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ぴもみ
2024年7月18日 19:23
弟の遺言は戒名は要らないし、猫の遺骨と共に、海に散骨して欲しいということだった。それは、独身だった弟が、墓参りとか法事とかで、私に迷惑をかけたくないということだった。生前、弟は海にあまり行ったことない。だから、本当にいいの?と何度も弟に訊いた。父は、弟の死をなかなか受け入れられなかった。そして、父は散骨に躊躇していた。息子が跡形もなくなってしまうのはイヤだったと思う。
2024年7月17日 21:03
弟が入院した時、医師は「苦しまないようにしますね」と言ってくれた。血液検査では、今すぐに死んでもおかしくない状態だった。しかし、弟は20日間も持ち堪えて、52歳の誕生日を私の友人たちに祝ってもらった。私が面会に行く時は、自分のために必ずポットにフレーバーコーヒーを詰めた。ライオンコーヒーのマカダミアナッツ味とかココナッツ味とかチョコレート味とか。普段はそういったコーヒー
2024年7月16日 17:50
2019年春。弟は胆管ガンの抗がん剤が効かなくなってきた。数字上は非常に悪かった。特に肝臓の値が悪くて、少し黄疸が出てきた。それでも、一緒に電車に乗ったし、散歩した。階段を登る時だけは背中を押してあげた。弟の魂の究極の願いは「極める」だ。だから弟は、最後の最後まで極めて、ひとつ次元をあげて亡くなったと思っている。確かに、弟の人生を振り返ってみたら、危険を冒してでもギリギリま
2024年7月14日 19:04
弟が胆管ガンで余命一年と宣告されてから甘味処もよく行った。弟は下戸で一滴も飲めない。イナムラショウゾウ(チョコ)月光(手つき餅)OTOWA FUJIYA(シュークリーム)AU BON VIEUX TEMPS (ケーキ)銀座ウエスト(シュークリーム)は弟が行きたいと言ったので、神社仏閣とセットだった。「あんたが死んで、すぐに生まれ変わって15年後」「私が70歳で、
2024年7月12日 20:27
2018年5月。弟は胆管ガンで余命一年と宣告された。医師は「うちの病院でも治療出来るが、有明の癌センターに紹介状を書く」と言った。「そこにいけば、寿命が長くなりますか?」「それは、変わらないと思います」と医師は断言した。弟は「姉ちゃんの家の近くの病院にする」と言ってくれた。毎週通院での抗がん剤の治療がはじまる。正直言って、もう抗がん剤治療なんて信じてなかったのだが、(笑)
2024年7月11日 16:47
ひとつ年下の弟は、優しい人だった。夫の看病もよく手伝ってくれた。猫も大好きで、保護猫をよく可愛がっていた。それに、親思いだし、不出来な姉の私にも、我慢してよく付き合ってくれたと思う。社会的な成功に恵まれたとは言えない人生だったが、人に迷惑をかけずに生きていた。そんな優しい弟が、胆管ガンになってしまった。有名にならなくてもお金持ちにならなくても何かを成し遂げなくて
2024年7月9日 20:33
2017年5月。ひとつ年下の弟が「海外旅行に行ってもいいよ」と言い出した。弟は大の旅行嫌いだった。学校の修学旅行以来40年近く、どこにも行ったことはなかった。弟は独身だったし、それで問題はなかった。飛行機に乗ったことないんでしょ?じゃ、パスポートを取りに行こう。洋服も買いに行こう。私はなんにも知らないで、ソウル行きのチケットを取った。よーく考えてみれば、誠に変な話だ
2024年7月8日 19:21
夫の遺体は、葬儀まで自宅に戻った。猫は、大好きな夫が帰ってきたのに、寝たまんまだったので、キャットタワーから何度も何度も夫の顔を見返した。義兄が弔問に来た時は、夫と間違えて出迎えていた。夫が初めて入院した時、お姉ちゃん猫は、押入れに籠って出て来なかった。私は旅行で家を留守にしていたので、慣れていたみたいだが、夫が家を空けることはなかったので、異常事態を感じたのだと思う。
2024年7月6日 15:55
2016年8月。医療用麻薬を貼ると呼吸が停まってしまうからやめてほしいとお願いする。しかし、下咽頭癌の激痛は、普通の鎮痛剤では効かない。そこで、看護師が「2枚貼らせてください」と言ってきた。「2枚も貼ったら死んじゃうから、やめて欲しい」と一晩中お願いした。「痛みを長時間止めておけるし、呼吸が停まったりしません」と何人もの看護師が言ってくる。夜中、攻防戦が繰り広げられて、
2024年7月5日 13:19
夫は転院し輸血のおかげで、歩けるようになったので、会社に行きたいと言いだした。外科部長は、看病する私のことを心配してくれたが、主治医は早く退院して欲しいと言っていた。主治医はの言い分は「こんなところにいたら死んじゃうよ」ということらしい。病院は、毎日面会に通ってみればわかると思うが、すごく疲れる。家から自転車で行けるようになり、気持ちもラクになった。そんなこんなで、「あさっ
2024年7月3日 18:25
2016年夏。夫はイスから立ち上がれなくなり、最期は、自分が生まれ育った町の総合病院に転院したいと言い出した。出ていく大学病院は、あっけなくOKをくれたが、受け入れるほうの病院は、なかなか甘くない。緩和ケアもある、町の総合病院は、うちから徒歩10分だが、一歩も歩けないので、救急車で行ったら、病院から即座に断られた。仕方なく、タクシーを呼んで、歩けない夫を運んだら、二人で
2024年7月2日 18:57
夫は余命もあと僅かで、心肺停止を2度も繰り返したのに、退院してからも、通勤した。家から30分もあれば、会社に行けるのだが、ひどい貧血のため、休み休みしか歩けなくなった。それで、1時間半前に家を出る。私は「タクシーを使って欲しい」とお願いしたが、どうしてもイヤだと言う。それならば、私が会社の近くまで送って行くと言ってみたが、それも断られた。ちょうど6月、7月。雨が降ったり、
2024年7月1日 15:38
あの怖い病室から出て、廊下を挟んで斜め向こうの部屋に変わっただけなのに、あれは何だったの?というくらいとても平穏になった。(笑)しかし、主治医は、夫が何度も呼吸が止まるので、気管を切開した方がいいんじゃないかと言ってきた。「僕は耳鼻科が専門なので、切開なら任せておいてください」おいおい、そんな軽い話じゃないだろ!私は最初は何の話しをしているのか、よくわからなかったが、気
2024年6月30日 21:07
今回はICUに二泊しただけで、すぐに出ることが出来たが、ナースステーションの隣のお部屋に移された。前回は新館だったので、HCUだったのだが、昭和に建てられた古い病棟は、ナースステーションの隣の部屋だというだけだ。今回は、突然心肺停止になったので、何人かの医師が病室に入ってきて、夫に訊く。「なにがあったのですか?」そんなことは、私たちが訊きたいと思った。ナースステーション