名作 『市民ケーン』の すごさの真相 : 技術的斬新さの 歴史的意義だけではない。
映画評:オーソン・ウェルズ監督『市民ケーン』(1941年・アメリカ映画)
オーソン・ウェルズこそ「敬服すべき天才」である。
「オーソン・ウェルズは天才である」と評するだけならバカにでも出来るから、私はわざわざ「敬服すべき」という形容詞を付け加えた。
したがって、本稿では、オーソン・ウェルズが「どのような理由で、天才と呼ぶべき人なのか」について説明することになる。
そしてそれを行うためには、オーソン・ウェルズの代表作たる、この『市民ケーン』が、いかにすごい作品なのかを説明しなくてはならない。だがそれは、けっこう手間のかかることである。
本作『市民ケーン』を予備知識なしに観た「現代人」の多くは、その「すごさ」がわからない。
これは「映画史的知識」が無いからで、いわば当然のことにすぎない。だが、「映画史的知識」があって、この映画のすごさが、それなりにわかった人でも、それで「オーソン・ウェルズのすごさ」まで、正しく理解できた人は、ほとんどいないと、そう断じてもよいだろう。
「オーソン・ウェルズのすごさ」を理解するためには、批評家的な能力が必要であり、普通の映画ファンや映画マニアには、それが無いからである。
では、映画ファンや映画マニアに無くて、批評家にはある「批評家的な能力」とは、何だろうか? 一一それは「意味を読み取る能力である(読解力)」である。
例えば、本作『市民ケーン』を、現代の日本人が予備知識なしに観ると、そのすごさがほぼわからない。かく言う私だって、そうだった。
「たしかに絵的には面白いことをやっているようだ。例えば、セリフを喋っている画面手前に人物の顔だけが、完全に陰になっていて表情が読み取れないなんてのは、初めて見た。また、まだ若かったはずのオーソン・ウェルズが、主人公である新聞王の青年時代から歳をとって死ぬまでを、一人で演じ切った、その演技力はすごいし、それが不自然に見えないほどのメイクもすごい。」といったことなら、私だって気づいたし、少し注意深い人なら気づくこともできるだろう。
だが、この映画に関していうと、やはり「映画史的な知識」がないと、「表面的にも」そのすごさがわからない。
事実、上のように感じた私でも「だからと言って、今となっては、それほどすごいことではないな。この作品もまた、この作品の作られた〝当時としてはすごい〟という意味での傑作なのではないか。例えば、ゴダールの多くの作品がそうであるように」という感じだった。
つまり、本作『市民ケーン』を「オールタイムベスト1」的に評価する人の多くは、あくまでも本作の「映画史的価値」を評価しているのではないか。しかしそれは、今の観客には、あまり関係のない、「業界的評価」にすぎないのではないかと、そう考えたのである。
当然のこのながら、私と同じように感じた人も少なくなかったようで、検索ワード「映画 市民ケーン」でGoogle検索してみると、検索候補として「なぜ名作なのか」「何がすごいのか」という項目が、自動的に上位に上がっている。これは、それほどこの作品の「すごさ」がわからなかった人が多かったという、何よりの証拠であろう。
だが、真の問題は、そうした「疑問」に答える「上位記事」の内容が、どれも「似たり寄ったり」でしかないだけではなく、私に言わせれば「まったく不十分なもの」だったという点である。
実際に検索して出てきた記事を、上から順番にいくつか読んでもらうとわかることだが、これらの記事は「相互参照」の結果だろうが、ほとんど同じことしか書いていない。
そして、それは、間違いではないにしても、「自分の頭で考えない人たち」のそれらしく、内容が「単なる知識」に終始して、「読み」というものが無いに等しいのである。つまり、彼らには「読解力」が無い。
こうした人たちが何を書いているのかというと、そのほとんどが、本作の「映画史的価値」の説明である。
つまり「今となっては、珍しいものでは無くなったけれど、当時の作品としては、革新的なことを、これだけたくさんやっていたのだ」という「映画史的知識」の、ひけらかしでしかない。
しかしそんなものは、識者の「映画史的知識」を読めば、誰にだって書けるものでしかなく、その人個人の「読解力」など、皆無であっても、十分に可能なことなのだ。
で、こうした人たちの書いている、『市民ケーン』は「なぜ名作なのか」「何がすごいのか」の説明は、おおむね次のとおりである。
といったことである。
これらについては、私がここでくり決して説明することはしない。そんな説明は「能力のない下僕の雑用」か「それで対価をもらっている職業批評家のルーチン」でしかないからである。
だから、そのあたりについては、まずは本稿の読者個々が「映画 市民ケーン なぜ名作なのか」「映画 市民ケーン 何がすごいのか」で、Google検索していただきたい。そうすれば、一応「なるほど、そういうことなのか」程度の「説明」を得ることはできよう。
私が「読んだ」あるいは「視聴した」、こうした「解説」の中で、最も優れていたのは、映画評論家・町山智浩のよる、音声のみのYouTube動画(?)、「【町山智浩】映画史上の最高傑作『市民ケーン』」だ。
しかし、この動画、実は「45分」もある。
つまり、『市民ケーン』の「すごさ」を、「映画史的知識」を持たない、今の平均的な日本人に説明するためには、それくらい多くの情報を提供しなくてはならない。そうしないと理解してもらえない、ということだ。
そして、この動画も、上に挙げた「4つのポイント」について、ひととおり説明している。なぜなら、町山もまた「対価をもらっている職業批評家」だからで、そうした「ルーチン」を省くというわけにはいかなかったからだ。
ただ、町山の偉いところは、そこに止まらず、その「基礎知識」の先まで踏み込んで、自分独自の「解釈的説明」をしている点である。
ここまでやってこそ「批評家」の名に値すると言えるし、そこが「凡百の映画オタク」とは違うところなのである。
上の「4つのポイント」について、少し検討してみよう。
この4点のうち、「映画史的価値」に属するのは、(1〜3)である。
これらの点は、「当時としては斬新」なものであったものの、多くの後進映画作家に真似された後の今となっては、同作を観ても、特別な驚きが感じ得ないのもやむを得ない、とそういう話である。
例えば、(1)の「撮影技術の斬新さ」という点については、「パンフォーカス」「ローアングル」「クレーンショット」「超クローズアップ」「ハイコントラスト」といったことで、たいがいの人が説明している。
このあたりは、私の「映画評記事」で何度か紹介させていただいている、優れた映画批評ブログ「レビュー・アン・ローズ」の記事「古典映画『市民ケーン』が傑作と呼ばれるワケとは?/感想・解説・映画の革新・解釈」が、映像付きで、とてもわかりやすいので、ぜひ参照してもらいたい。
(2)の「シナリオ的な物語構成の斬新さ」についても、上の記事の説明がわかりやすい。「脚本技法の革新「フラッシュバック」」という項目で説明されている部分である。
この部分を、わたし流に簡単に説明しておくと、『市民ケーン』の場合、物語は、高齢となった主人公のケーンが、「薔薇の蕾」という謎の言葉を残して、寂しく死んでいくシーンから始まり、そこから新聞記者が、彼のこの「謎の言葉」の意味を探るべく、ケーンと親しかった関係者を訪ね歩く、という構成になっている。つまり、「現時点=ケーンの死」から、物語は始まって、個々の関係者が語る「過去」が、順に描かれるのだ。
したがって、作中の「時間」は「現在→過去→現在→過去→現在→過去→(…)現在→過去→現在」というような「複雑」な構成となっており、言い換えれば「物語が、時間軸に沿って、一方向に進む」というオーソドックスなものではなかった。
で、少し映画を観慣れている人であれば、今や「この程度のことは、何も珍しくはない」というのが、ご理解いただけよう。
そう「今となっては」こんな「構成」の作品はいくらでもあるし、特に「推理もの(ミステリー)」では、ぜんぜん珍しくない。
冒頭で、ある人物が殺されて、名探偵や刑事が関係者から事情聴取すると、その関係者は「彼と出会ったのは、私たちがまだ学生の頃でした」などと語り出して「回想シーン」になり、そういうのがいくつか続いた後、最後に「現時点」に戻ってきて、名探偵なり刑事なりが、その「回想シーン」に散りばめられていた「ヒント」を総合して「謎を解く」というようなパターンの物語である。
だが、本作『市民ケーン』が撮られた1941年当時には、まだこの種の「トリッキーな構成」の映画は無かった。
少なくとも「映画」においては、オーソドックスに「現時点から始まって、物語が展開していく」という「現在進行形」の作品ばかりで、「回想シーン」といったものはほとんど無く、その多くは「現時点の登場人物が、言葉で思い出(過去)を語る」という形式にとどまっていたのだ。
例えば、これに類する「視点の詐術=叙述トリック」を発明した推理小説として知られる、アガサ・クリスティの『アクロイド殺し』が書かれたのは「1926年」である。
だが、当時はこの手法が、あまりにも斬新すぎて、推理作家たちの間で「フェア・アンフェア論争」が巻き起こり、当然のことながら「アンフェア」だと断ずる推理作家も少なくなかった。だから、ましてや読者も「驚かされ」はしても、それを「インチキだ」と感じた人が少なくなかったのである。
それは、「驚かせてくれさえすれば、少々はインチキでもかまわない」という「知的に怠惰なミステリ読者」の増えた今の日本では想像も出来ないことだが、まったく新しいものというのは、そういうものであり「すぐに万人の理解が得られる斬新なもの」など、そもそも存在しないのだ。
だから、クリスティが発明した「叙述トリック」がミステリ界で広く理解されるには、相応の時間がかかった。
なにしろ当時は「インターネットなど無かった」から、「叙述トリック フェアかアンフェアか」などと検索して「回答」を得ることなどできず、自分でたくさんの作品を読み、あれこれ自分の頭を絞った結果として、個々の読者が「これは、ありなんじゃないか」とか「やっぱり、アンフェアだ」とか判断しなければならかった。そのため、短期間で「理解」が広がるなどということは、ありえなかったのである。
しかし、そうこうしているうちに、世界は二度目の「世界大戦」に突入するのだから、「こうした斬新な手法」の理解が、さらに停滞するというのは、理の当然であろう。
だとすれば、1939年から1945年まで続いた「第二次世界大戦」の、その初頭に作られた『市民ケーン』という映画において、「視点の詐術」の「本家」とも言って良いだろう「推理小説」の世界ですら、まだ十分には理解の得られていなかった「前衛的手法」を、「映像の世界に持ち込んだ」というのが、どのくらいすごいことだったのかというのは、ここまで説明して、初めて理解されることなのではないだろうか。単に「当時としては新しかった」という説明では、その「すごさ」は、決して伝わらないのである。
そんなわけで、(2)の「シナリオ的な物語構成の斬新さ」が、このように「すごい」というのが、「実感として理解」していただければ、おのずと、(1)の「撮影技術の斬新さ」というものの「すごさ」も、同様に実感していただけようし、ましてや(3)の「「薔薇の蕾」という「謎の言葉」をめぐる、謎解き物語のテーマ的な面白さ」という、いかにも「推理小説的な面白さ」の「斬新さ」も、ご理解いただけよう。
言うなれば本作『市民ケーン』は「ダイイング・メッセージ(死に際のメッセージ)」ものであり、かつ「叙述」に「斬新な工夫の凝らされた作品」だったのである。
そんなわけで、(3)の「新しさ」については、これ以上の説明は必要ないだろう。この点もまた、今となっては、文字どおりに「在り来たり」なものになってしまっているのだが、当時としては「斬新なアイデア」だったということである。
さて、以上が、本作『市民ケーン』の「斬新さの意味の説明」である。単に「斬新だった」と説明しているのではなく、「その斬新さが、どのような意味を持っていたのか」を説明したのだ。
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で、残るは、(4)の「本作が、当時まだ健在であった「新聞王」の人生をパロディにした批評性」ということになるのだが、この「すごさ」については、先の「町山智浩の解説」に詳しい。
要は、この映画でも描かれているとおり、ケーンのモデルとなった、まだ当時は存命中であった「ウィリアム・ランドルフ・ハースト」は、次のような「生涯」を送った人物なのである。
『市民ケーン』が作られた頃には、まだ存命中であったということを除けば、ハーストの人生は、ほとんどそのままケーンであり、上の「ハーストの生涯の紹介記事」は、映画『市民ケーン』の「あらすじ」だと呼んでも良いほどのものである。
しかし、ここで特に注目しなくてはならないのは、町山智浩も指摘するとおり、ハーストは『真実を伝えるものよりも市民感情を煽るショッキングな』記事を優先し、その結果の「捏造記事」によって『スペインとの戦争(米西戦争)までを引き起こしている。』という事実である。「戦争」を起こせるほどの「世論換気力」があった人物(=民間権力者)だということだ。
つまり、そんな超大物を、オーソン・ウェルズは、本作で批判的に「揶揄った」のである。
というのが、どういうことなのかというと、今で言うなら、「新聞、テレビ、ラジオ、雑誌、そしてネット」まで支配していた人物だということなのだ。
そんな相手に、オーソン・ウェルズは「映画」という手法で、無謀にも挑戦したのである。
よく知られるように、『市民ケーン』は、『第14回アカデミー賞では作品賞など9部門にノミネートされながら、脚本賞のみの受賞にとどまった。』。
なぜかと言えば、それは当然「メディア王」ハーストが、映画界に圧力をかけたからである。
いくら良い作品を作っても、それが「宣伝」できないのでは、観てもらえないし、商売にもならない。
それだけではなく、この作品を観た「ハリウッドの映画関係者」にしても、ハーストの意向に逆らってまで『市民ケーン』を称賛支持したりしたら、「スキャンダルを捏ち上げられて潰される」可能性も十分にあった。事実、そのような「捏造記事」によるスキャンダルで、俳優生命を絶たれた人物もいるのである。
なのに、オーソン・ウェルズは、あえて『市民ケーン』のような、ハーストに喧嘩を売るがごとき作品を作ったのである。一一それは、なぜか?
それは無論、彼が人一倍の批評性を持つ人だったからである。そして、その「批評性」の要となる「問題意識」は、「情報を鵜呑みにするな(疑え)」というものだったのだ。
オーソン・ウェルズは、若くして舞台俳優として成功した人である。シェークスピアの本場であるイギリスに渡って、シェークスピア劇で成功を収めた、天才少年俳優だった。
だが、彼の才能は「俳優」であるには止まらず、「演出家」としての才能も早々に開花した。19歳となった『1934年にはアメリカに戻ってラジオドラマのディレクター兼俳優となっており』、23歳の「1938年」には、あの有名な『宇宙戦争』事件を引き起こすことになる。
かの有名は「『宇宙戦争』事件」が、実はそれほどのものではなかったというのは、いささか興醒めではあるものの、しかし、そんな「神話」を長く流通させたところにこそ、オーソン・ウェルズの偉大さがあるといっても良いだろう。つまり「情報を鵜呑みにするな」ということである。
騙されたのは、『宇宙戦争』のラジオドラマ放送を聞いた「当時の人たち」ではなく、「当時の人たちが騙された」という「フェイクニュース」を、長らく信じ込まされてしまった、アメリカ人や日本人を含む、世界中の「その後の人たち」の方だったのである。
そして、そんな「問題意識」を持つ、オーソン・ウェルズが、『捏造記事やでっち上げ記事で民意をコントロールし、スペインとの戦争(米西戦争)までを引き起こし』たハーストについて、何も思わないわけがない。
人を騙すことが好きなのは、オーソン・ウェルズもハーストも同じである。その意味で二人は「双生児」であるとも言えるだろうが、しかし、その「嘘つき」の方向性は、真逆なのだ。
ハーストは「他人を思い通りに操るため」に、その「絶大な権力」を振るって「情報操作」を行った。一方のオーソン・ウェルズは「情報の危険性」を知らしめるために、「エンタメとしてのフェイク」を提供したのだ。
エラリー・クイーンの謎解きミステリに「読者への挑戦状」が挟み込まれるように、オーソン・ウェルズの提供する作品は「読者よ、欺かるることなかれ」という、視聴者への「挑戦状」であり、「メディア・リテラシー」のための「教材」でもあったのである。
ちなみに、こうしたオーソンのウェルズの性向は、次のような生育環境によるところが大きかったのであろう。
上のとおりで、少々性格に問題はあったとは言え、アルコールに依存したり、オカルトや魔術に耽溺するような「頭の悪さ(大衆的な愚昧さ)」が、彼には我慢ならなかったのだろうというのは、容易に推察できる。「そんなもんに、騙されるなよ」と、そう思ったはずなのだ。
ともあれ、ハーストが「プロパガンダ(政治的宣伝)」のために「絶大な資本と権力」を使ったのに対し、オーソン・ウェルズは、それに対抗する「反プロパガンダ」の「エンタメ作品」を、その「機知と才能」によって生み出し、世の中に提供したのである。
そんなわけで、ハーストとオーソン・ウェルズは「ある種の傲慢さにおいて似てはいるけれども、拠って立つものが真逆であった」からこそ、オーソン・ウェルズがハーストを強く意識したのは当然のことだし、「ハーストにひと泡ふかせてやろう」という「悪戯心」を起こしたのであろうことも、容易に想像できる。
つまり「天才少年(青年)オーソン・ウェルズ」は、その「機知と才能」によって、戦争をも引き起こすほどの、巨大な「マスコミ権力」に立ち向ったのであり、その「ドン・キホーテの槍」が、25歳の若さで作った『市民ケーン』という作品だったのだ。
当然、この戦いは、「営業的な失敗」だとか「映画賞の受賞を逸する」とかいった「ケチな話」に片付けて良いものではない。それは、下手をすれば、「命懸け」となる戦いだったからである。
無論、オーソン・ウェルズにすれば、ヤバくなったイギリスに戻ればいいさ、くらいの考えはあったのだろうし、この映画に協力したスタッフにも、「ハリウッドの映画人魂」だけではない、何らかの目算があったのかもしれない。
だが、それにしたって、町山智浩が「こんなことをやって、報復されないとでも考えたのなら、そっちの方が不思議だ」と言っているとおりで、いずれにしろ、これは、生半可な気持ちでやれることではなかったのだ。
つまり、私が本稿で書きたかったのは、この「稀代のイタズラ小僧」であるオーソン・ウェルズの「反骨精神」である。
「才能」のある人なら大勢いるだろう。「新しい映画手法を開発した人」も、それはそれなりにいるだろう。だが、「映画」という手法を用いて、ここまで露骨に、絶大な権力に刃向かった人など、他には一人もいないのではないか? その意味において、オーソン・ウェルズは、まさに「空前絶後の天才」なのではないだろうか?
実際のところ、『市民ケーン』という作品が、ハーストに与えた「影響」など多寡が知れている。
けれども、『市民ケーン』が、アカデミー賞の作品賞を取れなかったという事実は、取ることよりも大きな影響を「世界の映画界」に残した。
無論それは、『市民ケーン』を高く評価しながら、ハーストを恐れて、この作品に票を投じることのできなかった「映画関係者」の心に「消えない傷」を残し、そしてその傷は「今も疼きつづけている」ということである。
この問題は、ハーストの生きた時代だけで、おしまいにできるような話ではないし、映画界だけの問題でもない。
今の時代にだって「空気を読んで、成功することばかりを考えている人」の方が多い、と言うか、そちらの方が圧倒的に多い。
「映画制作者」はもとより「映画評論家」だって「映画ファン」だって、「世間ウケ」ばかりを狙い、その「承認欲求」を満たすことしか考えていない人たちばかりではないのか。
だとすれば、私たちは「アカデミー賞作品賞を受賞できなかった『市民ケーン』という作品」を観ることによって、みずからの情けなさを反省し、恥じなければならないのではないだろうか?
この作品は、そうした意味で、少しも古びてはいないし、この先も永遠に古びることはない。
この作品の「映画史における価値」とは、ただそれだけの話ではなく、「人類文化史における永遠の価値」だと言い換えることさえできるのだ。
『市民ケーン』が、長らく「オールタイムベスト1映画」と呼ばれるのには、そうした意味合いがあるからなのだ。
少しでも「良心のある人」なら、今でも自分がこの映画を支持する側、オーソン・ウェルズを支持する側に「立てない」だろうという「意気地なさの自覚と反省」において、この作品を誉めないわけにはいかないのである。
「私は、あの時代に、敢然とこの作品に一票を投じる勇気を持てただろうか? いや、今この時代においても、そんな勇気を持っていると、自信を持って言えるだろうか?」一一多くの「良心的な人」びとは、そのように自分の胸に尋ね、「とうてい私には、そんなことなどできない」と感じるからこそ、オーソン・ウェルズが、この作品で示してみせた勇気に対し、最大の敬意を示すものとして、この作品を「オールタイムベスト1映画」と、そう呼ばないわけにはいかないのである。
言うなれば本作は、「踏み絵」のような作品なのだ。よほどの鈍感人間か卑怯者でもないかぎり、本作を平気で踏みつけにすることなど、到底できるものではないのである。
(2023年12月18日)
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