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生きた水の生命力に触れて

人生が変わる時って分かりやすく音が鳴るんだろうか。そんなことをよく考えていた。人生が自然とキッパリ変わる時なんて、いつか分からない。

明らかに自分の感覚が変わったな。と感じるパターンだって『そういえば』『いつのまにか』といった調子で、はっきりと“ここから”というラインはない。
いつだって変化とはグラデーションなのだ。

パキッと分かりやすく終わったり、始まったりしてくれたらいいのにと何度も思って来た。自分ですら、自分のことなんてぜんぜんわからないんだから。大袈裟にいうと、人生は予想外しかない。

自分の分かり得ない人生をどうやって自信を持ち漕ぎ出していけるのか。自分の内側にしかその答えはない。さらにその答えってのも、タイミングや時期によって変わるだろうし、私たちはいつだって予測不能な波の上をすごすヨットみたいな存在なんだ。

だからこそ心が動かされる。先の展開がわからず読めないからこそ、人生は面白いんだろう。
だが、ゆとりのある時はそう思えど、自分の生活が左右するほどのことが起こるとそうは言ってられない。“分からない”ことが敵になる。せめてこれが「いつまでなのか?」の保証が欲しくなる。

『分からない』とは、時として面白くも恐ろしくもなるのだ。海の波とおなじ、美しくも恐怖の存在にもなり得る。

今日の空を凪ぐあの雲だって、一生で全くおなじ形の雲にはもう遭遇できない。

人生には日々、どれくらいの“あやふやさ”や“不確かさ”が平然と起こっているのだろう。

だから大きな指標となる『方向性』と、現在地を正しく理解するためのコンパスといった『現地点の把握』はとても大切だ。

細やかな事柄までは予測がつかなくても、“自分の進んでいる方向が合っている”ことと、“どうすれば解決していけるのか?”といった主体となる土台の部分を信じられる確固たるものがあると、この地球を軽やかな心持ちで生きていけるだろう。


今週は、やたらと動物のかたちに見える雲をよく見ている。

夜になると毎晩、すこしずつ姿を変える月が夜空を灯す。おなじものはない。変わりゆくことばかりだ。

浜辺で波の音を楽しみながら空を眺めた時間は、私の心を柔らかく潤わしてくれた。

私がどんな気分で居ようと、変わらず波はやって来ては還す。動いている波をみて、生きた水は人へ生命力を与えるのかもしれないなと思った。

辺り一面に敷き詰められた石はどの石も、丸くてつやつやの美肌だった。

私も毎日、海へ入ればこんなすべすべの美肌になれる気がする。

生きた水へ触れて生き還る
足元には丸い石
肌艶のいい美白な石。宝石みたい


グラデーションになって日が沈んでいくまで静かに穏やかな心で海を眺めていた。
変わりゆく時には、天候や日の登り沈みと同じく、変わってゆくのだろう。これからも自身の自然な変化を厭わずに居たい。

🔽人生の大海原を漕ぎ出すための『心身の健康』を築くには…


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