ジョナサン・ストラーン編 『AIロボットSF 傑作選 創られた心』 : 不器用なロボットたちの〈人間らしさ〉
書評:ジョナサン・ストラーン編『AIロボットSF傑作選 創られた心』(創元SF文庫)
「AIロボットSF傑作選」とあるのは、そこで描かれるのが「人間型のロボット」には限定されず、「高度な人工知能を有した機械」全般だからだ。つまり、本作品集には、いろんな形態の「ロボット」たちが登場する。
収録作品は16作で、解説にもあるとおり、いくつかのパターンに分類されるが、そうした物語類型による分類ではなく、私はここで「ロボットにとって、不幸なお話とハッピーエンドなお話」で分類したい。無論、どちらにも傑作はあるし、中間的な作品もあるのだが、個人的には「ロボットたちにとって、ハッピーエンドなお話」が楽しめた。
こうした「ロボットSF」というのは、とかくロボットたちが人間から理不尽に扱われる、かわいそうなお話が多いので、たまに異彩を放ってハッピーエンドのお話を読まされると、本当に救われる気になるからだ。
さてここでは、2つの収録作品を比較しながら、私がとても気に入った、アレステア・レイノルズの「人形芝居」を紹介したい。
本作は、ロボット目線で描かれた、とてもコミカルで、読み終わって幸せな気分になれる作品だ。人間にとっては、あまりハッピーな結末とも言えないのだが、別にロボットたちが人間を殺すというような、殺伐とした話ではない。
私が、本作を特に高く評価するのは、その楽しい作風とともに、ひねりの効いた「オチ」が、見事に決まっているからである。そして、そのオチとは、一一バラしてしまっても問題はないと思うので、あえてバラしてしまうが、アガサ・クリスティの傑作ミステリ『オリエント急行殺人事件』のオチをうまく捻った、一種のパロディーである。
本作品集には、ミステリをパロディー的に利用した作品として、他にサラ・ビンスカーの「最も大切なこと」がある。この作品では、女私立探偵(サラ・パレツキーの女探偵ウォーショースキーを意識したのか?)が、大富豪の家の風呂場で発生した「変死事件」を扱う。
その富豪は、風呂場でテレビを見るのが趣味だったのだが、そのテレビが浴槽に落ちて感電死したというのだ。「浴槽で感電死」って、いつの時代の「ミステリクイズ」だよ、と古いミステリファンならツッコミを入れたくなるほどレトロな設定だが、そこはまあ意図的設えられたパロディーである。
ともあれ、この風呂場には、大富豪の他には誰も入った形跡がない。とすると、これはやはり事故なのか。それとも「密室殺人」なのか。
無論、本作が「AIロボットSF傑作選」に収められていることを考えれば、真っ先に疑われるのはロボットである。しかし、ロボットは「ロボット工学三原則」によって、人に危害を加えることはできないので、犯人にはなり得ないはずなのだが、そこは少々強引なロジックで、作者はロボットを犯人にしてしまう。ロボットは、人間を害するためにそれを行なったのではなく、人間を救うためにそれを行なったのだ、という理屈だ。
だが、このロジックには無理がありすぎる。この理屈が通るのなら、ロボットたちは犯罪者を殺したい放題ということになってしまうからだ。
いくらパロディーだとは言え、一応はミステリの形式を借りている以上は、しっかりとしたロジックに裏打ちされた作品にして欲しかったと、ミステリファンの私には、とても残念な作品であった。
その点、先に紹介したアレステア・レイノルズの「人形芝居」は、『オリエント急行殺人事件』の実にシンプルなトリックを、そのSF的設定のおいて捻りを加え、見事に逆転させて、ハッピーエンドに着地させてみせた。
こうした「論理的かつ意外性のある真相」こそ、本格ミステリの醍醐味なのだから、本作はロジカルで捻りのきいた「本格ミステリ」としても、高く評価できる作品となっていたのだ。
『オリエント急行殺人事件』は、意外性はあるものの、なんとも後味の悪い作品だったが、本作は、実に痛快なハッピーエンドで、最後に読者を微笑ませること必至だ。
ついでながら申し添えておくと、ルンバのようなお掃除ロボットのルビーは、ほとんど萌えキャラのように可愛い。
激しく同感である。
(2022年3月14日)
○ ○ ○
○ ○ ○
○ ○ ○
・
・
○ ○ ○
○ ○ ○
・
○ ○ ○
○ ○ ○
○ ○ ○