世良綴

小説 「小さな小さな文学賞」入選/第30回電撃大賞4次/第39回、第40回織田作之助青…

世良綴

小説 「小さな小さな文学賞」入選/第30回電撃大賞4次/第39回、第40回織田作之助青春賞3次他/公募勢

最近の記事

ショートショート「海底で眠る」

 部屋の隅。ほつれたタオルケットにくるまっている。  閉めっぱなしの青いカーテンの隙間には陽の光、のびて、天井で水面みたいに揺れる。 部屋は無風。天井からぶらさがった紙製モビールの熱帯魚たちは呼吸を止めて、それを見つめている私も、気づけば呼吸を止めている。ねぐせでひどく乱れた私の黒髪。  テーブルの上、昨晩入れたままの冷たいホットミルク。牛乳の膜。そこへうっすら入ってしまった部屋の塵。  私の枕もと。アクアリウム。小さな水槽。藻と生魚のにおい。ポンプの呼吸。  社会の中で切り

    • ショートショート「翻車魚に撃ち抜かれて」

       素足に絡まる海辺の砂は、夏の熱を飲みこんでじりじりと皮フを焼く。  白いサテンのリボンで僕らは腕を繋いでいる。不格好な縦向きの蝶々が、潮風、熱波にひらひらと揺れる。こめかみ、うなじ、せなか、とろとろと汗が伝い落ちて僕そのものが溶けてしまっている心地。ここへ来る前に飲み干したクリームソーダのアイスクリームみたいに。  あついと僕は呟いた。足裏は焼けそうで、ときどき貝の破片にぶつかる。浅瀬が一ミリ先にある。透き通った海が打ち寄せて泡立っている。 目の前に広がる水平線には終わりが

      • 短編小説「枕の奥で爆ぜるから」

        ――夢のつづきを上手に見たことがある?  彼は私の髪を梳きながら、ふいにそう聞くことがあった。私はそのぬるい手のひらに自分の頬を押しつけて、彼の皮膚の奥に自分の体温が染みていくことを願いながら、ない、そう答えた。  ――僕はいつもくじらのことを探してる。  彼は幼少期から繰り返し見ている夢がいくつかあった。そのうちのひとつは特に彼のことを惹きつけたらしく、付き合っていた三年間で私は何度もその話を聞いた。  くじらの話。大きくて真っ黒なくじらなんだ、真夜中の海で会うんだ、いつも

        • 短編小説「洗濯機とリップ」

          「洗濯機とリップ」  それは車庫にあった。  コンクリートの壁や床には雨風でついた汚れがあって、誰かがスプレー缶で爪痕残してった無名のアート、空き缶、吸い殻と潰れたマールボロの箱、コンビニのパンの空袋、とかいろいろごみが散っていて、動かなくなったほこりまみれの赤いバイクと、そのとなりにあったドラム洗濯機。  洗濯機はコインランドリーから持ってきたんだと思う。あのぎっしり並んでいる馬鹿でかいやつと、おんなじものだった。雨風でシールがべろべろに剥がれていた。  その横には、がき

        ショートショート「海底で眠る」

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」最終章

          最終章「桜の樹の下には」  骨壺を棚の上に置く。正しい置き場所なんてこの部屋にはなかった。  上着を脱ぎ、袖をまくって洗面台で水を捻りだす。手を洗い、そのまま手をコップ代わりにしてうがいをする。びたびたと垂れた水を、数日は洗濯していない汚いタオルで拭う。  洗面台の小さな鏡にうつる僕は、苛立たしそうに僕を睨みつけている。  風呂場のドアを開ける。洗っていない浴槽に栓をはめこみ、蛇口を捻る。水だったそれがお湯になり、少しずつ溜まっていく。床に座りこみ、浴槽の縁に手をついて、そ

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」最終章

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第七章

          第七章「ラブホテル・バレンティン」  このごろ東京でも雪がちらつくようになった。汚れたアスファルトに遠慮がちに広がった白は、数時間経つといろんな人間に踏まれて鼠色に濁っていった。  改札を出てすぐに白い息が出る。汚れて湿ったアスファルトを踏んで家に帰る。  ――家にいてくれる?夜になったらふたりで迎えに行くから。  母親の引っ越しの話がついに決まったらしかった。ふたりで暮らす前に、真央くんに会っておきたい、泉さんは母親にそう言ったらしい。母親もそれを飲み、金曜日の夜、仕事帰

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第七章

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第六章

          第六章「セージの花言葉」  セージから離れなくてはいけない、と思った。  あの夏休みのはじまりのころ、新宿の自動販売機の前、猫背になったセージの首筋についた糸くずと青白い顔。  ――許してくれる?  あの問いを溶かす返事を、僕はしなかった。  夏休みは終わり、秋学期が始まり、セージとはいよいよ講義も被らなくなってしまった。  セージがいない感覚はなぜだかひどく強くさみしいもので、それでも隣にそんな空白があることに安堵もしていて、僕はセージを怖がっているのかもしれない。  セ

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第六章

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第五章

          第五章「絶縁体」  蝉の声が渦を巻き、雲一つない青空さえ突き抜けて消えていく。 大学が長い夏休みに入り、惰性で繋がっていた同期たちのインスタには海やバーベキューやプールのストーリーがあがっていた。それをインスタ越しに見るのは、どこか退屈な映画を傍観する感覚に似ていた。  汗ばむ真夏も、セージからは変わりない石鹸のにおいがした。昼時を少し過ぎたころ、待ち合わせ場所の公園のベンチで僕を待っていた。見覚えのある背中にほっとした息が落ちる。 「セージ」 「真央」目が合った瞬間、緩ん

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第五章

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第四章

          第四章「スイセイムシ」  夏休み前のクラス会で、ピニーが死んじゃいましたと先生が言った。  ピニーは毛の禿げた死にかけのうさぎだった。  誰かが黒い絵の具で粗い木の板に書いた「ぴにい」のアンバランスな字とそっくりで、なんだか飛ぶときのぎこちなさがいつまでも治らない茶色のうさぎ。  死んじゃいました。  死んじゃった、よりバカっぽいと思った。なんか気づいたら死んじゃってました、みたいな。  学級委員が泣いた。それを合図にみんなが鼻水を啜りだした。僕は席にじっと座ったまま、黒板

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第四章

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第三章

          第三章「あじのこいはなし」  雨がしばらく続く。そうなってみてはじめて、ああ、いつの間にか梅雨がきたんだと知る。雨が降らなければ、僕は梅雨がきたことなんてわからない。湿ったにおいや雨のにおいや、調子の悪そうな鼠色の空が続いて、ああ、梅雨だ、と思う。  陰鬱な空気は、今年の春が死んだせいかもしれない。  水たまりに虫が浮いている。生きているのか死んでいるのかもわからない。自転車がまたいで揺れる水面に、駄菓子の小袋も浮いている。  改札を通り、ホームの九番線に立つ。大学に行く電

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第三章

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第二章

          第二章「ざらめのひかり」  母親からの電話で目を覚ました。朝の六時半。アラームより三十分早い。 「もしもし」声が枯れているから咳ばらいをする。「どうしたの」 「寝てたの」 「ああ、えっと、うん」 「一年生なら一限あるでしょう。この時間で間に合うの」  別に間に合うよ、とか、むしろその電話がなければあと三十分は眠れたんだけど、とか、いろいろ寝起きのわりに頭に浮かんでくるくせに、僕はなにも言えない。ぐしゃぐしゃになったまくらを片手間に引き上げて、定位置に戻す。 「今日なんだけど

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第二章

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第一章

          第一章「キリストとクリス」  白いスクリーンに磔のイエスがでかでかと映し出されていた。  老年の教授の声は低く、ペースは不規則なメトロノームのようで、二限の教室では船をこいでいる学生が何人もいた。 僕のふたつ飛ばして隣の机についた女子学生は、長い爪でスマホをタップしている。  説明と説明の隙間、えー、と規則的に入りこむ教授の言葉と同じリズムで、かちゃかちゃと爪の音が鳴っている。教授に聞こえないか、なぜか僕のほうがハラハラする。  春の終わりごろには、初回こそきっちりノートを

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」第一章

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」序章

           陽だまりに溺れるレースのカーテン、繊細なふりして機械でざっくり繰り返された同じ模様。たしかあのとき、春だったのを覚えている。数センチの窓の隙間から吹きこむ風に染みついたあの独特な桜と太陽の混ざったにおいを今でも思い出せるから。  水切りラックで涙を落とすマグカップと泣き止んだ蛇口。猫の尻尾が揺れる壁掛け時計。午後三時を知らせるために猫は律儀に十五回も鳴いていた。 「あ、きれちゃったね」  母親が穏やかに呟いた。着倒してほつれて薄くなった緑色のセーターをほどいて、あやとりをし

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」序章

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」あらすじ

          【あらすじ】  涙のかわりに指先から糸が出る真央。きっかけは十五歳のころ、父親が彼から離れていったことにあった。  大学生になっても、幼少期の空白を埋めきれずどこか諦めている真央は、四月の講義で聖司と出逢う。神学科に通う、いつも石鹸のにおいがする聖司。彼も十五歳のころ母親の首を絞めたことがあり、その罪滅ぼしのために生きていた。  お互いの秘密を共有したふたりは、少しずつ閉鎖的な世界に沈んでいく。そんなある雨の夜、真央の母親が恋人と一緒に交通事故に遭い、他界する。真央は自分の空

          長編小説「紡がれた僕らに終わりの春を」あらすじ

          短編小説「あまいさかな」

           梅雨より先に夏がくるかもしれない。  水に溶かしたシアンの飛沫で目をつぶる。午後の陽だまりはもわもわと熱されてもはや暑くて、汗の筋がいくつも首を滑り落ちては襟首にしつこく染みる。  ペーパーパレットのほうがいいんじゃない。  水野はいつもそう言うけれど、私はプラスチックのパレットが好きだった。バケツは黄色。たんぽぽによく似た色だったはずだけど、年季が入ってどこか薄暗い。  小学校入学前に買った絵の具セットを、私は今も使い続けている。更新されるのは絵筆と絵の具。ハタチになって

          短編小説「あまいさかな」