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ガン患者の家族の闘病記

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2024年6月の記事一覧

夫の怖い病室

夫の怖い病室

今回はICUに二泊しただけで、すぐに出ることが出来たが、

ナースステーションの隣のお部屋に移された。

前回は新館だったので、HCUだったのだが、

昭和に建てられた古い病棟は、ナースステーションの隣の部屋だというだけだ。

今回は、突然心肺停止になったので、何人かの医師が病室に入ってきて、夫に訊く。

「なにがあったのですか?」

そんなことは、私たちが訊きたいと思った。

ナースステーション

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夫二度目の肺炎

夫二度目の肺炎

看護師からすぐに来てくださいと連絡があった。

トイレに行こうとして、意識がなくなり倒れたらしい。

夫は覚えてない。

医師から炎症反応CRPの数字が高いと聞いたので、

「肺炎じゃないですか?」と尋ねたら

レントゲンを見ながら、「僕は違うと思う」と言っていた。

1週間後、いろいろな検査をしても、CRPが高い原因が見つからないと看護師が言うので、

再度「肺炎じゃないんですか?」と訊いたら、

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夫の2度目の化学治療

夫の2度目の化学治療

夫は、年末はのんびりと家で過ごして、年明けから化学療法を受けることになった。

それまで1ヶ月半。長かった。

私の精神状態は、どんどん悪くなった。
町で仲の良い夫婦を見かけると、自然に涙が出てきた。

居ても立ってもいられなかったので、ミシンを出してきては、いろんなものを縫っていた。

病室のベッドサイドの収納ケース(書類やボールペンを入れるマガジンラック)を作ったり、

ベッドにかけられるティ

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夫の余命宣告

夫の余命宣告

夫婦2人で医師の説明を受けるために、消化器外科へ行く。

主治医は、いつになく暗い顔をしている。

私の顔もまともに見ない。

「下咽頭癌ですね。手術すると声が出なくなる人が多いです。そして、予後が非常に悪いです」

夫の顔を見たら、真っ青だった。

「以前、放射線をかけているので、
基準値以上はかけてはいけない決まりがあるので、手術をおすすめします」

そして、

夫は「手術はしません」ときっぱ

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夫退院して半年

夫退院して半年

夫は退院後半年しても、喉が痛いと言っている。

もう激痛だ。

それで、再度、食道ガン手術を受けた大学病院の耳鼻咽喉科で検査を受けた。

しかし、何もないと言われた。

では、どうして激痛なのか、私たち夫婦には訳がわからなかった。

いま、悔やまれるとしたら、他の病院にも行って、検査すべきだったのかも知れない。

退院後一年間は、夫にとっては大変だったのかも知れないが、

夫が会社から帰ってくれば

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夫の退院

夫の退院

夫は仕事が好きだった。手術のために2週間くらい休むつもりが、

すでに、2ヶ月半も休職していた。

「有給がなくなっちゃう」と心配していた。

夫は職場に恵まれて、入院中もお給料は出ていたし、本当にありがたかった。

夫は心苦しかったのだと思う。

「一刻も早く会社に行きたい」

「ここにいたら、食事も食べたくないし、早く家に帰りたい」と言って

医師や看護師に退院を急かしていた。

担当の看護師

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夫の快復、そして‥

夫の快復、そして‥

手術後、夫は順調に快復した。

毎日面会に行くたびに、薬や排液の管が減っていくので、私は嬉しかった。

そして、一般病棟に移ることになった。

一般病室は、他の患者さんも一緒なのに、各々のベッドはカーテンで仕切られていたし、

看護師も頻繁に来なくなったので、昼でも、暗い感じがした。

食事も出るようになったが、
夫は「抗がん剤治療を思い出す」と言って、まったく手をつけなかった。

そして、喉を指

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夫の二度目の手術

夫の二度目の手術

夫は腹膜炎の洗浄のため、開腹手術をした。

食道ガンの手術と違って、6時間程度で終わったが、何があるかわからないので、義母も呼んだ。

手術後、医師に呼ばれて説明を受ける。すぐ夫は部屋に戻ってきた。

時間がかかったのは、麻酔がなかなか効かなかったからだと言うが、

途中で経過を報告してくれるわけではないので、

こちらとしては、なにかあったんじゃないかと気を揉んでしまう。

手術後30分くらいは

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HCUでの日々

夫が、ニ週間のICUから無事に戻ってきて、私は胸をなでおろしたのだが、

今度はナースステーションと直結の部屋に入れられた。

排液を捨てるため、看護師がものものしい恰好で入ってくる。

点滴の確認などを入れたら、
10〜15分おきに来る。だから夫は、看護師さんとなごやかにお話ししていたようだった。

夫は話も出来るようになってきたし、あまり私は心配していなかったが、あとで考えると重篤だったのだと

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夫のICU体験記

夫のICU体験記

退院してから、夫は「ICUは地獄のようだった」と言っていた。

人工呼吸器はものすごく苦しいし、

昼夜かまわず煌々と電気がついていて、眩しくて眠れない。

人工呼吸器のポンプ音だけでも、うるさいのに、

あちこちでモニターのアラーム音が鳴り響く。

首を固定されていたから、何にも見えなかったが、

隣のベッドでは、医師たちが何かの処置をしていたが、どうやら亡くなったみたいだった。

排泄もベッド

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手術翌日の長い一日

手術翌日の長い一日

手術の翌日。朝から夫に会いに行った。

夫は、車椅子に座っていたが、驚くくらいグッタリしていた。

看護師が、入れかわり立ちかわり
3分おきくらいに来たが、

誰も私には見向きもしなかった。

夫が車椅子からずり落ちそうだったので、ベッドに寝かせてもらったのだが、

それがいけなかったらしく

夫は苦しげに「酸素のつまみをいっぱい回してくれ」と言った。

あわてて看護師に頼んだら
「これで精一杯で

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鬱の治しかた 2

私は母を喪くしてから
5年間鬱病だった。

あれから10年以上たったが、
ものすごく長い5年間だった。

正直辛かったこと以外は、あまり覚えていない。

メンタルクリニックの先生に
いつ治るんですか?とよく訊いていた。

先生の「必ず良くなりますから」と言う言葉を信じるしかなかった。

通っていたメンタルクリニックの先生は、患者の話しをよく聞いてくれるほうではなかったし、

後にも先にも唯一
私に

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手術当日

手術当日

夫は、抗がん剤と放射線治療を受けて喉の痛みがおさまっていた。

だから、私が無理にすすめなくても、良く食べた。

手術する前日に、医師から説明を受ける。

無口な先生だから

「食道を切って、胃を上に持ち上げて食道の代わりにします。何か質問は?」

で終わってしまった。

あとは、サインして終了。

埼玉から足を運んでくれた義兄は、拍子抜けしていた。

そして、手術の当日。

夫は、軽い足どりで手

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夫の放射線治療

夫の放射線治療

こうして、夫の食道ガンの
放射線治療がはじまった。

5週目で終わった途端。

夫は、私の心配をよそに
「うすめたお酒なら大丈夫でしょ?」

「いや、いや〜ダメでしょ」と私。

「飲んじゃお〜」と夫。

「看護師さんが言ってたじゃないの!やけど状態の粘膜にアルコールが流れていくと‥」

見ると、すでに夫は焼酎を水でうすめて飲んでいた。

禁酒は5週間でやぶられたが、

嬉しそうに飲んでいる夫を見る

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