
年末調整?
なんな、そりゃ。
いくらか、貰えるの、増えるの?
と、思っていたら
私のバイト代の明細
逆に半分くらいに減っていた。
その会社
日本技術開発という建設系コンサル会社で
私がしてたのは、30年後だったかな、将来の千葉県で水がうまくまわるかという千葉県庁から依頼のプロジェクトのお手伝いでした。
わりと仕事が楽しく
締切とかの前は仕事に燃え
徹夜もあったし
大学の試験より締切を優先させたことも。
だから
けっこう働き
その「壁」を超え
社会保険に加入もすることになり
初めて年金手帳ももらった。
その「壁」については、何も知らずに
バイト代が減ったので、総務課にいき
説明され、初めて知った。
早く教えてよ
損したよ、と腹が立ってしまってた。
だっあ、さあ
12月に手取りが減ったんだよ
まいるよねえ。
昨今の時事話で
そんなことも思い出し
また、話が逸れた。
この「サバイバル」
やはり、メル・サッチャーのベースはいいなあ
とか
マークとドンのツイン体制のボーカル、気持ち良いなあ
とか、グランドファンクならではの良さがあるアルバム。
また、「フィーリング・オーライト」
「ギミーシェルター」というカバーの良さ。
大好きなアルバム。
「熱い激突」より後に買ったのを
後悔しましたよ。
もっと早く買うんだったと。
グランドファンクは、ほんとカバーがうまい。
「孤独の叫び」もだし
後に「ロコモーション」とかもびっくりのカバーだった。
あの軽快な曲を、あんなヘビーにしちゃうのだなら。
このアルバムの「ギミーシェルター」は
後の1975年のライブ盤では、大切な最終盤曲にしてたりする。
カッコいい出来だ。
ああ、楽しくウォーキング出来ました。
いろいろ音楽以外のこともおもいだしながらだけとね。