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ぴもみ
2024年6月30日 21:07
今回はICUに二泊しただけで、すぐに出ることが出来たが、ナースステーションの隣のお部屋に移された。前回は新館だったので、HCUだったのだが、昭和に建てられた古い病棟は、ナースステーションの隣の部屋だというだけだ。今回は、突然心肺停止になったので、何人かの医師が病室に入ってきて、夫に訊く。「なにがあったのですか?」そんなことは、私たちが訊きたいと思った。ナースステーション
2024年6月29日 22:14
看護師からすぐに来てくださいと連絡があった。トイレに行こうとして、意識がなくなり倒れたらしい。夫は覚えてない。医師から炎症反応CRPの数字が高いと聞いたので、「肺炎じゃないですか?」と尋ねたらレントゲンを見ながら、「僕は違うと思う」と言っていた。1週間後、いろいろな検査をしても、CRPが高い原因が見つからないと看護師が言うので、再度「肺炎じゃないんですか?」と訊いたら、
2024年6月28日 15:50
夫は、年末はのんびりと家で過ごして、年明けから化学療法を受けることになった。それまで1ヶ月半。長かった。私の精神状態は、どんどん悪くなった。町で仲の良い夫婦を見かけると、自然に涙が出てきた。居ても立ってもいられなかったので、ミシンを出してきては、いろんなものを縫っていた。病室のベッドサイドの収納ケース(書類やボールペンを入れるマガジンラック)を作ったり、ベッドにかけられるティ
2024年6月26日 17:33
夫婦2人で医師の説明を受けるために、消化器外科へ行く。主治医は、いつになく暗い顔をしている。私の顔もまともに見ない。「下咽頭癌ですね。手術すると声が出なくなる人が多いです。そして、予後が非常に悪いです」夫の顔を見たら、真っ青だった。「以前、放射線をかけているので、基準値以上はかけてはいけない決まりがあるので、手術をおすすめします」そして、夫は「手術はしません」ときっぱ
2024年6月25日 15:41
夫は退院後半年しても、喉が痛いと言っている。もう激痛だ。それで、再度、食道ガン手術を受けた大学病院の耳鼻咽喉科で検査を受けた。しかし、何もないと言われた。では、どうして激痛なのか、私たち夫婦には訳がわからなかった。いま、悔やまれるとしたら、他の病院にも行って、検査すべきだったのかも知れない。退院後一年間は、夫にとっては大変だったのかも知れないが、夫が会社から帰ってくれば
2024年6月23日 15:01
夫は仕事が好きだった。手術のために2週間くらい休むつもりが、すでに、2ヶ月半も休職していた。「有給がなくなっちゃう」と心配していた。夫は職場に恵まれて、入院中もお給料は出ていたし、本当にありがたかった。夫は心苦しかったのだと思う。「一刻も早く会社に行きたい」「ここにいたら、食事も食べたくないし、早く家に帰りたい」と言って医師や看護師に退院を急かしていた。担当の看護師
2024年6月21日 17:21
手術後、夫は順調に快復した。毎日面会に行くたびに、薬や排液の管が減っていくので、私は嬉しかった。そして、一般病棟に移ることになった。一般病室は、他の患者さんも一緒なのに、各々のベッドはカーテンで仕切られていたし、看護師も頻繁に来なくなったので、昼でも、暗い感じがした。食事も出るようになったが、夫は「抗がん剤治療を思い出す」と言って、まったく手をつけなかった。そして、喉を指
2024年6月20日 16:46
夫は腹膜炎の洗浄のため、開腹手術をした。食道ガンの手術と違って、6時間程度で終わったが、何があるかわからないので、義母も呼んだ。手術後、医師に呼ばれて説明を受ける。すぐ夫は部屋に戻ってきた。時間がかかったのは、麻酔がなかなか効かなかったからだと言うが、途中で経過を報告してくれるわけではないので、こちらとしては、なにかあったんじゃないかと気を揉んでしまう。手術後30分くらいは
2024年6月19日 18:36
夫が、ニ週間のICUから無事に戻ってきて、私は胸をなでおろしたのだが、今度はナースステーションと直結の部屋に入れられた。排液を捨てるため、看護師がものものしい恰好で入ってくる。点滴の確認などを入れたら、10〜15分おきに来る。だから夫は、看護師さんとなごやかにお話ししていたようだった。夫は話も出来るようになってきたし、あまり私は心配していなかったが、あとで考えると重篤だったのだと
2024年6月17日 20:24
退院してから、夫は「ICUは地獄のようだった」と言っていた。人工呼吸器はものすごく苦しいし、昼夜かまわず煌々と電気がついていて、眩しくて眠れない。人工呼吸器のポンプ音だけでも、うるさいのに、あちこちでモニターのアラーム音が鳴り響く。首を固定されていたから、何にも見えなかったが、隣のベッドでは、医師たちが何かの処置をしていたが、どうやら亡くなったみたいだった。排泄もベッド
2024年6月16日 21:56
手術の翌日。朝から夫に会いに行った。夫は、車椅子に座っていたが、驚くくらいグッタリしていた。看護師が、入れかわり立ちかわり3分おきくらいに来たが、誰も私には見向きもしなかった。夫が車椅子からずり落ちそうだったので、ベッドに寝かせてもらったのだが、それがいけなかったらしく夫は苦しげに「酸素のつまみをいっぱい回してくれ」と言った。あわてて看護師に頼んだら「これで精一杯で
2024年6月15日 23:06
私は母を喪くしてから5年間鬱病だった。あれから10年以上たったが、ものすごく長い5年間だった。正直辛かったこと以外は、あまり覚えていない。メンタルクリニックの先生にいつ治るんですか?とよく訊いていた。先生の「必ず良くなりますから」と言う言葉を信じるしかなかった。通っていたメンタルクリニックの先生は、患者の話しをよく聞いてくれるほうではなかったし、後にも先にも唯一私に
2024年6月15日 15:37
夫は、抗がん剤と放射線治療を受けて喉の痛みがおさまっていた。だから、私が無理にすすめなくても、良く食べた。手術する前日に、医師から説明を受ける。無口な先生だから「食道を切って、胃を上に持ち上げて食道の代わりにします。何か質問は?」で終わってしまった。あとは、サインして終了。埼玉から足を運んでくれた義兄は、拍子抜けしていた。そして、手術の当日。夫は、軽い足どりで手
2024年6月14日 16:37
こうして、夫の食道ガンの放射線治療がはじまった。5週目で終わった途端。夫は、私の心配をよそに「うすめたお酒なら大丈夫でしょ?」「いや、いや〜ダメでしょ」と私。「飲んじゃお〜」と夫。「看護師さんが言ってたじゃないの!やけど状態の粘膜にアルコールが流れていくと‥」見ると、すでに夫は焼酎を水でうすめて飲んでいた。禁酒は5週間でやぶられたが、嬉しそうに飲んでいる夫を見る