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『正解』以外を許して生きる
10代の頃から私の中には『世界には無数の「答え」が散らばっていて、その中から自分が選んだ答えが「正解」になる』という考え方がある。
私は私という命に対して、私である事を許しているから、芯がブレない。
私に対して、理想の私を押し付けないから、どんな自分もムカついたり、傷ついたりしても、大嫌いだと捨てることがない。
正解は何時だって、その時の私と私達のものだ。
「みんなちがってみんないい」金子みすゞはそう言った。
あれを茶化す周りの子達にも、それを皮肉のように使う大人達にも、イライラとしていたのを思い出す。
「みんな」の中に自分も入っているのに、読みの浅い人は自分を外すのだ。
だから、理想の自分じゃない自分と対峙した時に大揺れする。許せずに、自分も周りも傷つける。
「みんな」というのを、私は私と私達に置き換える。私の中にも沢山の私がいて、それは何時も変化していて、それぞれが「正解」を持っている。
私は誰かに優しくできるだろう。
だって、優しくしたいと思っているから。
私は誰かに怒りを覚えるだろう。
だって、私にとって怒りたくなるようなことだから。
自分の中にだって陰陽はあって、それは、大きなな枠にもあって、だから、みんなの正解がそれぞれあって、答えは無数に散らばっている。
「世界総意の正解」なんてものは、きっと、無い。
答えが宇宙の星のようにある。
私達の意識は銀河なんだ。
私は私の「正解」を大切にしている。したいと思っている。
もしかしたら、未来で「間違い」になるかもしれなくても。
だから、誰かの正解という答えも、大切にしたい。出来るだけ。
私とは違う、その答えを選ぶこと、きっとそれまでの出来事が、詰まっているから。
許す。
自分の正解が、相手の正解と違うこと。
それは時に、相手も自分も傷つくこと。
認めたくない答えがあること。
その答えを正解に持つ誰かが存在すること。
私の正解が誰かの正義を貫くこと。
認めたくないという答えがあること。
自分の思考を。
相手の想いを。
そして選ぶ。
私は、どうしようもなく私だから。
あなたは、どうしようもなくあなただから。
その時、選びあったもの、お互い笑えたりするといい。
それが、なるべく、たくさん、長い時間、あるといい。
それをそうなるように、考えられることを、正解と思える私でいたい。
これは人間に限らず。
様々な物事。流れ。そのものにも同じに思う。
この考え方をすると、少し余白が生まれると思うの。それは優しい泡みたいなもの。
だから、もし、これを読んだあなたが、必要そうなら、そっと心の片隅に置いておいてね。
本当はもっといっぱい書きたい気もするけど、まとまらなくなるから、今回はここでおしまい。
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