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Turn.24『ようやく?』
先月の某日…でしょうか。
南海電車に乗車した時の事をここに記しておきます。
その際、最近に『グッドデザイン賞』を受賞した話題の車両である泉北9300系に遭遇しました。
既にこの形式によって泉北の旧式車両である3000系は大半の編成が置換え完了。
現在は3000系の影も薄くなり、しっかりと置換えが進行している状態となっております。
車両としては先行して製造された南海8300系と車体自体は
Turn.22『嘘っぽいけど事実の話』
皆さん。特に京阪沿線の方なら。
京阪沿線の親子連れの方や鉄道に興味のある諸君方々なら一度は訪問の経験があるであろう施設、
『くずはモール内・SANZEN-HIROBA』
には運転シミュレータがあります。
1つは8000系。
皆さんご存知、京阪では花形格の車両で3000系・テレビカーから継承した『京阪特急』の座を現在も誇示している30年近い中堅選手です。現在でもその人気は高いですよね。
「い
Turn.21『家族の記憶』
今回も阪急です。
車両は、知る人ぞ知るレアな車両。
ある意味で助っ人的な存在ではありますが、この車両を狙う為に朝の神戸線に何回も通いました。
朝の神戸線…
それがピタリと浮かんだ方、その話です。
今回の車両は、8200系。
阪急の中でも異端中の異端な車両で、扉にはワイドドアを採用し、かつては座席収納機構を搭載して朝ラッシュ時には乗客をとにかく詰める事に全力を振り切った電車でした。
Turn.20『縁の下』
先日発生しました、東海道新幹線の保線車両衝突の事故。
この事故で衝突した車両の片方は鉄道ファン(そんなに少ないけど)に通称
『マルタイ』
と呼ばれる保線では有名な車両です。
今回の写真の車両は、阪急のマルタイ。友人から連絡を頂き、自分が代行で撮影して友人に成果を見せる…といった感じだったような記憶があります。
撮影した時間は未明の2時とかくらいで、普通は寝ていないといけません。こんな時間に
Turn.17『朝の嗜み』
前回連載分では、『コロナ禍パンデミックの過ごし方』
として早朝に大阪へ戻ってくる貨物列車の撮影をしていた話をしましたが、今回の話も若干やそれに近くなるような話題です。
撮影時期は令和2年。
丁度コロナ禍の1番最初に差し掛かっていた時期の撮影だったように思うのですが…
もうパンデミックが何だと騒いでいた時代はとうに終了し、時期の経過は若干頭から抜け落ちているのが現状と言いましょうか。
さ
Turn.16『孤独への癒し』
前回記事から2回連続で読むと、
「お前さんまた釜ネタ書いてやがる…」
と思われそうですが、この話に関しては極力触れずにどうぞ。(なんやねん)
今回の写真は、令和2年に撮影したEF65形による松山貨物駅の開業記念ヘッドマークである『スーパーライナーいよ』を装着したEF65形の貨物列車の話です。
現在でもおそらく残存していますが、このヘッドマークを装着する事になった列車は新鶴見方面から5087列
Turn.15『営団の美に酔う』
令和になってもこんな車両が走行していた事には、現在でも軽い衝撃を感じます。
令和5年の1月頃に引退した、長野電鉄3500系です。
この車両の元を辿ると、営団地下鉄日比谷線の3000形となり、日比谷線が開業したばかりの『初代』の車両という事になります。
登場は昭和36年で、長野電鉄時代まで含めて計算すると実に62年もの歳月走った事になります。
当初は日比谷線の方に車長制限があったので、車両
Turn.14『往年の勇姿』
永遠のスターかもしれません。
突然こうして始まるのも違和感になってくるのでしょうけれど。
さて、今回の話は富山地方鉄道10030形、元・京阪3000系テレビカーです。晩年には中之島線開業に伴って同時投入された車両の影響で、頭に(旧)が付いたりしましたが自分は気に入ってないので『テレビカー3000系』と呼ぶようにしています。
写真撮影時期は高校3年生。
3年生と言っても、受験勉強らしい身の
Turn.13『一生の思い出と後悔の話』
平成30年の頃。
この時期から自分は様々な場所に目的を持って移動し始めます。
母親が家を留守にするので、その時期にダブらせて自宅を出て夜行バスで日帰りとか。そんな感じの事をし始めた矢先の話になるのですが、少し不穏な噂が流れ始めます。
立山黒部のアルペンルート、長野県の扇沢から富山県の黒部ダムまでを運転する『トロリーバス』が電気バスに転換されるというニュースです。
この情報を聞いて、自分は