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Turn.26『出世車両』
こっちも今回更新しておきます。
前の投稿はいつかなぁ〜なんて呑気に遡ってみたら、2ヶ月も前でビックリ。いやぁ、何してんだろう…俺…
さて、そんなショゲる空気は置いておいて、今回から少し気長に始めていきましょうか。
今回は久しぶりの京阪電車。たまぁに中川家・礼二のネタに取り上げられるあの会社です。複々線とか、急行電車とか。中川家・礼二氏の観察眼を養う原点にもなったようで、個人的に京阪が関西に
Turn.24『ようやく?』
先月の某日…でしょうか。
南海電車に乗車した時の事をここに記しておきます。
その際、最近に『グッドデザイン賞』を受賞した話題の車両である泉北9300系に遭遇しました。
既にこの形式によって泉北の旧式車両である3000系は大半の編成が置換え完了。
現在は3000系の影も薄くなり、しっかりと置換えが進行している状態となっております。
車両としては先行して製造された南海8300系と車体自体は
Turn.21『家族の記憶』
今回も阪急です。
車両は、知る人ぞ知るレアな車両。
ある意味で助っ人的な存在ではありますが、この車両を狙う為に朝の神戸線に何回も通いました。
朝の神戸線…
それがピタリと浮かんだ方、その話です。
今回の車両は、8200系。
阪急の中でも異端中の異端な車両で、扉にはワイドドアを採用し、かつては座席収納機構を搭載して朝ラッシュ時には乗客をとにかく詰める事に全力を振り切った電車でした。
Turn.17『朝の嗜み』
前回連載分では、『コロナ禍パンデミックの過ごし方』
として早朝に大阪へ戻ってくる貨物列車の撮影をしていた話をしましたが、今回の話も若干やそれに近くなるような話題です。
撮影時期は令和2年。
丁度コロナ禍の1番最初に差し掛かっていた時期の撮影だったように思うのですが…
もうパンデミックが何だと騒いでいた時代はとうに終了し、時期の経過は若干頭から抜け落ちているのが現状と言いましょうか。
さ
Turn.16『孤独への癒し』
前回記事から2回連続で読むと、
「お前さんまた釜ネタ書いてやがる…」
と思われそうですが、この話に関しては極力触れずにどうぞ。(なんやねん)
今回の写真は、令和2年に撮影したEF65形による松山貨物駅の開業記念ヘッドマークである『スーパーライナーいよ』を装着したEF65形の貨物列車の話です。
現在でもおそらく残存していますが、このヘッドマークを装着する事になった列車は新鶴見方面から5087列
Turn.15『営団の美に酔う』
令和になってもこんな車両が走行していた事には、現在でも軽い衝撃を感じます。
令和5年の1月頃に引退した、長野電鉄3500系です。
この車両の元を辿ると、営団地下鉄日比谷線の3000形となり、日比谷線が開業したばかりの『初代』の車両という事になります。
登場は昭和36年で、長野電鉄時代まで含めて計算すると実に62年もの歳月走った事になります。
当初は日比谷線の方に車長制限があったので、車両
Turn.13『一生の思い出と後悔の話』
平成30年の頃。
この時期から自分は様々な場所に目的を持って移動し始めます。
母親が家を留守にするので、その時期にダブらせて自宅を出て夜行バスで日帰りとか。そんな感じの事をし始めた矢先の話になるのですが、少し不穏な噂が流れ始めます。
立山黒部のアルペンルート、長野県の扇沢から富山県の黒部ダムまでを運転する『トロリーバス』が電気バスに転換されるというニュースです。
この情報を聞いて、自分は
Turn.9『思い出の祖谷』
JR四国から2000系気動車が引退したのは一体今から数えてどれほど前なのでしょうか。
だいぶ経過したような気持ちもありますし、まだ走ってそうなんだよなぁ…という気持ちにも。
ここでの『2000系気動車引退』は特急/南風からの引退を指します。現在でも2000系気動車は四国全域で活躍中で、変わらぬ走りを予讃線・土讃線の高知以南では継続しております。
写真のような堂々とした編成はもう見る事が出来