影の名前を呼びたいと思った
表立った自分が表とするなら、内にいる自分を影とする。
私は、ある影の名前を呼びたいと思った。
本当は、何か話したい気がした。
けれど、話す内容がどうしても浮かばないし、気遣いの言葉は重くなってしまう気がして、名前だけ呼ぼうかと考えたりした。
大きなはずのその人が、力強くて何にも負けない強い人が、小さく肩を落としている気がして。
なんだか切ない気がして。
かける言葉を練り上げてみて、どれも駄目な気がする。
だって、私の影じゃないんだもん。
私は私と私達で運営する「私」というスタイルだから、内なる自分も「私」である。
例えばあなたが私を呼んで、その時、私達は「あ、あれは私の事」と思った私が対応する。
私達はとても緩く存在している影であり表である。私もまた表であり影である。
他の人の運営方法は様々で、一人の窓口も多い。
凄くしっかりした運営マニュアルのある人もいるし、そもそも個人事業主みたいな、影も表も一つですが?みたいな考え方もある。
だから、迂闊に相手の影に声を掛けることは出来ない。
そもそも、私みたいにゴチャゴチャ考えない人からしたら、私のこの思考の仕方は危機になる場合も多い事を、周囲の反応から感じ取っている。
それでも。
全部で、あなただというのなら。
私達が私達を取りこぼさないよう手を繋ぎ合っているように、内なる人のことも、大切にできますように。
大切の仕方が違う場合もあるから、やはり声を掛けることは難しいけれどね。
影のあなたへ
深く潜り
それもまた己を大切にすることと
そういうのだろうと
私は言葉もなく
でも忘れはしない
その在り方
形なくとも
それはあなたが大切にする己の為にならないのかもしれない
私はあなたの大切に思う己も大切に思う
本当はいけないのかもしれない
だけど呼びたい
今そう思うことだけ
私の中で確かにある事
振り返って
仕方がないと
やるせなく笑うのまでわかっても
私にはわからない。
私の感情だけれどわからないから
不思議。
でも、そう思うこと大切にしたい。
と思って記事にする。
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