むかし描いた葉っぱ鳥。最初の葉っぱ鳥は授業中の悪戯書きで、もう少しグロかったというか、どっかおかしな生き物だったけど、これは普通に鳥型。ノートとか悪戯書きだらけだったけど、そういや教科書にはあまり悪戯描きしなかったな。あれか。私は1から私の世界なのがいいのか。そらそうやな。
「本能」というのを「意図的に」着飾っているのが人間だとしたら、さぁ、それを着せて「素敵よ」と褒めたのは何なのか…。着るべきであると説き、着ている事を忘れさせ、あたかも星に沿ってきたと思わせているソレの正体を思い出せないから、困っているというか、永遠の迷子なんだろう。と、私が笑う。
『診断系の質問ってよくわからない時ない?何時もどっち寄りかなんて、考えていないよ。判断はその時々でしょ。好きか嫌いかはあるけれど、気が付いたら、もう、選んでるんだもん。選ぶときにそんなに立ち止まってメモしてるわけ??私にはわからないわ』だって。ま、私もわからない時あるけどね。
『にんげんのことみたいなこといわないで』 ふつふつと湧き上がる。それは人間の世界では光と呼ばれる。でも、まるで穢れみたい。私はそんな私も当たり前だけど、この手の私の事は救うって名前の鎖で繋いでこようとする人間が多い事を私は知っている。私には気軽に触れればいいけど、私には触れないで
『苦手な人の好きなところ』がきちんとあるのが水瓶座。線の引き方と、その人への思いが違ったりする。全部嫌いって、かなり凄いことだと思う。今の所、全部嫌いな人間はいない。全部嫌いって言えるほど、苦手な人の事調べたりしないもんねぇ。逆に、全部好きもかなり凄いことだと思う。調べるけどね。
「大変、心が欠けちゃいそう」そう言って私がすべての窓を閉めることは多々ある。今も一瞬の窓閉め作業。何も失ってない癖に、とんでもない喪失感に焦る。自分から欠けにいくのはいくらでもいいのに、気がついたら欠けそうなのは駄目なんだもんねぇ。私って変な子。そこも含めて私ね。そう私は思う。