私は一人だけど、一人で運営していないって話。
《これは私の考え方の新しく言葉にできたモノの一つです。気に入ったら心に置いてみてね!》
沢山の外の人に支えられていることは自覚できる人、多いんじゃないかな。
けれど、自分の内側は?
そういうお話。
私という一個人を今回は『国』に見立てて話をしようと思うのだけれど、そうなると私という国は今、かなり緩めの国政でやっていることがわかる。
役割分担は一応あって、国をおさめる私と、国の為に働く私と、私の知らないところで私を護る兵隊の私とか、そんな具合で小さな国を何とか内側から回している。
あまり外交はしないから、自国生産で自国消費って感じかな。
私と私達は、侵略にとても弱いのね。
それで幾度となく国(私)の転覆という危機にあってきた。
王の私はそのたびに、国民である私に無理難題を申し付けて、国民の私は私という国に対してやる気を失っていったわけ。
でも防御壁は働き続けてて、なんとか国民全滅の危機は防げていた。
国をおさめる私は、これじゃ駄目だなってなって、国民の私達と沢山アレコレやってみて、なんとか夫って国と協定を結んで、やっと安定したかなって思う。まぁ、たまに小さな諍いは起きるけど。
私の国の人は私達なわけだから、みんな似た性質なの。
楽しいことが大好きで、嫌なことはとことん嫌い。
どんなことも心から楽しかったらいいよねって、したいのが私の国の人達だから、それを邪魔されたら全面戦争も厭わない。
もちろん、戦争も楽しいことではないので、極力回避。
戦争を持ち込みそうなモノは防御壁の手前でお帰りいただいて、私の国はある意味平和。
国をおさめる私は国民の為に、なにを正解として進むかつねに考えるし
国民の私は、国存続の為に出来る事をやろうとしているし
兵隊の私は、国のためにならないなら、それが世の中的にどうかはおいといて国に侵入を許さない。
そうやって『私』は沢山の私達で運営されてるんだなって思う。
他の人たちの事も、国と思うと『外交』に出てる人だけでは、やはりわからないことが多いなって思う。
そういえば、私の国はちょっと変だから、思わず普段外交に出している人以外が外交に出ちゃったりする事があって、相手の国はビックリしちゃうみたいなことがある。
私はその国の誰が出てきても構わないよ。
だって、国は外交官や王様だけで運営出来ないの良く知っているもの。
もし、何か自分の中でわからなくて、ぐちゃぐちゃしてる時は、自分の中の国民とお喋りが足りてないんだとおもうよ。
私は私達って形で、何人姉妹なのかな?みたいな感じが多いけど、たまに一人称はなくても男の人いるし、別に人型に拘りないから、よくわかんないのも国の中いるけど、お喋りしてみるとわかる事もあるよ。
国の形によってはそれぞれ領主がいて一つの大国って人もいるんじゃないかな。
様々な形が考えられるけれど、どれにしても自分たちとの対話は必要だよね。
国民同士で嘘つかせちゃうような国政は駄目だよ。
外交は戦術だから、結果嘘になっても仕方ないところはあるけれど、自分の国の自分達から目を背けるのはね、私の経験上、上手くいかないのよ。
私達は手を繋いでいる。
私の国が進む先、共に在ると誓っている。
たとえ世界が敵になろうと、私は私達を裏切らない。私達も私を裏切らない。
小さな弱い国だけど、城壁を越えた中の結束が強いから困難がきてもギリギリで耐え抜く。
ねぇ?あなたという国は
あなたという王様は
あなたという国民達は
あなたという護りの兵は
どんなところと、どんな人達かしら。
どうか、どの国もそれぞれ素敵だと胸を張れますように。
そして、相手の国を尊重したり、学び合ったり、楽しく遊んだり出来ますように。
国同士が内側から豊かであることは、世界の平和に繋がると思うんだよね。
そんな例え話でした。
ここまで読んでくれてありがとう。