寄付してよかったこと ウィキペディア 当たり前過ぎて意識しなくなっていること
私自身ウィキペディアさんの活動への理解が浅薄(せんぱく)なのですが、便利で利用する機会が増えたのでタダ乗りは失礼と考え寄付依頼に応じました。結果、罪悪感から開放されたというお話です。
初めてWikipediaを知ったのは、TCGという標準化団体の会合。当時はまだIBMだったLenovoの方がWikipediaの素晴らしさ、ボランティアベースで知を蓄積していくという挑戦について教えて下さいました。
因みにTCGは、今は日本支部もできて引き続き活発な活動をされているようです。
Japan | Trusted | Computing | Group | (TCG)
noteを知る前だったのですが、たま~に使う程度の利用者としては寄付を求められていたものの放置していました。その理由は、評価が不安定だったからです。しかし検索エンジンで検索すると広告枠ではない上位にヒットし続けて来るので、それなりの監査を通過し続けているのだと理解し、余り気にせず便利なので使う様になっていきました。
ですが古典的なソーシャルメディアや大学からの評価が定まらずおっかなびっくり毎回内容を咀嚼しながらの利用でした。
利用回数が累積されて、自分自身の専門分野での書きっぷりも納得できる仕上がりであることから次第に内容の正確さに対しての自分なりの評価が定まってきました。
参考にウィキペディアさん自身の信頼性に関して記述されているものを紹介します。
事前調査で参考にしたクーリエ・ジャポンさんの記事をご紹介します。
ウェブ百科事典「ウィキペディア」はなぜこれほど世界で評価されているのか | 大学やメディアは情報源として信用しないが… | クーリエ・ジャポン
同じく事前調査で参考にしたニューズウィーク日本版 オフィシャルサイトさんの記事もご紹介します。
20周年ウィキペディアは高評価、でも編集ボランティアは人手不足|ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト
そしてこのnoteを始めて、出典を明らかにした上で頻繁に引用する様になったので、礼を尽くす意味で推奨されてきた定期的な寄付をすることにしました。今でもウィキペディアさんの活動への理解が浅薄(せんぱく)なのですが、便利で利用する機会が増えたのでタダ乗りは失礼と考え頻繁に表示される寄付依頼に応じました。(溜飲が下がる思いです。)
真摯に活動されているという理解です。
性善説。
結果、私の心に引っ掛かっていた罪悪感からは見事に開放されました。将来的には専門家として専門用語の記述に対してお役に立てることをすべきなのかなぁとボヤンと考えて居ります。
至近noteさんに絡んでの寄付をして罪悪感から開放されて良かったと素直に感じている次第です。