見出し画像

ショートショート「翻車魚に撃ち抜かれて」

 素足に絡まる海辺の砂は、夏の熱を飲みこんでじりじりと皮フを焼く。
 白いサテンのリボンで僕らは腕を繋いでいる。不格好な縦向きの蝶々が、潮風、熱波にひらひらと揺れる。こめかみ、うなじ、せなか、とろとろと汗が伝い落ちて僕そのものが溶けてしまっている心地。ここへ来る前に飲み干したクリームソーダのアイスクリームみたいに。
 あついと僕は呟いた。足裏は焼けそうで、ときどき貝の破片にぶつかる。浅瀬が一ミリ先にある。透き通った海が打ち寄せて泡立っている。
目の前に広がる水平線には終わりがなく、でもこのまま一歩踏み出せば、僕たちは僕たちの終わりへ近づくことができる。繋がれたもうひとりの僕はじっと僕を見つめる。僕は僕を見ている。海で鏡を覗きこんだような気持で、背筋が少し、冷える。
「きみのその顔が嫌」僕は「僕」に言う。「きみ、いなくって、いいんだ。きみがいると――きみがいると、ママもパパも、……僕も……」
 浅瀬、リボンでそれぞれ右腕と左腕とを繋げあっている僕らは傍から見れば完璧な一卵性双生児で、でも僕はずっとひとりきりだ。
「僕」は海へ目を向けて、なにも言わずにゆっくりと右手を持ち上げた。繋がれた僕の左手も同じように持ち上げられて、その狭間で不格好な蝶々はどこへも行けずに弱々しく翅を震わせた。「僕」は海の奥を指さし、それから腕を下ろし、僕を見つめた。
「ママとパパが帰ってくる前に」
 僕の言葉に「僕」は頷き、そのまま僕たちは浅瀬から海へ駆けこんだ。
 存外体は軽くて、僕は何度も浮きそうになった。その度、きつく結ばれた右腕を使って、「僕」は僕を海底へ海底へ、……深い青はいつしか黒に変わり、呼吸は詰まる。酸素はいくらも持たない。僕はあわてて「僕」の腕を引っ張り、蝶々を何度も指さした。「僕」は海中でもしっかりと両の目を開いていて、じっと僕を見上げ、蝶々を見つめ、頷いた。
 サテンのリボンをほどく。海中で。頭上のずっと遠くに陽の光。
 ほどけた腕。落ちていく「僕」を僕はじっと見下ろしている。唇のふちからうすい呼吸。とっくに酸素は不足しているはずなのに、苦しさは遠のいていた。
「僕」の頭がなにかに撃ち抜かれた。
はっと見つめる。大きな翻車魚が海月を吐き出し、それが銃弾のように「僕」の頭を撃ち抜いたようだった。ああ、と僕は呟き、でもそれは音にもならず、ちゃちな水泡になって消えた。
                                 了

いいなと思ったら応援しよう!