スーパーおばあちゃん誕生 その1 一歩踏み出して独居から大学生の孫と2人暮らしへ ~当たり前過ぎて意識しなくなっていること
【独居老人】
私の母は、とても好奇心が強い性格です。
子供の頃、盛んにガジェット(目新しい道具、面白い小物)を買って居ました。例えば、昭和40年代では物珍しいかった電動肩揉み器(乾電池で動く振動マシン)です。要は模型用のモーターに偏心した重りを付けて電池で回すだけの代物です。缶ジュースが1本20円の時代に3000円ぐらいで買っていました。中々の金銭感覚。
一方、節約家の面も有り、お料理や裁縫の能力を活かして居ました。食事は勿論ですが、次第にレパートリーを拡大しケーキやアイスクリームまで手作りで作っていました。
また、家には絶えず母のご近所の友だちが遊びに来て居ました。良く話すことが有ると思っていましたが、所謂、繰(く)り言(ごと)の類(たぐい)ということがだんだんわかるようになりました。好奇心旺盛で、新しい噂話を好物にもしていました。
子供が2人いて、結婚して独立。その後色々有りましたが、結局父も他界して1人暮らしを長年していました。
【頻繁に遊びに来てほしい】
寄る年波には勝てず、次第に年齢なりに衰えて、一人暮らしはしんどいとも言い出しました。しかし同居ではなくちょくちょく遊びに行く程度の距離感がご所望でした。
【一歩踏み出して孫と暮らす 2人暮し】
母の独居がいよいよ気になり出した頃です。タイミング良く、私の子が大学への通学の利便性も鑑みて、私の母の家に住んでくれることになりました。学業と部活が忙しくなかなか家には居れないのですが、それでも
劇的な変化が…
どよーんとした家の空気が一変しました。
孫が居るだけで繰り言の話題が刷新されました。良い意味で孫が母の好奇心に火を着けました。孫の学校、部活、果ては下衆ながら私生活まで、好奇心のターゲット。
孫はスマートなので、そのへんはうまく立ち回ったり、受け流したりして好循環が生まれ出したのでした。
家事も独居の手抜きから若い時を思い出して本格的に再開しました。相変わらず疲れただの、辛いだの、孫が心を開いて話してくれないだの。戦前の教育が染みていますのでプライバシーなんで関係なく土足で心の中に入ろうともがいていましたが(笑)。
ともかく若返った。
スーパーおばあちゃんへのスタートラインに立ったのでした。
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