あの選択をしたからってより、あの選択しか浮かばなかった
逃げろ
と人は言う。
おうよ、
力の限り逃げたとも。
けれど、
力任せに羽ばたいただけで、風に乗れる小鳥が何羽いると思うの。
頭の足りない私は見事に墜落し続けて、低空飛行で世界を見ている。
今はそれも悪くないと思っているけれど、選択って、瞬間じゃない。
だからね、自分で立ってないとあっという間に潰されちゃうよ。
何度か記事に書いているが、私は中学卒業と同時に実家を離れている。
先生に三者面談で笑われた。父親にも。
一人暮らしは大変だから、出来ないと。
泣いて帰ってくることになるだろうと。
けれど、私はしたのだ。
選んだのだ。
選べなかったから。
他の答えなんて見えて来なかった。
これ以上、この環境に身を置くと、殺すか死ぬかだと心底思っていた。
そう、だから
世のアドバイス通り。
逃げた。
まぁ、当時は「逃げるな立ち向かえ」のがまだまだ声が大きかった気もするけれど。
その中で、足りないながらに考え選んだ事は、結果はともあれ、私が私であるという確固たる「私」に繋がっていると思う。
(そこは自信じゃないの?って感じの文面だけど、自信って私とイコールでしょ。ってなんか思う)
電話相談員に「その程度」と言われる、先生に「考えすぎ」と言われる、親には「変だよ」と言われる、そんな程度の事柄の連続が、当時の私には許せなかったし、耐え難かった。
元々、疑問だらけ、違和感だらけの集団生活の中で、私はあっという間にすり減った。
私は笑わない子だった時期がある。
笑顔は危険の種だったから。
武装の為の言葉は冷たく鋭く、付ける弱々しい仮面の巧妙さに磨きをかける。
そこに生まれるギャップで、気立ても、容姿も、教養も足りない私を警戒させるのに充分な色が付く。
当時の私の生存戦略はそうやって確立した。
一人暮らしは、確かに大変だったが、実家にいた時の精神的苦痛を上回る素晴らしさだった。
逃げた先で、不格好な生存戦略を確立していた私はそう、上手には生きられなかったけれど。
あの選択をしてから、
自分なりになんとか呼吸して平和になるのに、十年以上かかった。
安定性抜群とは言えずとも、今は、まぁ、もう少しギリギリまでこの星に留まろうかなって感じだ。
辿り着くまでに、何度、自分の選択肢の無さを嘆いて、世を恨んで、そんなの自分のせいだと打ちのめされて、どうしたらいいかも、何もかも、わからないままに、ただ、選択の前に立ち続け、進み続けてきたのだろう。
もう少し、手はあったろうし、本当自分にある駄目なところはいくらでもあげられると思う。
この辺は話すと難しいんだよ。能動的に、動けよって言うは容易く、やるはやるしかないと思うんだけど…そういうこっちゃなくてさ…ま、今回はこのへん割愛。
心臓ドキドキしちゃうから。
こんなだけど、自己責任大好き人間に圧をかけられても、なんだかんだ潰されきらない図太さだけは褒めてあげたい。
頭がよかったら、お金があったら、助けてくれる大人が居たら、ほんの少しでも心に余裕があったなら。
あの日、あの時、それが目の前にあったなら。
きっと私は今までの選択をしなかった。
けれど、いいのさ。
選んだものはかえられない。
私はここにしかない。
ここに在るのだから。
選んだのだから。
「あの選択をしたから」に続く言葉を明るくしたのはきっと、その人の力。
それから、その時に関わったモノの力。
振り返ると眩しいような、そんな選択を選べた人よ、幸せであれ。
と、選択に闇を混ぜこむ私は思うんだ。
『そんなことないよ』
なんて言わないで。
この闇ごと私だから。
私が選んだどうしようもない、しかし、唯一の人生だから。
これごと好きでいるんだ。
出来れば、これごと好きでいて。
あの選択をしたから、私がここに在るのだというのなら
どんな選択をしたとしても、どんな結果だったとしても、もう、私って事じゃない。
私は何時でも此処に在るよ。
良い事も、悪い事も、選択の先にある。
どっちもそれ相応に重くて、背負うのはしんどくて、でも大切で、他の人には任せられないものなんだと思うよ。
優しい誰かが、一緒に支えてくれることはあってもさ
「あの選択をしたから」に潰されないように、自分の力で立ってたいよね。
あなたが振り返る「あの選択をしたから」が、あなたがあなたであることの証明で
それが、あなたの素敵な事に繋がってるといい。
私も選び続ける。
私が私であり続ける為に。
私が私と私達だから。
ここまで、読んでくれて有難う。
こういうの上手くまとまらないんだけど、書けたから出そーっと。