「一緒に」って尊いの。体験しないまま、知ってたって話。
まずは若かりし私をお読みください。
当時の私が、例えでよく使ってた表現で懐かしい。
倒れていく人達よく見ていました。
これは、私もこうだったけど、それより他の人の事考えて書いたものです。
背中に言葉の矢が刺さる。
その言葉が励ましや応援な事は理解している。
それに悪意が無い事も理解している。
けれど、もう走れなくて、痛くて、どうしようもない。
「たすけて」を叫んでも聞こえない事がある事を、この時の私は中学時代の経験から知っていたので、助けてとストレートには声をあげられない人の心のしんどさを多く感じ取っていたのでしょう。
そして、それが届く事を夢見た。
わけもわからず、言葉にもできず、倒れていく人達を当時、多く感じていました。
そこには私の母親も含まれています。
母は私を理解しないで傷つけてくる大人の一人でしたが、彼女を単体で見れば彼女も傷ついている人だというのはわかるものでした。
どんな人も心の傷に倒れる事は辛いものです。
だから、それを私は多くの人に伝えたかったのでしょう。私は言葉にするのが人より少し得意だから。
そうなる前に知っていてほしい。
こうなる前に知っていてほしい。
人が善意に倒れる理由を知ってほしい。
あなたが気がついてくれますように。
あなたに気がついてくれますように。
人同士の温かさは、こうであって欲しいという願いが込められているのです。
型通りでは解決しないから、それは解ではないから、どうかよく見て、そして一緒に歩いて欲しい。
『人は愛する大切な人と、一緒に道を歩く生き物』
それが私のなかの正解なのでしょう。
この時点で
知ってしまっている事が、私を拭えない孤独にさせることも、それが私の魂なのだということも、何処かでなんとなく、ほんのり解かっていたのでした。
私は誰か一人の手を取ることはないだろう。
私は結局自分で立ち上がるのだろう。
そして歩き続けるのだろう。
しかし、当時は、まだまだ若い、かわいい私です。自分の性質も掴みきれてはいません。
だから
『きっと、出会えるはず』
そう、自分に希望を持たせる子でした。
この先、何度も失敗する私は、それでも、やはり私らしい子なのでした。
そういう日々が書き留められています。
未来に位置する私が感心するほど、彼女はがむしゃらに生きているところがあります。
上手ではないけれど一生懸命に死にそうに生きる彼女の言葉を出していきたいなと、たまにこうして、載せたりします。
私にとって人間同士の繋がりや愛を考えることは、たくさんの心を知り理解していくこと。
私は『一緒に』って言ってほしかったし、言いたかったのでしょうね。
それができる人を探していたし、
特別な誰かに会いたいと思っていたし、
きっと、誰かとそれが出来ると思っていた。
でもね、私は私だから。
いいの。形に拘らない。
たとえ、自力で立ち上がってしまっても、そんな人の隣にいなくても私はそれも好き。
気がついてないだけで、それでも、まだ、光を見つける心がほんの少し残っている、うずくまる誰かがいたならば、私は気がついてほしい。
そうして、背中の矢を抜いて、誰かと手を取り合って幸せだと言って過ごしてほしい。
怯えず、その手をとってほしい。
ゴールテープを切ることや、一人でやりきることも素敵だけれど、大切な人の手をとって探し歩く道はきっと、もっと素敵だと、終わる時に思えるはずだから。
誰か達の幸せは、私に『人間同士の関係は素敵なもの』という感覚を与えてくれる大切なもの。
忘れがちな感覚を鮮やかに見せつけていて。
その道を眺める事は私の幸せ。
だから、私は言葉を紡ぐ。
私の愛。
これが私の愛の形の一つ。